宝蔵殿にて
古寺を巡るごとに、諸仏に対する私の感慨も次第に変ってくる。はじめての日のような素直な感動は少くなって、へんにいらだたしくなったり、或は不安を覚ゆるようなことが多い。どれほど美しく尊いものも、度重ねてみているうちには日常茶飯事になってしまうのだろうか。いつの間にか慣れてしまって、自分の感受性も鈍くなるのだろうか。しかしそうとばかり言えないものが私の心にわだかまってきた。古寺とはそもそも何だろう。たとえば大和の古仏が、畢竟自分の心にもたらした感銘とは一体何であったか。私は何のために古典の地をうろつき廻っているのか。秋晴れの斑鳩の里を歩みながら、ふと私はかような疑念にとらえられるのである。嘗つては悦びであったものが何故私に不安な気持を抱かせたりするのだろうか。
はじめて古寺を巡ろうとしていた頃の自分には、かなり明らかな目的があった。即ち日本的教養を身につけたいという願いがあった。長いあいだ芸術上の日本を蔑にしていたことへの懺悔に似た気持もあって、改めて美術史をよみ、希臘・羅馬からルネッサンスへかけての西洋美術とどう違うかということや、仏像の様式の変化とか、そういうことに心を労していたのである。仏像は何よりもまず美術品であった。そして必ず希臘彫刻と対比され、対比することによって己の教養の量的増加をもくろんでいたのである。私においては、日本への回帰――転身のプログラムの一つに「教養」の蓄積ということが加えられていた。己の再生は、未知の、そして今まで顧みることのなかった古典の地で行われねばならなかった。古美術に関する教養は自分を救ってくれるであろうと。
だがはじめてみた諸々の古仏は、「教養」を欲する乞食に見向きもしなかったということ――これは私のつねに感謝して想起するところである。美術品を鑑賞すべく出かけた私にとって、仏像は一挙にして唯仏であった。半眼にひらいた眼差と深い微笑と、悲心の挙措は、一切を放下せよというただ一事のみを語っていたにすぎなかったのである。教養の蓄積というさもしい性根を、一挙にして打ち砕くような勁さをもって佇立していた。本来人間は悉く仏性をもつはずだ。迷妄やまず罪禍にまみれようとも、むしろそれを縁として、本来具有する仏性を自覚することに一大事因縁がある。――何事も畏怖する勿れ。――この深い秘義を身にひそめた仏像は、私にとってもはや美術品でなく、礼拝の対象となった。拝むということが見るということなのだ。かような思い出は他にも屡々記したところである。
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この秋法隆寺へ行って新たに完成した大宝蔵殿を拝観した。金堂の壁画は模写中であり、修理もはじまるとみえて、堂内の諸仏は多く宝蔵殿に移され、その他の仏像とともに漸く整備陳列された頃だった。しかしこの宝蔵殿ほど現代人の古仏に対する心理状態をあらわに示しているものはないように思われる。そこにまず看取されたことは、仏と美術品との妥協であった。美術品として鑑賞出来るように、つまり博物館式に陳列してあるが、同時に仏としての尊厳も無視しえないとみえて、まさに仏として拝することの出来るようにも並べられてある。この妥協から実にぎごちない構想が生れる。
たとえば百済観音は仕切った一室にただひとり安置されてある。新しい天蓋と蓮台もつくられた。すべては美々しく粧われ、花も捧げられてある。このみ仏の崇高を思うものは、これほど手をつくして大切に保存されているのを当然と思うだろう。しかし仄暗い金堂の裡に佇立して、白焔の燃え立ったまま結晶したようなあの時の面影はみられない。金堂の内部では何の手も加えられず、実にそっけなく諸仏のあいだに安置されてあった。ただ一体安置されるにしても、おそらく一切の装飾を去って、薄闇の中にすらりと立たしめるのが最もふさわしいであろうと私は考えていた。かような構想はむろんむずかしい。とくに宝蔵殿のような場所では尚更である。それにしても、いまのこの祀り方は、あまりに人工的に過ぎはしないだろうか。尊ぶ気持はわかる。しかしそれが露骨に蕪雑で、つまりは見てくれという示威的な要素が多分にふくまれているようだ。現在の法隆寺は自己の伝統にうぬぼれて、何事にも勿体をつけようとするあさましい寺になっている。その半面には見物人に阿ねる卑屈な根性もみられる。これは法隆寺を訪れるたびに私のいつも感じる雰囲気だ。
百済観音のみならず、ガラスのケースの中にも多くの古仏は並べられ、造花が添えられ、崇められているようにみえるが、また見世物式であることも否定出来ない。寺僧は必ずやこれらみ仏の前に礼拝するだろう。心から保存を念じているかもしれぬ。礼拝しつつ、だが一方では、古仏を美術品として鑑賞に来る「教養ある人々」の勿体ぶった顔にながし眼を使っているのだろう。これは私の邪推だろうか。「古典の復活」時代であるから、誰しも法隆寺を口にする。法隆寺は当代の人気を得ている。法隆寺の方では、その声に応じるがごとくすべてがアトラクション的になる。おそらく無意識の裡に異邦人の、乃至は異邦人的な眼をもった教養ある日本人の好奇心と鑑賞を予定しているのだ。法隆寺は寺であるかショウであるか、私は疑わざるをえなかった。
宝蔵殿は新築されたばかりで木の香りも高い。設備も実に至れり尽せりである。そういう新しさが、千年を経た金堂の陰翳になずんだ私にこんな思いをさせたのかもしれない。しかし根本は、仏像をそれが本来在るがままのものとして拝せんとする心を失った点に在るのではなかろうか、私にはそうとしか思えなかった。たとい宝蔵殿であっても、金堂や講堂におけるとひとしい雰囲気を努めて保存しなければならぬ。法隆寺が次第に見世物化して行く罪は誰にあるのか。私は自分も経過した一時期を悲しく思い浮べた。
古寺の美しさは、それが荒廃のまままさに崩れんとして行くところにあるというのは真実だ。荒廃を悲しむ心は誰にでもある。保存や再建を思うのは当然であろう。だがそれに手を加えることの重大さを我々はつい忘れ易い。崩れゆく文物を、崩れるままにしておくべきか、或は補修を加え博物館に陳列すべきか、私にはそういう経験がないが、いつも迷う。これはむずかしい問題である。崩れるままにしておけばやがて朽ち去るであろう。再び人の眼にふれることもない。しかし、掘り出して近代的設備の全き宝蔵や博物館に陳列保存されると、忽ちガラス張の牢屋にとじこめられ、名札を添えられ、写真をとられ、批評され、胴上げされて見世物になり易い。やむをえぬことではあろうけれど、名もない荒寺の奥に千年の塵をかぶってひそむ風情は失われる。そういう風情を失わずに、何げなく保存するには篤い信仰と繊細な心が必要なのだが、そういう心もいまは途絶えがちである。これは当今すべての古典の扱い方について言いうるところではなかろうか。ひとり法隆寺のみの問題ではない。古仏を語ることすらいかに至難であるか。私は宝蔵殿の見世物式陳列ぶりをみて内心疑懼たるものがあった。
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大和の古仏に接してから、経文をよみ、信仰について思いめぐらすようになったのも事実である。私はそれを有難いことと感謝している。生涯いくたびもこの地を訪れるであろう。だが一方において、信仰が、この美しい古典の地に遊ぶことによって深められるかという疑念が起ってきた。つまり私にとってそこが天国であるということが、何となく不安に感ぜらるるようになったのだ。崇高なものに絶えずふれておれば、おのずから人の心も崇高になるではあろう。古典を学ぶことによって、我々の心もひらかれるであろう。しかし、そのひらかれた筈の心が、自らを高しと感じ、古典の権威を自己の権威と錯覚するようになったらどうか。遺憾ながらこの錯覚から免れている人は尠い。古典や古仏を語る人間の口調をみよ。傲慢であるか、感傷的であるか、勿体ぶっているか、わけもなく甘いか。これら一切を自分の心から放下すること、換言すれば古典によって与えられた自己への幻想を根柢から打ち破ること、私の心はそういう方へ傾いて行ったのである。
私は今まで大和の古寺を巡りながら、追放された自己を感じたことなぞ一度もなかった。いつも何かによって救いあげられ、高められる己だけしか感じなかったのであるが、これは仏恩というものなのか、それとも仏に対する私の阿諛であるのか。後者の心がなかったとはいえない。古典が救いになる、などとはかりそめに云えぬことだ。人間は出来るだけ早く安心や救いがほしい。そういう人間自身の弱さに古典が恰好の化粧となり、しかも徹底してこの惑いから脱れるのは至難なのである。誰しも古典の峻厳について言う。だがその峻厳さはつねに無言である。かりそめの世評には気も転倒せんばかりの我々も、古典の無言の峻厳さには、つい畏れを忘れて甘えがちなのである。
この秋の大和の旅で、真実のところ私の心から離れなかったものはシベリアの流刑人達の姿であった。或はサガレンまで行ったチェーホフや、奥の細道という殺風景きわまる処を歩いて行った芭蕉の姿や、また越後に流された親鸞のことなどであった。私は政治的意味で云うのではないが、彼らは追放された人々であった。自分で自分を追放した人と云ってもよかろう。云うまでもなく彼らは古典を極めた人々であったが、何故殊更に極北の地へ向ったのであるか。心の旅として考えれば、人間の業の極まる処へ自ら求めて行った人のごとくにも思える。つまり天国をとらず地獄へ赴いたのだ嘗つては斑鳩の里も「極北の地」であった。そこに流された人生苦の血はいまいずくぞ。――明媚な風光と新式の宝蔵殿は一切を居心地のよい観覧地と化してしまった。これが人生の常なのかもしれないが、私にとっては何となく不安なのである。
大和古寺を巡るにしたがって、私の心に起った憂いとはつまりこうだ。代々の祖先が流血の址を見て廻るものの不安と云ったらいいか。何故こんなに多くの仏像が存在するのだろう。三千年のあいだ、諸々の神仏あらわれて、人々の祈りに答え、また美しい祈願の果の姿となって佇立している。かくも見事な崇高な古仏がたくさん列んでいて、しかも人間はいつまでも救われぬ存在としてつづいてきた。どちらを向いても仏像の山、万巻の経典である。古来幾百人の聖賢は人間のため道を説き血を流した。いま我々はその墓場を訪れ、どうかしてこの現世の大苦難を脱けきる道を示し給えと祈るのであるが、そして素晴しい啓示や教に接し、日々その言葉を用いるのであるが、苦難は更に倍加し人間は何処へ行くべきかを知らない。古典を承け継ぐとは、つまりは地獄を承け継ぐことなのか。はじめ古典はその甘美と夢によって我らを誘うであろう。だが、汝等固有の宿命に殉ぜよという追放の宣言がその最後の言葉となるのではなかろうか。
かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一躯の像、一基の塔、その礎にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋れているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるなどと見物して歩いているのは実に呑気なことである。
――昭和十六年秋――