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好色破邪顕正
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好色破邪顕正
小酒井不木
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Chapter 5 of 5

真犯人

「それでは逃げたんだな?」

と、署長は、畳みこんでたずねた。

「実はこうなんです」と、丑村刑事は興奮して語りつづけた。「今朝早く、私は大平家をたずねて、老婆よねに逢って、この頃中、主人をたずねて来た人をよく思い出してくれと言いましたところ、よねは暫らく考えて居りましたが、四五日前の夜古泉堂という古本屋がたずねて来たと申しました。昨日の朝戸針さんの御買いになった書物についてたずねに行ったとき、どうも少し様子が変だったことを思い出して、とりあえず古泉堂へ行きますと、驚いたことに、戸がしまって居りました。附近の人にきいて見ますと、これまでこうして戸を閉てて古本を仕入れに出かけるのは折々のことで、最近は娘さんが帰って居て、こういうことはなかったが、娘さんがまた何処かへ行ったので、古本仕入れの為に戸をたてて出かけたのだろうと教えてくれました。少し怪しいとは思いましたけれども、家宅捜索の許可は得て行きませぬでしたから、そのまま私は大平さんの勤めて居た会社へ行って色々たずねましたが、これという手がかりは得ませぬでした。今、戸針さんの御話で、一昨夜古泉堂の老人が大平家をたずねたとすると、ことによると逃亡したのかも知れません。それはそうと、戸針さんは一たいどうしてそれを聞き出されたのですか」

そこで康雄は一伍一什を話した。もとよりお豊に約束したとおり、レンズを自分自身が拾ったことにし、隣家をたずねて、附添婦から事情をきいたと告げた。そうしてそれから、いま留置場で歌代からきいたことを残らず語った。

「探偵として、実に珍らしい腕前です」と、署長は賞めて言った。「それでは兎にも角にも、古泉堂老人の行方を捜さねばならぬ。が一たい何処へ行ったのだろう」

こう言って署長は腕を組んだ。

「私は先ず古泉堂へ行って家宅を捜索して来ようと思います。許可証を渡して下さい」

丑村刑事がこう言って署長に願うと、署長は立ち上って奥へ行った。

「それでは私も私の心当りを捜して来ます」

こう言った康雄の声が如何にも自信に満ちて居るようだったので刑事は、

「えっ? お心当りがあるのですか」

「もとよりはっきりしたことはわかりませんから、兎も角盲目滅法に出かけて見ようと思います」

が、その声には、確信がありそうであった。けれども、それ以上、刑事は追求しなかった。

それから三時間の後、丑村刑事は失望の色を浮べて帰って来た。そうして署長に報告した。

「家宅捜索をしましても、別に逃亡したような様子は見られませんでした。やっぱり一時的に留守にしたとしか考えられません。平素隣りの人たちとあまり交際して居ないので、老人の行って居そうなところは誰も知りません。そのほか大平さんと関係のありそうなものは何も見つかりませんでした」

話して居るところへ、わが素人探偵戸針康雄が帰って来た。彼の顔には、いわば勝利の色が漲って居た。

「どうでした?」と、丑村刑事が言った。

「わかりましたよ」康雄の声は朗らかであった。

「え? 老人の行方がわかったのですか」

「今私は、老人に逢って来ました」

「老人を連れて来ましたか」

「そのまま別れて来ました」

「そりゃ大変だ。逃げられてしまう。老人は何処に居ますか」

「大丈夫逃げは致しません。これから私は紺野老人の居るところへ、あなたと署長さんを案内したいと思います」

自動車が用意されて、三人は乗った。そうして十分たたぬうちに目的地に着いた。それは小針の十番地、即ち歌代が一昨晩、大平氏に最初に連れられて来た家であった。あたりは森閑として、植込には、西に傾いた日が、さびしく照って、四月とはいえ、先日来の気狂い気候で霜枯れのような寂しい感じが漂って居た。

康雄が先に立って中へはいると、紺野老人が悄然として出迎えた。老人は新らしい眼鏡をかけて居たが、その顔には悲しい表情が刻まれて居た。老人は恐縮しながら三人を一間に導いた。

康雄は語りはじめた。

「委しいことは一切私から申し上げます。最初私が大平家の庭で紺野老人のレンズを発見したときは老人を真犯人でないかと疑いましたが、留置場で歌代さんから事情を聞くに及んで、その疑は漸次崩されて行きました。歌代さんからこの家の様子をきいたとき、大平さんの知った人が、最近まで住んで居たにちがいないと思いました。それから大平さんが歌代さんを自宅へ連れて行って手ごめに為ようとしたときいて、私は、大平氏殺害の動機をその情事関係に求むべきであると思いました。犯人はきっと女にちがいない。ヒステリカルな嫉妬深い女にちがいない。その女が大平氏にそむかれて大平氏を殺害したにちがいない。こう考えた時、私はこの家に、大平氏の愛を受けた女が住んで居たにちがいないと推定しました。然らばそれは誰であろう。と考えたとき、私の胸にはたと思いあたったことがありました。この家に古泉堂の人情本のあったこと、殺害の夜、紺野さんが大平家をたずねたこと、それから、一昨夜私が古泉堂をたずねたときに、老人には一人の娘さんがあって、老人は、最近余所から離縁になって帰って来たと語ったこと、私が見たその娘さんはたしかにヒステリカルであったことを思い出したのです。私はその時、あの娘さんが大平氏によってこの家に囲われて居たのだろうと想像しました。そうして最近事情があって別れることになり、それに嫉妬を感じて恐ろしき事件を引き起したのだろうと思いました。

その晩、娘さんは大平氏宅の屋敷の押入れの中にしのびこんで大平氏の帰宅を待って居る。そこへ大平氏が歌代さんを連れて来て、暴行を加えようとする。そこで押入から飛び出して、大平氏の背後に短刀を刺す。そうして一旦、室の隅なり又は庭の隅なりへ姿をかくす。こうしたことが行われたことと私は推定したのであります。そうして、それが、果して、真実であることを知りました」

こう語って康雄は一息ついた。紺野老人は先刻から、神妙にかしこまって、康雄の言葉を肯定するかのようであった。

「それでは、一刻も早くその娘さんを……」

丑村刑事がこう言い出した時、康雄は立ち上って無言のまま隣室との堺にある襖を静かに開いた。

おお! 其処には一人の女が、否、女の死体が敷布団の上にさみしく横わって居た。

「これが私の娘で御座います」と紺野老人は言った。平素他人に向って、ぶっきら棒な挨拶をする老人も、今は丁寧な口調であった。「実はあそこの梁に紐をかけて縊死を遂げて居りましたが、あまりに見にくいので、そのままお届けも致さないで、下して寝かせました。お恥かしい話で御座いますが、娘は大平さんの寵愛を受けて、世間には秘密にこの家に御厄介になって居りました。ところが、先日どうした訳か帰されて来ました。その理由をきいても娘は一こう話しもせず、非常に悲しむと同時に大へん大平さんを恨んで居りました。そのためぶらぶら病を引き起し、寝たり起きたり致して居りましたので、私も気になりますから、この間の晩大平さんの御宅をたずねて理由をきいて見ますと、ある女と正式に結婚することになったからというような御話で御座いました。

一昨夜、戸針さんがおいで下さった時、娘は風呂へ行くと云って出て行きました。ところが一時間過ぎても帰って来ません。そこで私は心配になって風呂屋に行ってきいて見ますと、娘は来なかったとの事、さては変な気でも起しはしないかと、この家をたずねて来ますと、誰も居る様子がありません。彼此するうち十二時近くになりましたが、若しやと思って大平さんの御宅の前まで行くと、入口があいて居るのが見えました。これはおかしいと思って、裏口から座敷へしのび込みますと、大平さんは殺されて見えました。あまりのことにびっくりして逃げ出しましたが、その拍子に眼鏡の玉が落ちたことに気づき、手がかりになっては悪いと思って、さがしましても気が慌てて居るので、遂に見つけることが出来ず家にかえりました。

ところが娘はまだ帰って居りませんでした。私は大平さんを娘が殺したことと思いこみ、もう外出する勇気もなく一夜をあかすと、この御方(丑村刑事)が見えましたので、一時はびっくりしましたが、それは意外にも『好色破邪顕正』に関する御たずねで御座いました。

夜になるのを待ちかねて、虫が知らせたとでもいうのか、どうも娘がこの家に居るような気がしましたので、ひそかにたずねて来ますと、もはや、娘は死んだあとで御座いました。とりあえず死骸を下へおろして御通夜をしましたが、今日になっても、どうしてよいか途方に暮れて居りますと、先程戸針さんがたずねて御いでになったので御座います。ここに娘の書置が御座いますからどうか御覧なすって下さいませ。書いてあることは、ただ今、戸針さんが仰しゃったとおりの事情で御座います」

署長は沈黙のままその遺書を受取ったが、別にそれを読もうとせず、静かに死人のさびしい顔に眼を移すのであった。

幾日かの後、文学士戸針康雄の御器所の住宅は、新たに一人の同棲者を得た。それは言うまでもなく篠田歌代であった。

●図書カード

Chapter 5 of 5
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