Kembali
油地獄
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油地獄
斎藤緑雨
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Tema
Terang
Gelap
Sepia
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 10 of 15

十

預けた金は受戻す、戻した金は使果す、この上は国元へ頼遣った別途の金の到着するのを、写真を膝に指折るばかり、淀文へも存じながら無沙汰したが、その十日ほどに白魚は椀を逐れて、炙物の端に粒の蚕豆が載る時となった。国元では伜が今までにない初めての入用、定めし急な買物であろうと、眼鏡は掛ても書簡の裏は透さずに、何がしという為替を早速送り越したので、貞之進は見るより早くその暮方、かねて新調の藍縞糸織の袷に、白縮緬の三尺を巻附け、羽織は元の奉書で、運動と見せて宿を立出で、顔を知らぬ車夫を選って柳橋手前で下り、ぶら/\と淀文の前まで来ると、何人の会合か隣家の戸口へかけて七八輛の黒塗車が居并らび、脊に褐色や萠黄や好々の記号を縫附けた紺法被が往来し、二階は温雅した内におのずからさゞめいて居るので、さすがに貞之進は逡巡みして引還そうとする時、あなたやと二階裏で高く呼んだ声が、小歌の声のように思われて立留ったが、よしや小歌であった所がよその座敷へ出て居る事、悪い時に来たものとそろり/\元の路へ帰る向うに、代地の方から箱丁に送られて橋を下る芸者は、どうやら小歌らしい趣きがあるので、さては今の声は別人か、それかこれかと摺れ違うように近づくと、幸いなるかな橋の街燈に顔を見合せて、目賀田さんと向うから呼懸けた。

どこへ入来るのと問われて、あすこへ行こうと思ったがと淀文の方を向て見せれば、そう、入来いな儂も今明いて来た所ですから、今日は早いお客さまと告げるに、そのまゝ貞之進は四五間連立って行ったが、会でもあるようだと云ったので小歌は立留り、それじゃアあなたには騒々敷でしょう、春泉へ行って御覧なさいなと云れて、その春泉に馴染はないけれども、杖にも柱にも小歌があれば心丈夫と、そんならと言懸けたのがもはや認めた詞で、小歌はわざと遅れて来る箱丁を顧み、安どんこれから春泉へ行くからね、家へちょっとそう云って置てお呉れと云えば、はいと箱丁はすぐに新道の角を曲った。小歌は近頃小紋織とかいう御召の袷、色は藍気鼠、黒の唐繻子の帯を締て、下駄は黒塗の小町とかいうもの、それと倶に歩く貞之進は、親く女と連立ったは初てなりその女は小歌なりで、嬉いような恥しいような、それで何だか落着ぬようで、往来の人に顔を隠したくあり見られたくあり、旦那お合乗如何ですと、からかい半分の車夫に跡を躡られて、足を早めて小歌と離れたが、まただん/\に寄て来て、手を取らぬばかりになって米沢町を右に、元柳橋から二つ手前の細小路へ折れて這入った。

燈籠の火の幽かに洩れる格子戸を開けて、お神さんお客さまと、小歌が庭に音を立てれば、この春泉というは待合で、円顔の雛形ともいうような廿ばかりの婢が出迎え、貞之進をちらりと視て奥にしましょうかと小歌に云えば、そうねえあなた入来いと、上り口を横に通過ぎて、庭づたいに小歌が先へ立て行くを、婢は竹筒のような台の洋燈に、俗に玉火屋というのを懸けたのを右手に持て潛りぬけ、奥まった一室の障子をあければ、三尺の床に袋戸棚が隣ってそこから座蒲団が引出され、掛花活の薊は大方萎れて、無頓着が売物の小座敷だ、婢は云う御酒は、小歌は云うあがらないの、だけれども印しにと貞之進に向い、あなた御飯はと小歌が尋ぬるに、まだと貞之進が云えば、何になさいます鳥になさいな今の内ですからと云て、儂が食べる人のようだと婢を看返れば、どうせ歌ちゃんも一緒でしょうお椀の滋味いのか何かと、両女が笑う間に纒まって婢は立去った、椀来り、鳥来り、小歌と向い合いに膳をならべた貞之進は、それが今連立って歩いた時よりも、一層嬉しいような恥しいような、さて又一層肚が落つかぬようで箸も早く置いたが、婢が小歌に茶を侑めて、御新造さまと云ったのに貞之進は耳から赤くし、あいよと応揚に御新造を真似た小歌の顔を、どうしても見て居られずに俯いたが、それは厭で見て居られぬのではなく、自分で自分に気がさすことがあって、むしろこちらで向うが見ないように仕たようなものだ。

出て行ったばかりの婢がすぐ戻って来て、小歌さんちょっとと呼ぶに、小歌は座敷の上り口に立って二言三言話合い、あゝそうあゝそうとしきりに点頭いて居たが、あなた誠に済ませんが小歌さんをしばらく拝借しますと云うと、小歌も傍から二階のお客さまにちょいと御挨拶に行て来るのですからと云ので、放しともないが厭だとは云れず、宜しと云う下から小歌は急がわしく出て行ったが、その帰りを独ぽつねんと待つ貞之進は、何かは知らぬがただ一つ小歌に望むことがあるようで、その望がほとんど達し得られるようで、又達し得られないようで、更に考えればその望は向うが持って居るようで、こちらが持って居るようで、今晩それが打出したいようで打出されたいようで、千緒万縷胸に霞のいろ/\と乱れた耳元へ、二階から漏来る小歌の笑い声、もしや客は黒の羽織と云のではあるまいか、小歌の何かではあるまいかと思うと、ひとりでに二階が睨まれ、四五十分経って下りて来た小歌に、一番にどこの人と聞けば、横浜の方でお両人ですと云うにやゝ安心した。そしてその望と云うはどちらからも出ずに、貞之進ははなはだ遺憾げに帰りかゝる時、すっきりとした三十三四の鉄漿つけた内儀が礼に出て、門口まで送って来たが、歌ちゃん明日は縁日ですよと婢が云うを、小歌はそれには答えずして、あなた明日入来いな不動さまですよと、取次ぐように貞之進に云うと、お約束を願うサと内儀がこれを簡易に説明し、明日はと貞之進は少しく躊躇したが、悪く云れまいの念が先へ立って、そして一つには切脱ける口が重く、ついに宜いで点頭いて、半丁ばかり来て振返れば、春泉の二階になお燈光が見える、小歌はあのまゝ帰るか知らん、もしひょっと、もしひょっと、あゝもしひょっと、小歌はあのまゝ帰るか知らんと、こんなことが行手を遮って、吉川町の尽処までは車にも乗らなかった。

Chapter 10 of 15
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