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現代語訳 平家物語 09 第九巻
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現代語訳 平家物語 09 第九巻
作者不詳
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Chapter 3 of 19

河原合戦

宇治川で義仲勢を破った義経は飛脚を鎌倉へ送り、頼朝へ合戦の模様を報告した。使いを引見した頼朝は真先に聞いた。

「佐々木は如何したか?」

「宇治川の先陣をなされました」

との答えに、頼朝莞爾として日記をひらいてみると、

「宇治川の先陣佐々木四郎高綱、二陣梶原源太景季」

と記してあった。

宇治と勢多の守りは破られた、と報を受けた義仲は最後の暇を申そうと法皇の御所へ駆けつけたが、御所の前に来てみるとさていうべき言葉もない。ためらった後、彼は引き返し六条高倉に寄った。ここは京都へ来てから初めて愛するようになった彼の女がいるところである。女の家に入った義仲は最後の名残を惜しんで、なかなか出てこない。供につれていた新参の家来に越後中太家光という者があり、これが、

「敵はすでに河原まで攻め入っておりますのに、何で悠々と落ちつかれているのですか。それでは犬死なさいますぞ。一刻も早くお出まし下さい」

といったが、義仲は返事もしなかった。そこでこの男は、

「それでは、この家光がまずお先に参り、死出の山にて殿をお待ち申し上げます」

といって腹かき切ってこの場に果てた。さすがの義仲もこれには驚き、

「これはわれを励ます自害、奴には相済まぬことをしたぞ」

といって直ちに河原へ向った。従うものは上野国の住人那波太郎広純を始めおよそ百騎ばかり、六条河原に進んでくると、何処からともなく東国の勢と思われるのが三十騎ばかり現れた。その中から武者二騎が進み出てきた。塩谷五郎惟広と勅使河原五三郎有直の二人である。塩谷が、

「後陣の着くのを待つか」

というと、勅使河原は、

「敵の一陣は破られている。残党は知れたものだ、かまわず討て」

と叫んで義仲勢に向い駆けこんでゆくと、後の武士もこれに続いた。義仲も今日を最後とこれを迎え撃ち、東国勢は義仲を討たんと互いに犇めきあった。大将軍九郎御曹司義経は、軍を他の武士に任せ、自分は院の御所が気がかり故これを守護しようと、甲冑つけた五、六騎を率いて院の御所六条殿へ馳せ向った。

院の御所では、大膳大夫成忠が東の垣の上にのぼって合戦の様子は如何にと眺めていたが、足はふるえ、顔の色も青ざめている。その時京の街をまっしぐらに御所へ向う武士の一団があった。激戦の後と見え、緒もゆるんだのか兜もあみだになり、鎧の左袖を春風になびかせ、白旗をさっと押し立てて、砂煙黒く蹴立てて飛ばしてくる。成忠はもう生きた心地もしなかった。

「情なや、木曽が参りましたぞ」

と泣声を出すと、御所にいた公卿殿上人や女房にいたるまで、今度こそこの世の見納めと震える手を固く握りしめ、譫言のような声をだして願を立てはじめた。垣の上にいて、ふるえている成忠は武士たちが近づくにつれて、どうも木曽の武士たちとは違うことに気がついた。

「私には今日都へ入った東国の武士たちのように思えます。確かに皆笠印が入っております」

という言葉が終らぬうちに、御所の門前に汗びっしょりの馬を乗りつけた義経は、ひらりと馬から下りると家来に門を叩かせた。

「鎌倉の前右兵衛佐頼朝の弟、九郎義経にござる。宇治の勢を攻め破りこの御所を守護のために馳せ参った。門を開けて入れ給え」

と声高くいえば狂喜した成忠は、垣から飛び下りるはずみに腰をしたたか打って起きあがれない。それでも嬉しさが余って傷の痛みも忘れ這って法皇の御前へ参って報告した。法皇も大変喜ばれ義経を中へ入れた。

義経この日の装束は、赤地の錦の直垂、紫裾濃の鎧を着こみ、鍬形打った兜の緒をしめ、腰に黄金作りの太刀、背に切斑の矢二十四本を負い、かいこむ重籐の弓は鳥打の下を広さ一寸ばかりに切った紙で左巻きに巻いてある。これは大将軍のしるしであった。法皇は中門のれんじ窓からこれをご覧になり、

「雄々しげな者どもじゃ、皆名乗らせてみよ」

と仰せられたので、まず義経が名乗り、ついで安田三郎義定、畠山荘司次郎重忠、梶原源太景季、佐々木四郎高綱、渋谷右馬允重資がつぎつぎに名乗った。この時、義経が連れた武士たちは、鎧こそさまざまであったが、面魂やその骨格何れ劣らぬ強者揃いであった。成忠は法皇の仰せを受けて義経を広縁の端に呼び、合戦の様子を詳しく尋ねた。義経は、

「鎌倉の頼朝が木曽の狼藉を鎮めようと、範頼、義経の二兄弟に軍勢六万余騎をつけて京にのぼらせたのです。範頼は勢多の方から参りましたが、まだ一騎も着いておらぬ様子、私は宇治橋を攻め落し、ここの守護に参ったものでございます。義仲は河原をのぼって落ちて行きましたので軍兵に追わせておりますから、今頃は定めし討ち取ったことと存じます」

と畏まっていえば、法皇も満足のご様子で、

「木曽の残党がまた参って狼藉するかも知れぬ。そちたちはこの御所をよくよく守護せよ」

と仰せられたので、義経は承って四方の門を固めて待つうちに、傘下の武士たちもここに集り、その勢、瞬くうちに一万余騎になった。

義仲は、万一のことがあれば、法皇を連れて西国へ下り、平家と合力しようという考えを持っていたので、力の強い武士二十人を連れていたが、義経がすでに院の御所を守護していると聞き、もはやうつ術はないと諦めて河原をのぼって落ちていった。義仲は六条河原と三条河原の間で幾度も討ち死しようと思っていたが、心に浮ぶは右腕と頼む今井四郎のことである。彼は涙を流していった。

「こうなることがわかっていたら、今井を勢多へ行かせるのではなかった。幼い時から死なば一つ所でと誓い合った仲だ、今別々に討たれるのは何としても無念でならぬ。もう一度今井の行方を知りたいものだ、それまでは死ぬにも死なれぬ」

といって、なおも河原を上へ駆けのぼった。六条河原と三条河原の間で敵が襲いかかれば、取って返しては蹴散らし、引き返しては追い払った。少い手勢で雲霞の如き大軍を相手に戦って追い返すこと五、六度に及んだ。義仲はここから加茂川をさっと打ち渡り、粟田口、松坂にさしかかった。昨年信濃を出発した時その勢五万余騎、今、四の宮河原を過ぎる時義仲に従うものは僅か六騎である。まして今はあの世への旅の空だ。

Chapter 3 of 19
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