千手の前
鎌倉に着いた重衡は、早速頼朝の前に連れて来られた。頼朝はつくづく重衡を見やりながらいった。
「君の御憤りを安め、父の恥をすすぐため、戦いを挑んで以来、平家を亡ぼすことは予想通りでござったが、まさか、そこ許とかように対面できるとは夢にも思わなかったことじゃ。この分では、宗盛卿にお目にかかることもできるかも知れぬ。ところで、南都滅亡の大悪行は、故清盛殿のご命令か、もしくは、そこ許のとっさのご思案か?」
「その点は、両方ともに間違っておると思われまする。南都を攻めたのは、唯、衆徒の悪行を鎮めるためでございました。それが思わぬ伽藍の焼失を招いたのは、この身の不肖でござりましょう。昔のことを顧みますれば、かつては源平共に朝家のお守りとして活躍したものでした。それが、源氏の運が傾いてからは、当家ばかりは繁栄の一途をたどり、遂には帝のご外戚にまでなり、二十余年の間、一身の栄華を身に受けました。昔から朝敵を平げた者は七代まで、朝恩失せずと申しますが、どうやらこれは間違いだったようですな。平家は一代にて運も尽き果て、都を出てからは、私も山野に死し海上に漂うことは覚悟だったのですが、まさか、この鎌倉まで下ろうとは思いも寄らぬことでした。これも唯、先の世の宿業と口惜しく思います。しかし、弓矢とる身の常として、同じ弓矢の道の敵の手に渡って殺されることは、決して恥とは思いませぬ。この上は一日も早く首をはねて頂きたい」
重衡はそういうと、後はすっかり黙りこんでしまった。景時始め、並みいる人々も皆、心の内で感嘆しながら袖をぬらすのであった。
頼朝は重ねていった。
「私の敵としての平家に何の恨みもない。これもただ帝王の仰せに従ったまでのことでござる、お助けしたいは山々じゃが、何せ、南都滅亡の張本人ということになれば、南都の大衆がどのように出るか? そのいい分も聞かねばならぬでのう」
といって一先ず、伊豆国住人狩野介宗茂に預けられることとなった。狩野介は、情理に厚い武士であったから、罪人としてよりも、むしろ賓客をもてなすように手厚くもてなし、旅の労をいたわるのであった。
彼は先ず、湯殿を作って湯あみをさせてくれた。重衡が道中の汗で汚れた体をさっぱりと洗い流し、その上で首を斬られたいとひそかに願っていたからである。その重衡の気持を汲んでくれたような取り計いであった。久しぶりの湯で、すっかり寛いだ気分になっていると、年頃二十程、色の白い優しい顔をした女が、湯殿の戸を開けて入って来た。絞り染の単衣に湯巻をつけたかいがいしい姿であった。その後から十四、五ばかりの童女が手水盥に櫛を入れて持ってきた。女は背中を流したり、髪を洗ったりして、てきぱきと働いた。湯あみが済んでからその女は、情の深い優しい目に、ふかい同情をこめて、
「男どもにはいろいろ気骨も折れましょうが、女であれば仰有りやすうござりましょう、何でもお望みの事をおっしゃって下さいまし」
といった。
「このような身とては望みも別にありませぬが、ただ一つ出家をいたしとうて」
女は頼朝にこのことを告げると、頼朝は首を左右に振っていった。
「そればかりはわしの独断にはいかぬでのう、何せ、朝敵として預った人じゃ、許せぬと伝えよ」
女は又、重衡の許に来ると、気の毒そうに頼朝の言葉を告げて帰っていった。
その物腰といい、態度といい、とても東国の女とは思えぬ程の、みやびやかさと気品があった。
「一体、今の女房はそも何という者でしょうか? まことにすぐれてやさしい女房じゃが」
「あれは、手越の長者の娘で、このあたりでも評判の娘でございます。鎌倉殿のお目に留まって以来、此の二、三年お館に仕えておりますが、見目形は申すに及ばず、心も気質も優しい女性でございます、名は千手の前と申します」
警固の侍の言葉に、重衡は深くうなずくのであった。
その夕方である。雨もよいの空は、暗く低く、何となく気の滅入りそうな空模様である。そこへ、千手の前が、琵琶と琴をたずさえてやってきた。重衡を慰めよ、という頼朝の計らいであった。狩野介も、家の子、郎党十数人を引き連れて一座に加わった。しめやかな酒盛が始った。千手の前の傾ける酒に口をつける重衡の顔には、物憂い表情が漂うばかりで、一向に興あり気には見えなかった。
「私は伊豆の国の侍でございまして、鎌倉滞在中は、いわば殿方と同じ旅の空というわけでございますが、及ぶ限りの事はいたすつもりでございます。何なりと仰せ出され下さい。それ千手殿、そなたも、何なりと歌など歌って、酒などおすすめ参らせい」
狩野介の言葉に応じて、千手は直ぐさま、
羅綺の重衣たる情なきを機婦に妬む
という朗詠を、くりかえしくりかえし高らかに歌った。
「この朗詠を歌えば、北野天神が毎日三度、歌った人の囲りをかけめぐり、守護して下さるといわれているが、この私は神にも捨てられた身で、今更、唱和しても仕方がないが、まあいくらかでも罪が軽くなるというのなら一緒に歌おうか」
すると、千手はあとを続けて、
十悪といえども引摂す
と詠じ、
極楽ねがわん人は、皆弥陀の名号となうべし
と、今様を四、五回歌った。漸く、酒も廻り始めて、座の空気が寛ぎ始めた。千手は琴を取り出して弾き始めた。曲は五常楽であった。重衡は笑いながらいった。
「この曲は五常楽じゃが、私のためには、後生楽じゃ、どれ今度は私が、往生の急を弾こうか」
こんどは自ら琵琶を取りあげて、皇の急を弾き出されるのであった。
次第に夜も深くなるに従い、重衡の顔は次第にいきいきと嬉しそうに見えてきた。時々千手の前を見遣りながら、
「全く東国の女子に、かように何事にも優れた女性がいるとは知らなかった。千手の前程の人は都にさえ珍しいほどじゃ」
感嘆の声をもらしながら、今様をもう一曲所望した。
一樹の陰に宿り逢い、同じ流れを掬ぶも、皆是先世の契りなり
という白拍子の歌を、千手は巧みに歌うのだった。この歌にひどく興を覚えた重衡は、続いて、
灯闇うしては、数行虞氏が涙、夜深うしては、四面楚歌の声
と朗詠するのであった。漢の高祖との戦に破れた楚の項羽が、虞氏との別れの切なさを歌ったものだが、今日の重衡の心境そのままをいいあらわしてまことにみごとであった。
数々の慰みごとに、時の経つのも忘れていたが、気がついてみると夜は白々と明け初めていた。狩野介始め家の子、郎党達、千手の前も暇を告げて重衡の許を辞した。
その朝のことである。
頼朝が、持仏堂で法華経を読んでいると、千手が現れた。
「ゆうべはご苦労だったのう、中々取り持ちがうまかったそうだな」
頼朝は、上機嫌で千手にいった。丁度その前で書き物をしていた斎院次官親義が、けげんな顔をしてたずねた。
「何の事でござりますか」
「いや昨夜、重衡卿のつれづれをお慰めしにこの千手が参ったのじゃが、さすがは平家の公達、いくさに追われてのあわただしい生活では、遊芸もままならぬであろうと思ったが、どうして、どうして、あの琵琶の撥音といい、口ずさまれた歌い振りといい、見事なものじゃったわい。わしは夜中立ち聞きしてしまったよ」
すると、親義がいった。
「私も昨夜、聞きたい、聞きたいと思いながら、所労のため聞きもらしたは残念でした、これからはいつも立ち聞きすることにいたします。とにかく平家ご一門は、名にし負う才人揃いで、とりわけ重衡卿はその名も高い方です。いつぞや、一門を花にたとえたとき、三位中将は牡丹になぞらえられたことがあったほどです」
「確かにそうであろうのう」
頼朝は後々までも感心したのであった。
千手の前にとってもこの時の思い出は、忘れられぬものであった。彼女は、重衡が南都へ渡され、斬られたと聞いてからは、墨染の衣に身を変えて、重衡の菩提をとむらったのであった。