Kembali
Before the Dawn 01: Part One, Upper Volume
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Before the Dawn 01: Part One, Upper Volume
島崎藤村
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Tema
Terang
Gelap
Sepia
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 3 of 37

三

山の中の深さを思わせるようなものが、この村の周囲には数知れずあった。林には鹿も住んでいた。あの用心深い獣は村の東南を流れる細い下坂川について、よくそこへ水を飲みに降りて来た。

古い歴史のある御坂越をも、ここから恵那山脈の方に望むことができる。大宝の昔に初めて開かれた木曾路とは、実はその御坂を越えたものであるという。その御坂越から幾つかの谷を隔てた恵那山のすその方には、霧が原の高原もひらけていて、そこにはまた古代の牧場の跡が遠くかすかに光っている。

この山の中だ。時には荒くれた猪が人家の並ぶ街道にまで飛び出す。塩沢というところから出て来た猪は、宿はずれの陣場から薬師堂の前を通り、それから村の舞台の方をあばれ回って、馬場へ突進したことがある。それ猪だと言って、皆々鉄砲などを持ち出して騒いだが、日暮れになってその行くえもわからなかった。この勢いのいい獣に比べると、向山から鹿の飛び出した時は、石屋の坂の方へ行き、七回りの藪へはいった。おおぜいの村の人が集まって、とうとう一矢でその鹿を射とめた。ところが隣村の湯舟沢の方から抗議が出て、しまいには口論にまでなったことがある。

「鹿よりも、けんかの方がよっぽどおもしろかった。」

と吉左衛門は金兵衛に言って見せて笑った。何かというと二人は村のことに引っぱり出されるが、そんなけんかは取り合わなかった。

檜木、椹、明檜、高野槇、※――これを木曾では五木という。そういう樹木の生長する森林の方はことに山も深い。この地方には巣山、留山、明山の区別があって、巣山と留山とは絶対に村民の立ち入ることを許されない森林地帯であり、明山のみが自由林とされていた。その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することを禁じられていた。これは森林保護の精神より出たことは明らかで、木曾山を管理する尾張藩がそれほどこの地方から生まれて来る良い材木を重く視ていたのである。取り締まりはやかましい。すこしの怠りでもあると、木曾谷中三十三か村の庄屋は上松の陣屋へ呼び出される。吉左衛門の家は代々本陣庄屋問屋の三役を兼ねたから、そのたびに庄屋として、背伐りの厳禁を犯した村民のため言い開きをしなければならなかった。どうして檜木一本でもばかにならない。陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命よりも重かった。

「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」

陣屋の役人の威し文句だ。

この役人が吟味のために村へはいり込むといううわさでも伝わると、猪や鹿どころの騒ぎでなかった。あわてて不用の材木を焼き捨てるものがある。囲って置いた檜板を他へ移すものがある。多分の木を盗んで置いて、板にへいだり、売りさばいたりした村の人などはことに狼狽する。背伐りの吟味と言えば、村じゅう家探しの評判が立つほど厳重をきわめたものだ。

目証の弥平はもう長いこと村に滞在して、幕府時代の卑い「おかっぴき」の役目をつとめていた。弥平の案内で、福島の役所からの役人を迎えた日のことは、一生忘れられない出来事の一つとして、まだ吉左衛門の記憶には新しくてある。その吟味は本陣の家の門内で行なわれた。のみならず、そんなにたくさんな怪我人を出したことも、村の歴史としてかつて聞かなかったことだ。前庭の上段には、福島から来た役人の年寄、用人、書役などが居並んで、そのわきには足軽が四人も控えた。それから村じゅうのものが呼び出された。その科によって腰繩手錠で宿役人の中へ預けられることになった。もっとも、老年で七十歳以上のものは手錠を免ぜられ、すでに死亡したものは「お叱り」というだけにとどめて特別な憐憫を加えられた。

この光景をのぞき見ようとして、庭のすみの梨の木のかげに隠れていたものもある。その中に吉左衛門が忰の半蔵もいる。当時十八歳の半蔵は、目を据えて、役人のすることや、腰繩につながれた村の人たちのさまを見ている。それに吉左衛門は気がついて、

「さあ、行った、行った――ここはお前たちなぞの立ってるところじゃない。」

としかった。

六十一人もの村民が宿役人へ預けられることになったのも、その時だ。その中の十人は金兵衛が預かった。馬籠の宿役人や組頭としてこれが見ていられるものでもない。福島の役人たちが湯舟沢村の方へ引き揚げて行った後で、「お叱り」のものの赦免せられるようにと、不幸な村民のために一同お日待をつとめた。その時のお札は一枚ずつ村じゅうへ配当した。

この出来事があってから二十日ばかり過ぎに、「お叱り」のものの残らず手錠を免ぜられる日がようやく来た。福島からは三人の役人が出張してそれを伝えた。

手錠を解かれた小前のものの一人は、役人の前に進み出て、おずおずとした調子で言った。

「畏れながら申し上げます。木曾は御承知のとおりな山の中でございます。こんな田畑もすくないような土地でございます。お役人様の前ですが、山の林にでもすがるよりほかに、わたくしどもの立つ瀬はございません。」

Chapter 3 of 37
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