Kembali
Before the Dawn 01: Part One, Upper Volume
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Before the Dawn 01: Part One, Upper Volume
島崎藤村
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Terang
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 4 of 37

四

新茶屋に、馬籠の宿の一番西のはずれのところに、その路傍に芭蕉の句塚の建てられたころは、なんと言っても徳川の代はまだ平和であった。

木曾路の入り口に新しい名所を一つ造る、信濃と美濃の国境にあたる一里塚に近い位置をえらんで街道を往来する旅人の目にもよくつくような緩慢な丘のすそに翁塚を建てる、山石や躑躅や蘭などを運んで行って周囲に休息の思いを与える、土を盛りあげた塚の上に翁の句碑を置く――その楽しい考えが、日ごろ俳諧なぞに遊ぶと聞いたこともない金兵衛の胸に浮かんだということは、それだけでも吉左衛門を驚かした。そういう吉左衛門はいくらか風雅の道に嗜みもあって、本陣や庄屋の仕事のかたわら、美濃派の俳諧の流れをくんだ句作にふけることもあったからで。

あれほど山里に住む心地を引き出されたことも、吉左衛門らにはめずらしかった。金兵衛はまた石屋に渡した仕事もほぼできたと言って、その都度句碑の工事を見に吉左衛門を誘った。二人とも山家風な軽袗(地方により、もんぺいというもの)をはいて出かけたものだ。

「親父も俳諧は好きでした。自分の生きているうちに翁塚の一つも建てて置きたいと、口癖のようにそう言っていました。まあ、あの親父の供養にと思って、わたしもこんなことを思い立ちましたよ。」

そう言って見せる金兵衛の案内で、吉左衛門も工作された石のそばに寄って見た。碑の表面には左の文字が読まれた。

送られつ送りつ果は木曾の龝  はせを

「これは達者に書いてある。」

「でも、この秋という字がわたしはすこし気に入らん。禾へんがくずして書いてあって、それにつくりが龜でしょう。」

「こういう書き方もありますサ。」

「どうもこれでは木曾の蠅としか読めない。」

こんな話の出たのも、一昔前だ。

あれは天保十四年にあたる。いわゆる天保の改革の頃で、世の中建て直しということがしきりに触れ出される。村方一切の諸帳簿の取り調べが始まる。福島の役所からは公役、普請役が上って来る。尾張藩の寺社奉行、または材木方の通行も続く。馬籠の荒町にある村社の鳥居のために檜木を背伐りしたと言って、その始末書を取られるような細かい干渉がやって来る。村民の使用する煙草入れ、紙入れから、女のかんざしまで、およそ銀という銀を用いた類のものは、すべて引き上げられ、封印をつけられ、目方まで改められて、庄屋預けということになる。それほど政治はこまかくなって、句碑一つもうっかり建てられないような時世ではあったが、まだまだそれでも社会にゆとりがあった。

翁塚の供養はその年の四月のはじめに行なわれた。あいにくと曇った日で、八つ半時より雨も降り出した。招きを受けた客は、おもに美濃の連中で、手土産も田舎らしく、扇子に羊羹を添えて来るもの、生椎茸をさげて来るもの、先代の好きな菓子を仏前へと言ってわざわざ玉あられ一箱用意して来るもの、それらの人たちが金兵衛方へ集まって見た時は、国も二つ、言葉の訛りもまた二つに入れまじった。その中には、峠一つ降りたところに住む隣宿落合の宗匠、崇佐坊も招かれて来た。この人の世話で、美濃派の俳席らしい支考の『三の図』なぞの壁にかけられたところで、やがて連中の付合があった。

主人役の金兵衛は、自分で五十韻、ないし百韻の仲間入りはできないまでも、

「これで、さぞ親父もよろこびましょうよ。」

と言って、弁当に酒さかななど重詰にして出し、招いた人たちの間を斡旋した。

その日は新たにできた塚のもとに一同集まって、そこで吟声供養を済ますはずであった。ところが、記念の一巻を巻き終わるのに日暮れ方までかかって、吟声は金兵衛の宅で済ました。供養の式だけを新茶屋の方で行なった。

昔気質の金兵衛は亡父の形見だと言って、その日の宗匠崇佐坊へ茶縞の綿入れ羽織なぞを贈るために、わざわざ自分で落合まで出かけて行く人である。

吉左衛門は金兵衛に言った。

「やっぱり君はわたしのよい友だちだ。」

Chapter 4 of 37
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