下
久しぶりに逢つた叡子さんは、昔、素顔君に肩をかして黙々として歩いて居つた一少女とは見違へるほどに人と成つてゐた。髪容ちや服装などにいくらか女学生の名残りはとゞめてゐたが併しもう立派な一個の女性となつてゐた。昔は沈黙であつた一少女も、今はこちらの問ふ事に対してはき/\と返辞をした。物に臆するやうな処は少しもなかつた。
嘗て素顔追悼号を出した「木兎」に、未亡人とし子さんは斯う書いてをるのを見た。
「実家の父、子供たちにとつては外祖父が、子供と一緒に火鉢を囲んでしみ/″\と、
『お父さまもあの体でようこゝまで生きて下さつた。御苦労さんだつたなあ。今頃は楽になつてほつとしてゐなさるだらうなあ。』
と話してゐるのを隣室から聞くともなしに聞いて私はハツと、自分の悲しみにとぢ籠つてゐた私自身を省みて、故人をはじめみんなに相すま無く思ふと共に
『お祖父さんのおつしやつたやうに、本当にお父さまは御苦労であつたのね。こゝまで生き抜いて下さつたことを感謝して、明るくあたゝかい日日を過しませうね。』
と約束したのであつた。」
と書いてをる。斯くしてとし子さんは、亡き夫に代つて家を守り、叡子さんをはじめ多くの子女を明るく素直に育て上げ、殊に昨今は同志社を卒業した叡子さんを膝下に置いて其の薫陶に余念もなく、又叡子さんは母を助けてよく其の支へ柱となつてゐるであらうことは、今叡子さんを目の前に置いて、想像に難くないのであつた。
私は、此の日は俳句の会が午後からあるので、午からは外出せなければならず、香葎君、叡子さん、それに老妻をも加へて、四畳半で炬燵を取り囲んで、其の上でお惣菜の昼飯をしたゝめることにした。小さいコツプに一杯づつの酒をついで御飯の前にその盃を挙げて互の健康を祝し、殊に叡子さんが何物にも煩はされずすくすくと素直に伸び育つて来たことを祝福した。それはほんの口を湿ほすほどの少量の酒であつたが、御飯をたべて居るなかば頃から、叡子さんの顔はだん/\と赤くなつて来た。老妻は笑つて
「まあ、叡子さん、まつかになつて。」
と言つた。
叡子さんは黙つて頬をおさへ、席をかへて坐つたが、その顔は愈々赤くなつて来た。香葎君も笑ひ、私も笑つた。
私は此の時の叡子さんを美しいと思つた。嘗て素顔君に肩を貸して黙つて蓼川までの道を歩いて行つた時の陰気な淋しい面影は払拭されて、つゝましやかではあるが、快活で、それで今斯く目のあたりに見て、別に粧ひを凝らしてゐるとも思へない顔を真赤にして、一杯の酒の酔を持てあましてゐるらしい、それを大変美しいものと眺めた。
新年の俳句会の放送をした時、私は、この時の叡子さんの事を思ひ出してかういふ句を作つた。
この女この時艶に屠蘇の酔
あとでこれは誰のことを言つたのかといふ質問があつたので、私はいつかの叡子さんの事を話した。放送俳句会の為に豊岡から出て来てゐた杞陽君は、
「叡子さんが『この女』になつたのですね。」
と笑つた。
その後和田山に帰つた叡子さんから手紙が来たが、その手紙には斯ういふ事が書いてあつた。
「先生がお留守になつてから奥様のお許しを得て俳小屋を一見しました。其処には先生の毎日のお仕事が運ばれて居る様子を想像する事が出来ました。」
と書いてあつた。それから又かういふ事が書いてあつた。
「かねて承つてをりました椿子さまにもお目にかゝりました。これが常に先生のおそばにあつて明け暮れをお慰さめしてゐるのかと思ふとおなつかしく思ひました。」
と書いてあつた。
叡子さんも、お母さんのとし子さんも、以前は素顔君の感化で俳句を作つて居つた。がその後は作つて居るやうな様子も聞かなかつた。或は作つて居つたのかも知れないが、それらしい様子は私には伝はらなかつた。久し振りに香葎君と一緒に私の家を訪ねたことが機会になつて、それからの叡子さんは又香葎君の仲間と共に熱心に俳句を作るやうになつたらしい。その会の句稿が私の所に廻つて来た時分に、選をして返すのを楽しみに待つてをるといふ手紙が来た。さうして今度は二句選ばれた、今度は一句も無かつた、といふやうな事を其の都度報じて来た。
今年の椿も真赤に咲いた。例の如く椅子に腰を掛けて毎日のやうに眺めるのであつたが、併し嘗てのやうな感じは、はつきりとは浮ばなかつた。此の赤い椿に包まれて雲に乗つて自由に大空をさまよひ歩くやうな空想は、全く起らないではなかつたが、現れては消えるといふやうな影の薄い朧気なものであつた。本箱の上の箱に這入つてゐる椿子を見ると、それもなんだか生気がなく、埃つぽく見えた。私はそれを机の上に下ろした。
私は不図この椿子を叡子さんに贈らうかと思ひ立つた。なぜ叡子さんに贈らうかと思ひ立つたかと自分で考へて見たが、その理由は判らなかつた。只、私の留守に叡子さんが俳小屋に這入つて、この椿子を見てなつかしく感じた、といふ事以外には其の理由は見出せなかつた。が只なんとなく叡子さんに贈らうかと思ひ立つた。叡子さんに葉書を書いた。さうして椿子をあなたに上げようかと思ふのであるがお受取り下さいますか、といふ意味のことを言つてやつた。叡子さんから返事が来た。
椿子さんを私に下さるとの御事、夢のやうな気がいたしながら拝見いたしました。可愛らしい顔が思ひ出せて参ります。是非々々戴かせて下さいませ。身にあまる光栄でございます。三年間先生のお側を離れなかつた椿子さん、必ず可愛がつて淋しがらせぬやうに致しますから戴かせて下さいませ。
お葉書を手にして裏に居る母と話して居ました。山椿の赤い花がしめつた岩の上に落ち重なりました。それから草取りをしてゐる間にも、鎌倉のお書斎の先生、お書斎に侍んべつてゐる椿子さんのことを思つてゐました。香葎さまにお電話して、大変なことになつたと話し合ひました。
父が元気であればどんなにか喜んで呉れるだらうかと思ひます。
明日は末の妹の入学式(小学一年生)でございます。杞陽先生のお宅のおぼつちやんもおない年であつたやうに存じてをります。
生野鉱山においでになりました山口青邨先生をお迎へしての句会は、夜でございますので帰る汽車がございません。楽しみにしてをりましたのに残念でございます。
それから椿子を受取つた時の手紙に、
只今、椿子さんが無事到著いたしました。ほんたうに有難うございました。不思議な運命の椿子さんが今私の手にございます。亡き父がいつも私にしてくれてゐたやうに、今私は椿子さんの髪を撫ぜてやつて居ります。
それから又二三日して、
近日杞陽先生にお願ひして、昭子奥さまをお招きして、椿子さんの歓迎句会を催すことにいたし度いと存じます。楽しみでございます。
それからその時の句会の結果を報告して来た手紙に、
ふくみたる酒にほの/″\桃日和 とし子
椿子と叡子とふと似春の宵 香葎
逝く春の卓に椿子物語 昭子
他に三四人の句が書かれてあつた。さうして椿子を詠つた叡子さんの句は無く、かういふ句があつた。
夜桜にまじる裸木おそろしく 叡子
さうして又
今皆様を送り出した部屋には只椿子と私があるのみでございます。此の際句作する心を取り戻した母を嬉しいと思ひます。
香葎君、並に香葎君の細君のはる女さんからも椿子句会のことを報じて来た。又杞陽君からも手紙が来た。
今日叡子主催椿子歓迎会。私は留守番、昭子が参りました。電話がかゝつて来て、大変面白い句会であつたとのこと。昭子は和田山一泊とのこと。
この間、椿子をいたゞきたての叡子さんに逢ひました。大変仕合せさうでした。
私は山田徳兵衛君に此事を報ぜなければならぬと思ひながら、まだ其のまゝにしてゐる。
私は椿子をどういふ意味で叡子さんに贈つたのであつたかといふ事を考へて見たが、矢張り明らかなことを答へることが出来なかつた。たゞなんとなく叡子さんに贈りたいやうな心持がして贈つたのであつた。斯く椿子歓迎句会が催され、京極昭子さんまでがそれに参会されたといふ事を聞くのも、又、叡子さんのお母さんのとし子さんもそれに依つて句作の心を取り戻されたといふことを聞くのも、それが私の叡子さんに贈つた心持と合つたものであらうとも、又違つたものであらうとも、私にとつて満足の事であらねばならなかつた。
或事の為め上京した杞陽君は、其の用事を果した後、一日暇を見て鎌倉の草庵を訪れた。話が椿子のことにも及んだ。
さうして叡子さんに頼まれた短冊を取り出して、それに句を書けとのことであつた。私は、
椿子と名付けてそばに侍らしめ
椿子に絵日傘持たせやるべきか
それから椿の句をも二三認めた。杞陽君は叡子さんに代つて丁寧に礼を言つて、それを風呂敷にくるんだ。其の容子がをかしかつた。
「何だか恋の使のやうですね。」
と笑つた。杞陽君も
「若い娘さんの使ですからね。」
と笑つた。
椿子を入れるための硝子の箱を其の後山田徳兵衛君から送つて来たのが其のまゝにしてあつた。それはまだ叡子さんに送つてなかつた。こはれものだから誰かいゝ序があつた時分に頼まうと思つて居ると私は話した。杞陽君は私が持つて行つてもいゝのだが、外に重い鞄も持つてゐるからと躊躇してゐた。併し、その硝子の包みを見せて呉れと言つたので、私は取り出して見せた。杞陽君はそれを見て、矢張り私が持つて行くことにしませうと言つた。重い鞄のほかにそれを提げて玄関を出る時には「恋の重荷」といふ感じがした。
米原駅から出した鉛筆書きの葉書が来た。
「椿子の箱、只今伊吹山麓を通過。五月二十五日朝、米原駅、京極杞陽」
●図書カード