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俳句とはどんなものか
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俳句とはどんなものか
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Chapter 3 of 5

第二章 季題

前章では俳句というものの大体の概念を与えるのを目的としましたからごく大ざっぱなお話をいたしましたが、本章からはいま少しこまごまとしたお話に立ち入ってみようと思います。

「ああ暑い」「ああ寒い」とは誰もよく申すことであります。「おはよう」とか「御機嫌よう」とかいう言葉の次に出るのは、「お暑うございます」「お寒うございます」という挨拶でございます。手紙に書く文句の初めにもいわゆる時候の挨拶がきまって連ねられます。

時候というものが我等日常生活の上にいかに大きな関係を持っていて、その日その時の我等の気分を支配してゆく力のいかに強いものであるかということはこれによっても知られることであります。

俳句はこの時候というものにもっとも重きをおいた文学であります。(9)

こう言ったばかりではまだ何のことだかお判りになりますまい。いま少し詳しく説明すると、

俳句はこの時候の変化につれて起ってくるいろいろの現象を諷う文学であります。(10)

時候が春、夏、秋、冬の四季に分かれていることは申すまでもありません。ここにその春が来るにつけて起って来る現象の一例を申しますと、まず今まで肌を切るような北風ばかり吹いていたのが、いつの間にか暖かみを帯びた東風に変わります。この東風の吹くということはとりもなおさず時候の変化につれて起って来た現象の一つであります。……天文上の現象

また春が来ますと、今まで涸れがれになったり氷が張りつめていたりした溝川の水などがいつの間にか氷も溶けてしまい少しずつ分量も増してきて、沈んでいた芥もぽかぽかと浮かびだしてくるような心持ちになります。

俳句ではこれを水温むと申します。水温むということも時候の変化につれて起ってきた現象の一つであります。……地理上の現象

また春が来ますと、秋以来冬にかけては大方はせわしげに鳴く小鳥ばかりであった中にたまたま一つの悠長な鳴き声か交じるようになります。それは古えから歌人なども称美し来った鶯であります。この鶯の啼き始めるということも時候の変化につれて起ってきた現象の一つであります。……動物上の現象

また春が来ますと、今までは蕭条として常磐木のほかの万木千草はことごとく枯れ果てたかと思われていた中に、その一つの枯木の枝頭に忽として芬香を吐くところの白いものを見出します。それは梅の花であります。この梅の花の開くということも時候の変化にともなって起り来った現象の一つであります。……植物上の現象

また春が来ますと、大空にはいつの間にか紙鳶の揚がっているのが目につき同時に今まで打棄ってあった野良の田畑にぽつぽつと百姓の姿を認めるようになります。それは百姓が彼岸になるといろいろの種を蒔きますその準備のために畑を打ち返すのであります。俳句ではそれを畑打と申します。この畑打ということも時候の変化にともなって起り来った現象の一つであります。……人事上の現象

秋の日の釣瓶落しということをよくいいます。それは日暮になったかと思うとたちまち暮れてしまうだんだん日の短くなってゆく秋の心持をいったものでありますが、それが冬に入りますとますますつまってきて五時でも打つともう灯をつけねば手元が暗くて仕事ができぬというようになってきます。がまた日の短い頂上の冬至を過ぎると今度は反対に少しずつ延びてきていよいよ春にはいったとなるとよほどもう日永の心持がしてきます。一番日の永い頂上は申すまでもなく夏至でありますが、前申した秋の日の釣瓶落しというようにそのにわかに日の短くなった心持が冬の頂上よりもかえって秋において強いように、日永という感じも夏よりもかえって春において強いところがあります。それで俳句ではその春の日の永くなった心持を特に日永と呼んでおります。

――日永についてはもっと詳しく説明しないと言葉がたりませんが、今それをいうと混雑をきたしますから後に譲ります。(11)

この日永ということも時候の変化にともなって起った現象の一つであります。……天文、地理、動物、植物、人事などの分類に入らぬ現象

以上はほんの手近い一、二の例を引いたのに過ぎないのでありますがこれに似寄ったことはたくさんあります。以上のべた例から類推しても直ちに若干の題目を挙げ得るのであります。

試みにその題目を少し列挙してみましょうか。

東風から類推し得るもの――春風、春雨、霞、朧月など。……天文上の現象水温むから類推し得るもの――氷解、春の水、春の山、春の海など。……地理上の現象鶯から類推し得るもの――燕、雲雀、蝶、蜂など。……動物上の現象梅の花から類推し得るもの――桜の花、椿の花、藤の花、躑躅の花など。……植物上の現象畑打から類推し得るもの――種蒔、接木、さし木など。……人事上の現象日永より類推し得るもの――のどか、暖か、うららか、春の夜など。……天文、地理、動物、植物、人事などの分類に入らぬ現象 しかしこうならべたてましたところで、読者の中にはただちにこれらの題目を類推し得られる方と得られない方とがあることだろうと思います。その得られない方にあってはなにゆえにそれらを類推し得るかをまず疑問とせられるでありましょう。

私はその疑問に答えるために小さい文字でもって「天文上の現象」とか「地理上の現象」とかいう脚註を施しておいたのでございます。

およそ時候の変化にともなって起って来るあらゆる現象を便利のために分類してみますと、

天文に属するもの  蒼天、空間などに起こること。地理に属するもの  地上に起こること。動物に属するもの植物に属するもの人事に属するもの  人間の行為、人体などに関するもの。時候に属するもの  以上五つの分類に入らぬもの。とまずこの六つになります。これも何も六つに限ったというわけではなく、もっと細かく分類しようと思えばいくらにでも分類ができるのでありますが、これくらいにしておくのが比較的便宜なために、普通この六つに分類します。――このうち最後の「時候」というのは、時候を分類してさらに時候を得たことになって少しおかしいようではありますが、つまり天文にも地理にも動物にも人事にも入れることのできなかった残りものを、やはり時候という、その実前よりも範囲の狭い名の下に一分科としておくのであります。――そうしてこの分類を土台として、たとえば東風と同じ天文に属するからというので春風、春雨、霞、朧月というふうに類推してゆくのであります。

六 時候の変化によって起こる現象を俳句にては季のものまたは季題と呼びます

さらに進んで俳句と季題との関係を説きましょう。

まず第一に俳句以外の文学と季題との関係はどんなものでありましょうか、それをちょっと取り調べておく必要があろうかと思います。

俳句についで季題に関係の深いのは和歌でありましょう。試みに和歌の類集というようなものを開けてみますとやはり俳句の類集と同じように春の部、夏の部、秋の部、冬の部などと四季の分類がしてあります。しかも俳句の類集とくらべてそこに顕著な二つの相違があることを忘れてはなりません。

その一つは句集には春の部、夏の部、秋の部、冬の部という四大別がしてありまして、そのほかにはたまに新年の部というのが春の部もしくは冬の部の隷属として設けてあるくらいのもので一切他の分類はありません。それが歌集になりますとなかなか四季の分類だけでは終わっておりません。仮りにその歌集が五冊あるものとしますと、初めの二冊が四季の部で、あと二冊が恋の部で、残り一冊が羈旅の部、無常の部などの雑居というような始末であります。これはとりもなおさず和歌はある点まで四季すなわち時候と深い関係をもっているがしかし無関係でも成り立ち得るのみならず恋、羈旅、無常などという強く人情を刺激する性質のものにはさらに季のものを必要としないということを証明しているのであります。がそれが俳句になりますと四季の分類以外に出るものは一句もなく、たとい恋、羈旅、無常などを詠ずるとしましても必ずそれは季のものを詠みこむのであります。歌の方では卑近な百人一首から例をとってみますと、

秋の田の刈穂の庵の苫を荒み我衣手は露にぬれつゝ

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐやま

これらは太字が皆季のものでありますから四季の分類に入るべき和歌でありますが、

夜をこめて鶏の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ

魂の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

などという恋歌は四季の分類に入れようとしても入れようがありません。ところが俳句になりますと、

紅梅や見ぬ恋つくる玉簾  芭蕉

短夜や伽羅の匂ひの胸ぶくれ  几董

というような恋句のごときものでもちゃんと太字のような季のものが読みこんであります。私は例によって簡単に句意を説明して、この二つの恋句の上に季のものがどれだけの力をもっているかを調べてみることにいたしましょう。

芭蕉の句意はこうであります。ある邸のうちの庭に紅梅が咲いていてそれが艶に美しい色を見せているが、その庭を隔てた向こうの対屋には玉簾が下がっていてその中には人のいそうな心持がする、果たしてどんな人がいるのかその中は見るよしもないが、なかなかにそれがなつかしく慕わしい心持がするというのであります。

几董の句意はこうであります。恋し合っている仲の男女が、ある夏の夜――短夜というのは夏の夜のことであります。夏は事実においてもっとも日が永いことは前条にのべましたが同時に夜はもっとも短くって、朝の四時頃にはもう白みかけます。それで俳句では夏の夜のことを短夜といいます――逢って、さて翌朝になっていざ別れようとすると、昨夜相逢った時のことに慕わしく懐かしく嗅いだ伽羅の香も今朝はかえって心憂い種となる、というのであります。

前の二首の恋歌は恋についての感情を直叙しているばかりで何の事実をも叙してはおりませんが、この二つの恋句は感情を言い表わすと同時に事実を叙しております。前句は、庭には紅梅が咲いて、その向こうには玉簾が下がっているという事実を叙し、後句は、それが夏の夜のきぬぎぬの朝であって伽羅の匂いもしていることを叙しております。

この事実を叙しておるおらぬということが、前掲の和歌と俳句との大きな相違であります。と同時にその俳句の方の事実の大部分は紅梅とか短夜とかいう季のものがこれを占めていることに注意しなければなりません。

かく和歌には四季の部に属さない恋の部というものが別にあるが俳句にはそれがない。(12)

たとい恋句というようなものがあるにしてもそれも必ず季のものが読みこまれていて四季の分類中に包括されてしまっているということは、この二つの文学を比較する上において顕著な相違の一つであります。

いま一つ顕著な相違があります。それはほかでもありません。和歌の方は月とか雪とか花とかいういわゆる季のもののうちでも重大なものだけは無暗に精細に分類されて、たとえば高嶺の花とか水辺の花とか離落の花とかが並べたてられておりますが、少し珍しい季のもの――そのめずらしいというのも和歌からみて珍しいのでありまして、俳句からいったら少しも珍しくないのでありますが――になりますとまことに寥々として数えるほどのものしかありません。たとえば、

春雷、雪解、別れ霜。……天文に属する季のもの=天文上の現象というのと同じ意味(以下これに準ず)

春氷、春の潮、山笑ふ。……地理に属する季のもの

鳥の巣、蚕、蜆。……動物に属する季のもの

辛夷、、蕗の薹。……植物に属する季のもの

初午、蓬餅、出代。……人事に属する季のもの

二月、三月尽、夜半の春。……時候に属する季のもの

などの題をあげてそれらの題を探してみたら、それは決してたくさんはないだろうと思います。仮りにの歌とでもいうのがあったとしましたら、きっと、「なにがしの君よりはこべらの歌仕れとありければ」などという前置でもおいてまったくのもの好きから冗談半分に作ったもののように取り扱われるであろうと思います。

ところが俳句になると以上のごときものはいずれも極めて普通の季題でありまして、時候の変化にともなって我等の眼の前に起こりくる一切の現象――すなわち季題――は何物をもとって材料とせねば止まぬという傾向を持っているのであります。(13)

ことにその傾向は今日の俳句において盛んになってきているのであります。(14)

ただしこれをもって私は和歌を抑えて俳句を揚げようというのではありません。和歌にあってはむしろ季題などに重大な意味をおかない点において別個の長所を持っているのであります。ただ和歌のそういう性質と照らし合わせて、我が俳句が季題ということに特別の深い関係をもっているものであるということを明らかにするのが私の目的であったのであります。

なお私は進んで和歌以外の文学と季題との関係をしらべてみて、いよいよ季題に重大な関係を持つ文学は俳句のみという断定を下さなければならぬのでありますが、それは煩わしいから略します。そうしてただ一言、和歌以外の文学は和歌ほども季題に重きをおいていないということだけを断言しておきます。漢詩の一部を除くのほか都々逸、端唄、川柳はもとよりのこと、長詩とか小説とかいうものに至るまでそれは季題などとは没交渉といってもさしつかえないのであります。

他の文学との比較はこれくらいにしておきまして、さて季題なるものが実際いかなる形の下に俳句に読みこまれているかということを、実例について検べていってみようと思います。

まず天文の部から始めます。なお混雑を来さぬため前に掲げた季題に相当する句を選み出します。

東風吹くと語りもぞ行く主と従者  太祇

句意は、一人の主人が一人の従者を連れて春の初めに表を歩いておりますと、今までの北風と違った柔らか味のある風が吹いてきます。その時、

「もう東風が吹くね。」

「さようでございます。もうこのあんばいではすぐ暖かになります。」

などと話しながら歩いているというのであります。

主と従者とが何事をか話しながら歩いているというだけでは、

「なんだそれっきりのことか。」と大方の人は相手にしません。実際主従が二人話しながら表を歩いているというだけでは格別これという興味もありません。がそれがいったん、東風の吹くということを話題としていることが判るとそこににわかに一つの興味が生じます。というのはその話題が判ったということの興味ばかりでなく、その言葉から実際東風が主従の顔を吹いているという春さきの郊外(もしくは街上)の光景が想像されて、単に主従が話しながら行くという無味な事実の上に大きな興味を加えるからであります。すなわちこの句では季題が話題として無造作に使用されているようであってその実季の十分な働きをなしているのであります。

西の京にばけもの栖て久しく荒れはて

たる家ありけりいまそのさたなくて

春雨や人住て煙壁を洩る  蕪村

この句意は前置がありますから説明をしなくっても判るでしょうけれども例によって簡単に申します。京都の西部のとある家は化物屋敷だという評判で久しく人も住まず荒れ果てるままにしてあったが、今はそういう噂もなくなった、というのが前置で、句の方はその化物屋敷といわれた家はもう人が住んでいて飯を炊いたり物を煮たりする煙が壁の透間から外に洩れているとこういうのであります。もっともこれだけでは「春雨や」という初五字の説明はまだしません。が、仮りにその初五字がないものとしてみましても、長い前置があるためにすでに一個の興味ある面白い事実を想像することができます。かといってまたその初五字がない方がいいかとなるとそれは決してそうだとは申されません。

初五字はごらんの通り「春雨や」となっています。その春雨やの興味を説明する前に私は試みにこれを「夕立や」「秋雨や」「時雨るゝや」という他の文字におきかえてみようと思います。

つまり前述の光景をいつの時候の雨中の景としたのが一番面白いかということを吟味してみようと思うのであります。

まず夏の夕に降る夕立としてみますと、その篠突くような強烈な勢い、あとはすぐ晴れるというような軽快な心持が主として人の心を支配しますから、もとこの家に妖怪が住んでいたというような陰気な感じは鈍ってしまいます。

次に秋雨になりますと、蕭条として降る秋の淋しさが主になりますからその陰気の感じは十分にありますが、同時にその壁を洩る煙までが何だか陰気臭くなってしまって、現在住まっているという人もやはり妖怪ではないかというような疑いさえ生じます。

次に時雨になりますと、やはり陰気な心持はないことはありませんが、それよりもからびた趣が主になりますからその煙さえも何だかかれがれの煙で、家も妖怪もすべて油気の抜けた寂滅に近いもののような感じがします。

さて最後に春雨はどうでありましょうか。春雨は他の気候の雨にくらべて一番濃艶な感じのするものでありますが、同時に濃艶な妖怪味を有しております。そこでこの句の説明に移りますが、かくかくいう噂のあって荒れ果てた家であったが今はもう人が住んで炊煙が壁を洩れている、その炊煙はいかにも中に住まっている人の生活そのものを語るように平和な豊かな心持をして外に洩れている、降っている雨も春の雨で、草木さえもその力で養ってゆかれるというような親しみのある優しみのある雨である、その雨その煙がまた互いに生あるもののごとく睦みあっている、とこういうのが正面の解釈でありまして、その点から申しますと夕立以下の他の三季の雨よりも春の雨が最もその過去の噂に頓着なく今この家に住まっている人の無事な平和を表わすのに適当しているといってよろしいのであります。がしかしそれだけになりますと西の京に云々という過去の事実の響きがあまり薄くなりまして、一方に現在の情景をよく尽くすかわりせっかく長い前置までおいていい表わそうとした妖怪味が十分の功果を収めぬことになります。私はただいまこう申しました。「その雨その煙がまた互いに生あるもののごとく睦み合っている」と。夕立であっても秋雨であってもこの煙と雨とがたがいに生あるもののように睦み合う心持はありません。それは春雨であって初めて出てくる心持なのであります。濃艶な妖怪趣味というのはすなわちそこのことであります。

すなわちこの句は現在の平和な光景を表しておきながら同時に一つの艶っ気のある妖怪趣味を描き出しているところが生命であります。そうしてそれはとりもなおさず「春雨」という季題の大きな働きであることを忘れてはなりません。

次に地理の部に移ります。

日は落ちて増かとぞみゆる春の水  几董

これは湖水なり沼なりもしくは大きな川なりの景色でありましょう、それは春の時候でありますからそこに湛えられている大水はすなわち春の水であります。夕暮日輪が西に落ちるころその春の水を見ているとだんだんその水は増してゆくような心持がするというのであります。

なぜ増してゆくような心持がするのでしょうか。それは高かった日の次第次第に低く落ちてゆくがために水の方が自然高くなるような心持もいくらかありましょうが、それよりも日が落ちたために光が弱くなりそのためにそういう錯覚を起こすということが主な原因でありましょう。

けれどもまたこういうことを注意しなければなりません。「増かとぞ見ゆる」というのは「増すように思えばそうも思える」という主観味の勝った言葉であります。そこがこの句の眼目でありまして、元来春の水は春水満四沢というように潤沢な感じのするものであります。そこで「日は落ちて増かとぞ見ゆる」という十二字は春の水というものの特別の性質を言い表わすために用いられた文字と言っていいのであります。そういたしますとこの句における春の水は前二句などよりもさらにいっそう重大な位置に立っております。

けさ春の氷ともなし水の糟  召波

この句意はある日の朝手水鉢なり盥なりそういうものを見ますと、春の氷が張っているには張っているが、しかしそれは大変に薄いもので、手でもさわればすぐ消えてなくなりそうなもので、春の氷というほどのものではなく、むしろ水の糟とでもいうべきものだというのであります。

この句も前句と同じく、春の氷の特性を詠ずることを主にしたものでありますから、季のものとしての春氷は句における重大な部分を占めているのであります。

季のものの用い方の説明はなお動物、植物、人事、時候から各二句宛を取り出してそれに結論をつけて一段落とするはずでありますが、あまり長くなりますからそれは次章にゆずります。ただここに一言しておかねばならぬことは今回になってまた二、三の新しい俳人の名に親しくなったことであります。ここにひっくるめてその名をあげてみますとそれは、

几董、太祇、蕪村、召波の四人であります。(15)

この四人は今から百余年前の俳人でありまして、いずれも立派な俳人であります。前回に私はこの道のお祖師様たる芭蕉とその弟子四人の名前を挙げまして、それらの人は二百余年前の立派な俳人であると申しましたが、ここに挙げた四人は百余年前の立派な俳人であります。このうちで年は太祇の方が少し上でありますが手腕から申しましたら蕪村の方を上位に推さなければなりません。几董、召波の二人は蕪村の高弟であります。

短い講義に、あまり季題の説明が長きに過ぎはしないかと危ぶまれるのでありますが、俳句とはどんなものかという質問に対し、

俳句は季題を詠ずる文学なり。(16)

と答えても差し支えないくらいに思っておりますから、他のものはどれほど簡約にしても、この季題のことについては十分の弁を費やさねばなりませぬ。ゆっくり心を落ち着けて御一読を願います。

前章において私は季題がどんなあんばいに俳句に用いられるか、すなわち季のものの用い方の説明を実際の句についていたしてまいって、天文と地理とを終ったのでありました。この章においては動物から始めます。

鶯の身を逆様に初音かな  其角

この作者其角の名は前にも出ました。

さてこの句意は、前章にのべた「春の水」の句や「春の氷」などと同じように「鶯」という季のものを主題として詠じたものであります。

前章にもちょっと説明しておいた通り、鶯という鳥はその前年の秋から渡って来ている――いわゆる渡り鳥であるところの――頬白だとか鵯だとか百舌鳥だとかいうような小鳥類とは全然感じを異にした鳥で、春さきになって初めてホーホケキョという他の小鳥などにみることのできない声をして、庭の樹などに来たところを見ると、いかにも春の心持を一人で了解しているように軽快に飛び回っています。そこをつかまえて其角はこの句を作ったもので、鶯は身を逆様にして初音を啼いたといったのであります。

「初音」という言葉はよく鶯に関連して用いられる言葉であります。そのうちにはその鳥に対する待ち設けの心持が十分にあります。冬の寒さは誰も余り好ましくないもので、その寒さが一日一日とゆるみかけてくると、「もう春が近い。」「もうすぐ春だ。」と誰の心もその春のくることをまち設ける、その人々の心をさながら承知しているかのように鶯は真先きかけてホーホケキョという声を洩らすものでありますから、春を待つと同じ心をもって、人々はこの鶯の啼声を待つのであります。のみならず啼声そのものも流麗な調子を備えている秋の小鳥のそれらとはだいぶ趣を異にしているので、単に春を待つという一般の待ち設けの上に、風流韻事に憂身をやつす人はさらにその初音を誰よりも先に争い聴こうとする好事的な競争をさえ生ずるようになったのであります。何もこれという用事もなくその日その日を徒衣徒食し恋をさえ遊戯視していた平安朝時代の堂上人などの中に好んで和歌にも読みこまれるようになったのであります。和歌を父母として生まれた俳句にも自然この初音という文字が踏襲され賞翫の意味がそのうちに含まれていることも争われない事実であります。

初音というと鶯それ自身の初音のように解されますが、それは聴く人の側にとっての初音であります。私が今年初めて鶯の啼声を聴いたらそれが私にとっての初音であります。この句も其角がある年初めて鶯の初音を聴いた、その時鶯は尾を空様に足は枝を踏まえて身を逆様にして啼いたというのであります。

俳句は和歌を父母として生まれたのでやはり初音という言葉のうちに賞翫の意味が伝わっているということをただいま申しましたが、しかしそれと同時に俳句には和歌にみることのできなかったある特色が加わってきています。たとえば和歌にあっては

浅みどり春立つ空に鶯の初音をまたぬ人はあらじな

というように、初音を聴いた時の心の喜びを主として表しておりますが、

この其角の句にあっては、その喜びは客として――和歌ほどに重きをおかないで――その初音を啼く時の目に見た形の客観的描写を主としております。(17)

すなわちこの句を読んだ場合は画家が描いた身を逆様にして木にとまっている鶯の形を想像し得るまでにその形の方を主として描いているのであります。この点は前章において、恋歌と恋句とを比較して恋歌は恋についての感情を直叙し、恋句は感情を表すと同時に事実を叙しているということを申し上げたその比較と同一の結論に到着するのであります。そうしてこれは大概な和歌と俳句とを比較した場合に必ず到着するところの結論であります。

鷲の巣の樟の枯枝に日は入りぬ  凡兆

凡兆という名前もかつて一度出たことがあります。

さてこの句意は、人里離れた深山などにある樟の樹の梢に鷲が巣をくっている、その鷲が巣をくっている枝は枯枝でありますが、ちょうどその枯枝のあたりに赤い色をした春の日が落ちるのを見たというのであります。

樟の葉は冬も凋落しないものでありますが、それでいて枯枝というのはどういうのでしょう。こういう植物に詳しい人の話に常緑木でも時々落葉樹と同様に一時すっかり落葉することがある、多分それは樹木の病気などであろうということを話しましたが、それでないにしても、鷲が巣をくっているような大樹になるとその樹全体は勢いよく茂っているにしてもある枝だけは鳥糞をかぶって枯枝になっているというような場合はよくあることでありましょう。この句はそういう場合と解釈する方が穏やかだろうと思います。

なぜに特に枯枝といったのだろう、「鷲の巣の樟の梢に日は入りぬ」と言ったのでもよさそうなものだというような説が出るかもしれませぬが、これは実際枯枝であったのだろうと思います。ここにおいて私はちょっと、

写生ということについて一言したいと思います。(18)

この句には前置があるのであります。その前置にはこうあります。

越より飛騨へ行くとて籠のわたりのあやうきところどころ

道もなき山路にさまよひて

この前置はこの句の価値を増減するに足るほど重要なものではないのでありますから前条句意を解釈する上には必要のないものとして掲げなかったのでありますが、この句の写生であることを明白にするためにここに掲げるのであります。

すなわちこの句はこの前置にあるように籠の渡のある辺の危うき山路を歩いている時分に、ふと見ると向こうの樟の樹のある枯れた枝の上に鷲が巣をくっている、その辺に春の日もはいってしまったとこういうのであって、目の前に映じた光景をそのままに写しとったのでありましょう。私共は常に、

自然の、偉大で創造的で変化に富んでいることに驚嘆するのであります。その自然に比べると人間の頭は小さくて単調なものであります。(19)

――もっともこのことについては随分議論のあることでありましょうが、わが読者諸君は、人間の頭を小にして単調なものとし、自然を大にして変化に富めるものとお考えになることを必要と存ずるのであります。

写生ということはこの自然を偉大とし創造的とし、変化に富んだものとする信仰の上に立つのであります。すなわち我等の小さい頭ではとても新しい変化のあることを考え出すことはできない。変化のある新しいことを見出すのには自然を十分に観察し研究する必要がある、この自然の観察研究からくる句作法を私共は写生と呼んでいるのであります。

私は其角の鶯の句も単に心の喜びを表わす和歌などと違って形を描く方面に一歩を進めていることを前にお話しましたが、しかし「身を逆様」というようなことはその時も申しましたようにすでに多くの画家などの研究していた形であって、其角は無声の画を有声の詩に翻訳したというにすぎない程度のものでありますが、この凡兆の句になりますと全然旧を脱した清新な句で、とても机上でこしらえあげた句でなく写生の句であります。其角の句が当時にあって芭蕉などを驚かし「晋子(其角)の俳諧は伊達風流にして作意の働き面白きにあり」などと言わしめたにかかわらず何だかまだ一皮脱し得ない古臭を帯びているのに対し、凡兆の句は大方清新にしてしかもどことなく大きいところのある――仮りに彫刻にたとえていえば鑿の使いようがずばずばとくったくなく大きい――というのも畢竟この写生からくる強味なのでありましょう。

写生についてはページ数の許す限り一項を設けていま少しお話いたしたい所存でおりますが、これは俳句のみならず一般文芸の上にわたる議論でそこを詳しくお話する余裕があるかないか判りませんから、季題の途中ではありますが、ここに一つの断案を下しておきます。

七 俳句を作るには写生を最も必要なる方法とします

さてこの句の季題は何でありましょう。「鷲の巣」が季題になって春季の句になっているのであります。一体鳥類は春季に巣をくって、そこに卵を産みこれを孵化さすのであります。上野の動物園のあのたくさん鳥の入れてある金網の中に一本の松の樹がありますが、ある時私は桜の花の咲いているころそこに行ってみると、一匹の鳥は金網の中に落とされている乏しい小枝や藁切を集めてその松の樹の梢に巣らしいものを作っておりました。話が余談にわたりましたが「鳥の巣」というとそれは春季のものとちゃんと俳句ではきまっているのであります。

次に植物に進みます。

梅一輪/\ほどの暖かさ  嵐雪

嵐雪という名前は初めて出てまいりましたが、このひとは其角と並び称せられた芭蕉門下の双壁であったのであります。

句意は梅の花が一昨日はただ一輪見えたのが昨日は二輪今日は三輪になってその梅の花のぼつぼつと数を増してくるに従って、どことなく春らしい暖かさも増してくるというのであります。もし春意というようなものが天地の間に動いたとするならば、一輪一輪と開いてゆく梅はそれをシンボライズしたようなものであります。それと同じ意味でその一輪一輪の梅は春暖のシンボルとして人の目に映ずるのであります。

この句は「梅」が季題であります。「曖か」というのもやはり季題でその方は「時候」の方に属するのであります。この句のごときは

季重なり(20)

というものでありますが、季重なりはいけないと一概に排斥する月並宗匠輩の言葉はとるに足りませぬ。季重なりはむしろ大概な場合さしつかえないのであります。ただ「春風」とか「春の月」とかいう春という字のくっついているのにさらに春季の季題である「霞」「氷解」「燕」「桜の花」「種蒔」「長閑」などをあわせ用うることは重複した感じを与えることになるからこれを忌むのであります。というのはすでに「霞」「氷解」「燕」「桜の花」「種蒔」「長閑」などは春季のものときまっているのに「春風」とか「春の月」とかわざわざ春ということわりのついた文字を用いた季題を、その上に重ねて用うるということはまったく無用のこととせねばなりませぬ。

なおこれと同じような理由のもとに、必ずしも「春」の字のくっついたものでなくとも季題を重ね用うることが無用な場合もほかにないではありませんが、それは大方実際の句についてみないと明白に是非をいうことができませんからここには略します。また「春」の字のくっついた季題のものでも時と場合によっては他の季題と重ね用いても差し支えのないことがあります。これも実例について言わねばなりませんからここに略します。また春季と夏季との季重なり、冬季と春季との季重なりというような場合も往々にしてあります。それらも大体においてさしつかえないものとお認めを願います。それで私は従来の俳句の規則にさからって、一つ断案を下しておきます。

八 季重なりは俳句において重大な問題ではありません

さてこの嵐雪の句における季題「梅」と「暖か」の季重なりはやはりそれほど重大ではありません。

草臥て宿かる頃や藤の花  芭蕉

芭蕉はほとんど雲水の僧同様日本国中を行脚して廻った人で、この句もその旅行の句であります。今日も何里かの道を歩いたのでもう大分くたびれた、あたかも人家のある所に出たので、一つこの家に今宵一夜の宿を乞おうと思う心が動いた、その時前の山かその家の軒端かに静かに長く垂れている藤の花に目がとまった、というのであります。

この句は「藤の花」を主にして作った句でしょうか、あるいは「藤の花」はまったく副物で、「草臥れて宿かる頃」の旅情を主として歌ったものでしょうか。

この句は事実どちらにもみられるほどに双方ともに重きがおかれているのであります。とりもなおさず双方がしっくりと合って互いに客となり主となり渾然として一つの感じとなっているのであります。すなわち旅人が草臥れて宿を借りようとする時の淋しい、しかしながら静かなゆとりのある心持と、藤の花の美しい、しかしながら静かな淋しい心持とがあたかも互いにその心持を説明しあっているようによく調和しているのであります。

耕や世を捨人の軒端まで  大魯

大魯というのは蕪村の高弟の一人であります。

以下の引例はすべて天明時代の人々の方に移ります。「耕」というのは「畑打」と同じことなのであります。元禄時代ではまだこういう文字は使わなかったようですが、天明に至って蕪村一派の漢語癖から好んでこういう文字を使うようになったのであります。元禄、天明の間には前にも申しました通りおよそ百年の間隔があります。

さて句意は、百姓が畑を打っている、そこに世を捨てた人が庵を結んで住まっている、その人の軒端まで打って行ったというのであります。軒端まで打つというのはちょっと変に聞こえますが、その庵の塀もしくは垣まで打って行ったというのと大同小異であります。塀もしくは垣というと何だかその家に囲いなどがあって相当な構えのうちらしく捨人の庵という心持がしない、軒端まで打って行ったというのでいかにもあらわな規模の小さいその庵の様が思いやられます。この上さらに一鍬加うればもうその庵の軒端を切りかきもしそうな心持がします。

「耕や」というのは現在の言葉でありますが、しかし俳句では必ずしも現在の言葉で現在を表わすものとは限っておりません。句全体を見渡した場合、これは現在の言葉ではあるが過去を表わしたものと見る方が妥当だというような場合も往々にしてあるのであります。

しかしこの句はやはり現在のものとする方が普通の解でありましょう。

俳句の文法は普通に我等の使っている言葉の用法に従って、それで格別の不都合は生じないのであります。(21)

ただなるべく簡潔に叙する必要から普通の文章や言葉にくらべて文字の省略が行われます。そのため一見破格となりあたかも俳句特別の文法があるかのごとくみゆるのであります。ことに「や」「かな」その他の切字は俳句特有の意味をさえ有するようになっているのであります。その、

切字については別に論ずるところがありますが、切字以外の文法は格別論ずる必要もないことと思います。(22)

芭蕉の弟子のうちに、

支考という男がおりまして、俳句の文法などを講じ、当時の無学な俳人共を煙に巻いて以来宗匠の中にはとかく俳諧文法論が盛んでありますが、私は全然これを無用のものとして排斥します。(23)

そうしてここに一つ断案を下しておきます。

九 俳句の文法といって特別の文法は存在いたしません

この句における季題の用いられ方はやはり「耕」という季題のある特別の場合を叙したもので、同時に季題の性質のある点を説明した形になっているところが鶯の句に似ています。

初午や足踏れたる申分 召波

召波の名は前に一度出ました。蕪村高弟随一人であります。もっともよく蕪村に親炙した点においては几董に似ていますが、俳句の技倆からいったら几董以上といってもいいかと思います。ともかく、几董、召波、大魯あたりはあまり力に甲乙のない天明時代の作家であります。

さて句意は、初午すなわち二月の最初の午の日には、稲荷神社はもとよりのこと、大名その他大きな邸宅の中にある稲荷にも多くの人が参詣するのでありますが、ふと足を踏まれた。武士として人に足を踏まれたとあってはだまっていることはできん。そこで「なぜ足を踏んだ。」ととがめ立てをするというのであります。召波はたしか武士であったはずであります。

この句の初午という季題の使い具合は、前条の畑打などと大同小異であります。

次に最後の時候に移ります。

元日の酔詫に来る二月かな  几董

几董のことは前条に申しました。

句意は元日に年始に来て大変酔っぱらって失礼をした――何か落度でもあったのであろう――と言って二月になってから詫びに来た、というのであります。

この句の季題は「二月」であります。「元日」も季題でありますからその点からいうと季重なりでありますが、しかしこの場合は前の「梅一輪」の句などほどにも季重なりの感じがしません。「元日」は季のものでありながらこの場合「季」の感じはほとんどなくなっています。そこでこの句も「二月」のある事実を叙したのであって、前の「耕」の句などとはやはり大同小異であります。

長閑さや早き月日を忘れたる  太祇

太祇の名前も前章に出ました。太祇はその節も申しました通り蕪村より先輩であり、几董、召波あたりより手腕も一等上としなければなりません。天明においては蕪村についでの俳家であります。

句意は春の日の長閑な趣をいったので、烏兎匆々といったり、光陰如矢といったりするその早い月日をこのごろは気候の長閑なので考えもせずにいたというのであります。

季題の用い具合は春の水などと同様その季題の特質を叙したものであります。

以上で天文、地理、動物、植物、人事、時候各二句宛の例句について季題がいかに句に用いられているかということについての説明を試みました。

さてその説明からおよそ三通りの用い方に分類することができます。

第一は季題が主題となっている場合――「春の水」「春の氷」「鶯」「耕」「初午」「二月」「長閑」などの句の場合第二は季題が重く用いられる場合――「春雨」「藤の花」第三は季題が比較的軽く用いられた場合――「東風」「鷲の巣」「梅」 まず以上の通りであります。もっともこう分類するということは実は少々無理なことで、解釈のしようによれば、軽く用いられたものも重く用いられたものとみられぬこともなし、また重く用いられたというものも主題として用いられたものとみられぬことはないのでありますが、まず大体においてこう分類することもできると思います。私は本章の初めにおいて(16)で申したように、俳句は季題を詠ずる文学なりと断定を下してしまってもいいのでありますが、しかし以上のように同じ季題であってもその用い方に軽重がありますからいま少し広汎な意味のものとしたいのであります。そこで私は第一章総論の節(第四)において「俳句には必ず季のものを詠みこみます」という断定を下しておいたそれをやはりそのまま保存する必要をみるのであります。

ことに明治以後の句になりますと、中にはだんだんと季題を軽く用うる傾向を現わしてきて季題はまったくの副ものとなっているようなものを往々見るようになりました。そういう場合に(16)のように「俳句は季題を詠ずる文学なり」とすることは多少無理ともなりますから、最も普通の俳人仲間の用語に従って「読みこむ」という言葉を使っておいたのであります。

しかしながら事実季題を軽視する句が往々にしてあるにかかわらず、なお全然季題を軽視することのできない点に俳句の生命があるのであります。もし俳句の趨勢がいよいよ進んで

まったく季題を閑却する時がきたらそれはもう俳句ではなくなるのであります。(24)

ここが最も大事なところであります。俳句はどこまでも季を読みこまなければなりません。たとい多少季題を軽視するような場合があってもどこまでも季題を読みこむということが俳句の一大条件であります。

なお明治以後の俳句がいかに季題を取り扱おうとしているかということについて簡単に一言を費やすつもりですが、それはこの季題の項ではわざとはぶきます。

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