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棚田裁判長の怪死
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棚田裁判長の怪死
橘外男
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 3 of 5

3

「そりゃあなた、この子だって東京へ帰って聴診器を持たせたら、立派な先生様ですもんな。親はいつまでたっても子供を五つ六つにしか考えませんけれど」

「そうかそうか、なるほどなア。子供が大きくなるのはわかっても、親は自分たちの年を取るのはサッパリわからんもんだのう」

と笑い話になってしまいました。が、

「棚田のお母さんもさぞお喜びでしょうな?」

と聞くと、

「おや、お前はまだ知らんかったかな? あの人はもう大分前亡くなってしもうたが。おいおい、あれはいつ頃だったかいな? 棚田のお母さんの亡くなったのは」

と父は母に記憶を求めているのです。その時初めてこのお母さんも他界していることを知ったことでしたが、父親の死が変死でなかったように、この母親の死もまた何の不思議もなかったように覚えていました。

その頃に一度私は大村へ行ってみたことがあるのです。と言っても、わざわざ出かけて行ったのではありません。ちょうど長崎医大で開かれた学会へ出席したついでに、長崎からは眼と鼻の先ですから、足を伸ばして大村まで行ってみたことがあるのです。

駅前の讃岐屋という旅館へ鞄を預けて、昔私が通っていた小学校や、その学校の前から街道続きで、昔の藩主の城跡や、仲間とよく遊んだ老松の海風に哮えているお城下の海岸や、私の家が住んでいた上小路の旧宅なぞへ道を辿ってみたのです。何年ぶりで思い出の地をそぞろ歩いたことだったでしょうか? 見るもの聞くもの懐かしからざるはありませんが、同時に一木一草のたたずまいにも、昔と何の異なるところもないのを見ると、こんな狭い土地でよく幼年時代を過ごしたものだと、久しぶりに東京から行った眼には鼻につかえそうなくらい、すべてが鄙びて狭っこましいのにも呆れ返らずにいられなかったのです。

ともかく、懐かしさと幻滅の半ばした気持で、私は犬に吠えられながら、昔住んでいた家の回りに佇んでいましたが、ふと眼を放った向うの坂上に、昔ながらの石垣の上に、厳然と城廓のようにそびえ立っている、棚田の家を見ると、そこへも足を伸ばして、昔を懐かしんでみたいような衝動を禁じ得ませんでした。誰も亡びたわけではありませんが、私のその時の気持は人亡びて山河依然たり、といったような感慨で一杯だったかも知れません。これも昔と少しも変らぬ竹藪の道を登って行くと、私は棚田の門前を通り過ぎて、沼や野原のあたりまで行ってみました。

うねうねと曲りくねった野道一杯に芒や茅が掩い乱れて、葉末の彼方に島原半島の明神ヶ岳や大内山が顔を現していることも、何の変りもありませんでしたが、この辺、人が住んでいるのやらいないのやら! しいんと身に沁みてその淋しいこと! よくもこんな淋しいところに、棚田の家では長年住んで……昔祖母が恐ろしがったのも無理はないな! と、何か鬼気の迫るようなものを感じて、またその通りを戻って来ました。

再び通る棚田の冠木門には、もちろん今ではその人の名前が出ていることと思いのほか、ヒョイと見上げた眼に相変らず棚田晃一郎と表札が出ているのです。

「ほう、まだ売りもしないで持っているのかしら?」

と見上げた私を不思議そうに六十絡みの老爺がその落葉を掃きながら眺めていました。

「このお宅はやはり棚田さんの持ち家でしょうか?」

と、何ということもなく、私はそこに佇んで、その老爺と問答を交わしてみたくなったのです。

「……そうでがすよ……」

「大阪にいられる棚田さんの……」

「旦那様は大阪じゃねえでがす、名古屋にいられるだが」

「そうそう名古屋、名古屋……そういう知らせが来ていたが……」

「失礼でやすが、どなた様でいられやしょうかにイ?」

「なアにわたしは別段用のあるものじゃない。昔お宅の御主人と友達で、ついこの先に住んでたものだが……」

「……では今東京でお医者様をしてござらっしゃるとか……?」

「そう……その医者は私なのだが、棚田さんにでも聞いたことがあるのかね?」

「ありやすだとも! そうですか、そりゃようこそお訪ね下せえましたが、さ、ちょっくら、ま、お上がり下せえやして……」

棚田氏からでも聞いていたとみえて、今雨戸を開けるから、上がってお茶でも一つ召し上がってと、しつこく勧めるのを断って、その辺に咲いている寒椿の横手から裏庭へかけて、私は足を運んでみました。石垣の下から生えている老木の梢や孟宗竹の隙間から、私の住んでいた家なぞは、遥かの眼下に小さく俯瞰されます。

老爺の言うのには棚田氏はこの昔の屋敷に並々ならぬ愛着を感じて、今でも少し役所の休みが続けばスグに奥さんを連れて帰ってきて、時代のついた屋敷の生活を楽しんでいるということだったのです。ですから留守を預かる爺さんもいつ主人が帰ってもいいように年中掃除だけは怠りなくしていると言うのでした。

「いいよ、いいよ、開けてくれなくても……別段用があるわけではないのだから……スグに帰るんだから」

が、どうせ風を入れるために毎日一度は開けるのだからと、爺さんは一間一間雨戸を繰っています。靴も脱がずに外から覗き込むのでしたが、あたりの森閑とした静けさといい、古びた昔の匂いといいいかにも昔祖母の語った怪奇な話が思い出されて、何か鳥毛だつような気持を感ぜずにはいられませんでした。昔の家というものは構えが大きくて、木口ががっしりと作られている代り、無頓着な採光や通風のせいか、言い知れぬ暗さが漂っているもんだなと思いました。眺めたところを大体見取図に描いて見せましょう。この友達がどんなに淋しいところを好んでいたかということが、読者にもお飲み込みになれるでしょうから。

私の見取図で御覧になっても、読者には別に陰気さがお感じになれぬかも知れません。なんだ間数もたった十ぐらいかと思われるかも知れません。私はただ外から覗いただけですが、それでもおそらく十七、八間ぐらいはあるのではなかろうかと想像しました。ですから私の想像したところは点線で現しておきましたが、ともかく、一藩の家老の邸ですから、昔はもっと広かったのを方々取り毀したのかも知れません。私の絵図はなってませんが、台所でも座敷でも天井が高く長押は大きくいずれも時代の煤を帯びて十畳ぐらいの広さはありそうに思われました。おまけに背後の杉の森が天日を遮って真っ暗に被さってその陰惨なこと――前に私は家屋全体が陰気な暗さを漂わせていると言いましたが、陰気というよりも陰惨といった方が、むしろ適当だったかも知れません。これほどまでに陰惨な家というものを、まだ私は見たことがないのです。祖母の妖怪話が頭に沁みついているせいか、どこかで啾々として鬼が哭いているといったような、屋の棟三寸下るといったような、古めかしい形容詞でも使いたくなるくらいの薄気味悪さを感ぜずにはいられなかったのです。

家の回りを歩いて、私がとしるしをつけた北向きの座敷の前あたりへ来た時に――この部屋は杉の木に前を掩われて、陰惨な家全体の中でも殊に陰気くさく、昼間でも幽霊でも出て来そうなくらい、暗い部屋でしたが、この部屋の隅に黒光りのするのが横たわっていたのです。

「おや、あれはピアノじゃないですか?」

びっくりして私は足をとめました。

「誰のです? あれは」

「ここは旦那様のお部屋でして……」

と老爺を立ちどまりました。

「旦那様が帰んなすった時にお弾きになるでがす。旦那様アもう一つ名古屋にも持ってござらっしゃるだが、とてもお好きだで、ああやって大事にしまってあるでがす。お帰りになった時しょっちゅう鳴らしなさるだで」

「奥さん?」

「いんね、旦那様でがすよ」

「ほう、棚田さんがねえ、ピアノをねえ、ちっとも知らなかったが……へえ! ピアノをねえ!」

爺やの言うのには、昨年の暮れも棚田夫婦は半年も滞在していたと言うのです。自分はよくわからぬが、何かお役所で面白くないことでもあったとみえて、お役人を止めるとか止めぬとか……御夫婦で半年もここに暮していられたが、その間も旦那様は毎日のようにピアノに向っていられたというのです。

「何をそんなに弾いているんだね?」

「さあ、わし共にゃサッパリわからねえでがすが」

と爺やは歯のない真っ黒な口をあけて笑いました。

「旦那様は譜をお作りになるでやして……それでピアノをお弾きになるでがす」

「へえ、棚田さんがねえ――」

と相槌は打ちましたが、もちろん私にも音楽の趣味も何もあったものではありません。ただ裁判長として、松島事件を裁いた厳めしい人の隠れた一面を覗いているような気がして、頷いただけでした。

「せっかくお訪ね下せえやしても何のおかまいもできましねえで……お上がんなすって、お茶の一つも上がって下さりゃ、旦那様もお喜びになると思うだが」

勧める老爺に別れを告げて、やがて私はまた竹藪に沿うた坂を下って、田圃の傍の庚申塚のある道や、子供の頃笹っ葉を持って蛍を追い回した小川の縁へ出て来ましたが、立ちどまって振り返って見ると――眠ったような森や石垣の上に、この四、五十年来、何一つ殖えたものもなければ減ったものもなく、相変らず城のような棚田の家を眺めていると、私までが三人の子供の父親でもなければ医者でもなく、まだあの頃の洟っ垂らしのような錯覚が起ってきてならなかったのです。

四 狂想曲

大村の話は私よりもっと興味が深かろうと思いましたから、帰りは静岡へ寄って老父や老母相手に一齣大村の懐旧談に花を咲かせました。もちろん名古屋にいる棚田判事へも懐旧のあまりお留守中にお宅へ伺って、爺やの案内でよそながら昔を偲んで来た旨の簡単な手紙を出しておきました。判事からは返事が来て、御光来の旨は留守番の老爺の知らせによって承知していたが、お上がりになってお茶でも飲んでって下さればよかったにと、妻とも語り合った次第、もし当地方へお出かけの節はぜひ一度お立ち寄り下されたく、自分上京の折は一度拝顔を得て、昔話でもいたしたいと思っておりますという、儀礼的な返事が来たように覚えていました。が、もちろん私の方から名古屋へ行く折もなければ、先方がわざわざ訪ねて来るほどの用件もありませんから、そんな訪問がお互いの疎遠の仲を取り持つはずもなく、また二年三年は夢のように過ぎ去ってしまいました。その間に私の父も母も相次いで世を去って、今では棚田判事との間もまた昔日のごとくに疎くなり切っていたことでしたが、さてその頃に私は一年ばかりの予定で、亜米利加へ行くことになったのです。この年をして今更留学面もないことですが、若い時父母を抱えていましたので、到頭大学の研究室にも残ることができなかったため、五十の手習いのようなものでしたが、留守を医員たちに任せて、新しい病院の施設を視察に行くことになったのです。

終戦後の二十四年から翌年の三月までをボルチモアのジョンズ・ホプキンスの大学病院で送って、帰りは欧州の医療施設の見学かたがた西独逸、仏蘭西、伊太利等を回ることにしましたが、私の言いたいのは西独逸のボンに滞在中のことだったのです。

ホテルが同じでふと知り合ったのは、私と反対に仏蘭西、独逸等の欧州を回ってから亜米利加の司法制度の見学に行く、土井という最高検の検事や、法務省の官房総務部長の検事等々、判検事の一団だったのです。

「ほう、棚田判事とお友達でしたか? 安井君! こちらは小さい時分に棚田判事とお友達でいらしたそうだ」

「ほほう、それはお珍しい! 私は研修所に勤めているもので」

と紹介された判事も検事も、ことごとく私が棚田判事と友達だったということを珍しがって、頻りに判事のうわさに余念もないのです。が、昔は友達だったかも知れませんが、今の私はもちろん判事については、何ら知るところもないのです。かえってこの人々に教えられて、色々なことを知りましたが、子供の頃は痩せて弱そうな子であった判事が、今では身体の丈夫な、しかし、非常に寡黙な、むしろ陰鬱に近い性格の人であるということなぞもその一つでした。ああ真面目過ぎてもどうでしょうかねえ? 学者、教授ならかまわないが、判事は生きた人間を裁くんですから、もう少しはくだけて明るさがあってもいいと思うんですがねえ、と、私の話相手をしている安井という判事は言うのです。人間らしくとはどういう意味か知らんがあの人は心が優しくて同情心がなかなか深いぜ、司法官としては立派なものだと思うがねえ、と総務部長が答えているのです。

Chapter 3 of 5
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