Kembali
鳥羽家の子供
Table of Contents
鳥羽家の子供
田畑修一郎
Reading Settings
Ukuran font
18px
Tema
Terang
Gelap
Sepia
Pelindung mata
Spasi baris
Mode baca
Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 4 of 5

4

夜は一時か二時に寝、朝は朝で女中よりも先に起き出る幾は、昼間の閑な時刻にはごろりと居間の暗い片隅で横になり、直ぐに鼾を立てた。すると、その時分はもうすつかり老いこんで腰の曲つた蒔がごそごそと一人物音をたてて、押入から蒲団を引出し、寝てゐる幾に掛けてやるのだが、見るとそれが敷蒲団であつたりした。

忙しくて食事の時間が少しも決まつてゐなかつた。朝学校へ行く前など、軍治はよく一人で食膳に向つた。直ぐ傍の台所で、女中達が拭き並べる客膳の音、板場の罵る声、幾が帳場から台所、客室への挨拶などで小速に踏み歩く足音、それらが高く入り乱れ、間断なく響いた。面倒を省く為に、軍治は客と同じ食事を宛てがつて貰つてゐた。毎日殆ど変りのないもので、終ひには刺身、吸物と云ふやうな食事を見るのも嫌な気がして来た。夜の食事が一番遅れ勝ちであつた。待つてゐてもなかなかなので戸外へ遊びに出ると、近所の友人やその弟達が湯上りらしい照か照か光る鼻をして、のんびりと遊んでゐる中へ這入ると、軍治は自分だけが汚くよごれ、腹の空いた顔をしてゐるやうな気がし、誰にも云へない卑屈な寂しさを味つた。その間にも用意が出来たかどうか見に帰つたが、居間には蒔が視力の薄い眼で自分だけの食残りの皿を出してゐるだけなので、軍治は又何気ない顔で、友達の間に帰つて来たりした。

兄姉達と戯れ笑ひ乍ら明く楽しい灯の下で食卓をかこんだ頃の事が忘れられず、軍治は幾を待つてゐるのだつたが、幾の来る時には食事が冷え切つてゐたりした。幾は鳥羽家にゐる間は忘れてゐた晩酌を、その頃から始めるやうになり、くどくどと蒔を捉へては商売の辛らさを言ひ、時には愚痴の涙まじりに盃を重ねるのだつた。しかし、幾が軍治の記憶にもない頃の鳥羽家の様子を話して聞かせる時には、軍治は楽しく聴入るのだつた。父の気難しかつたことを言つては丁度お前に似てゐる、と軍治を指して笑つた。それから又、母が幾の家へ遊びに来た時のことも話して聞かせた。母は煙草が好きで咽喉が悪いと云つて咳をし乍らも、煙草を手から離さないやうにしてゐるので、幾がそれでは身体に悪からう、と云ふと、母は、病みつきだからこればかりはね、と笑つてゐたが、矢張りあの煙草好も胸を悪くする因だつたらう――それを話し乍ら幾はどことなく顔を伏せるやうな風があつた。軍治はその時奇妙な不安を感じた。彼の頭には姉から聞いた母の死前後の模様が残つてゐるのである。幾のことがあつたし、母は随分死ぬ迄気にかけてゐたのだ、と聞いた。母の記憶はなく、幾の親味だけが胸にある軍治には、それも唯聞いてゐるだけであつたが、この場合になつて不意に湧き上り、重々しく胸を打つた。意味はよく解らなかつたが、頭の中の物が右と左に引き離され、何か安心してゐられない気持だつた。

ある夜、客が混んで、室が空くまで暫らくの間、二人の男が軍治達の居間に座をとつた。客の商人と、今一人は客を訪ねて来た町の人であつたが、酒を飲み、歌ひしてゐる中にだんだん乱れて来た。冬も夜更けであつたから、軍治は、眠くはあり、隅の炬燵で小さくなつてゐた。傍には蒔が寝てゐた。すると、客の一人は年老いた蒔の寝顔を眺め、卑猥なことを口にした。軍治は炬燵の上に頬を押しあて、眠つた振りをしてゐたのだつたが、かつと胸が熱くなり、起きなほつて男を睨みつけた。しかし、酔ひ痴れてゐる男は軍治が眼に入らないらしく、もう相手の客と何事か笑ひ興じてゐた。軍治は立つにも立てず、蒲団の下で炬燵の櫓をしつかりとつかみ乍ら、ぶるぶる小さい身体を顫はせた。

その頃から軍治は来る客来る客に憎しみを覚え始めたのだつたが、それを幾にどう言つたらいゝものか解らなかつた。肩を張り廊下を踏み鳴らす客、傍若無人に女中を叱りつける客、それに対して、女中はもとより、幾も亦唯々として言ふなりに動きまはるのが、見てゐて軍治は苦痛だつた。家中どこにゐても楽々と手を伸し、足を投げ出すやうな屈托のない明さはなかつた。軍治は鼠のやうに、客の眼を恐れ、客の気配を感じ、居間から女中部屋へと、安息の場所を探して逃げ歩いた。

軍治は日に増し癇癖が強くなり、何かにつけてぶつぶつ幾に不足を云ひ「そんなこと構つてゐられるもんですか」と言ひ棄てて立去つた幾が、次の瞬間には襟元を合せ、小柄な肩に控目な様子をつくろつて、小刻みに廊下を客室へ行くのを見ると、いきなり手許の皿などを庭に投げつけ、居間にのけぞつて、手で畳を殴り足で障子を蹴りつけするのだつた。

さう云ふ時に、蒔は不自由な足を引きずつて近づき「これはどう云ふ児か」と老人らしい筋を額に見せると、軍治は大声に喚き出し、蒔を罵り、今度は又立ち上つて手あたり次第に物を四方に投げつけ、踏みつけ、女中達が呆れてゐる前を盲滅法に家の外へ走り出ると、切なさと後悔の念を交へた頭から胸一杯の混乱に唯ぼうつとなつて、うろ覚えの河沿ひの道を歩いて行つた。姉の所へ行く気だつたが、町を離れると路面は埃で白く唯遠くつながり伸びてゐて、山の重り合つた裾に消え込み、瀬の音が急に耳について来ると、軍治は路傍に蹲みこんで、歩いて来た道、眼の届かぬ行手に頭を廻し、母よ、母よ、と意味もなく、声もない呼声に胸をかきむしられた。

夜になつて、疲れ鼻白んで帰つて来ると、幾は奥から走つて出「どこへ行つてゐたの、どこへ」と訊いたが、軍治が黙つてつゝ立つたまゝでゐると、その手をとり居間に引いて来た。見ると、幾と軍治の食膳がいつになくきちんと並べてあり、幾は自分から先に坐つて軍治をも膳につかせ、親しみ深い手つきで飯を盛つた。軍治は甘酸つぱい気持の中で温和しく箸をとり上げ乍ら、思ひ出が今又帰つて来たやうで楽しく、又、幾の心を試したやうな気にもなるのだつた。

それ迄は別にこれと云ふ際立つた意識もなく過して来たのだつたが、軍治の脊丈が眼に見えて伸び始める頃になると、彼の中で或る物がはつきりと眼覚めて来た。それは今も猶鮮かに残つてゐる生家の記憶、云はば鳥羽家の気質であつた。

この頃では蒔はますます老いこみ、腰がひどく曲つてゐるので着物の前が合はなかつたりして、子供のやうにだらしなかつた。幾は幾で、小鬢には白髪も少しは見えて来たが、相変らず客を送り迎へする時には見ちがへるほどしやんとなり、いそいそとして客の後になり先に立ちする様子を見ると、軍治はこれが幾の身についてゐるのではないかとも思はれ、又、この商売を楽しんでゐるのかも知れぬ、と疑ふのだつた。

何時誰からともなく、幾のずつと前身は町端れの煮売屋で、他人からでも名前を呼び捨てにされてゐた、と聞き覚えてゐた。「小母さんは怜悧な人だから、自家へ来れば他人から呼び捨てにされないと、ちやんと知つてゐたんですよ」と姉からも聞いたことはあるが、さう云ふ意味の事は遠縁の老婦も言つてゐたし、幾の家へ来てからも、台所で下働きをしてゐる話し好きな老婦が問はず語りに聞かせて呉れた。その時は、なにも特別な感情を与へはしなかつたが幾や蒔の様子に何か軍治の身体の底の方で喰ひ違ひ、時には歯の軋むやうな嫌らしさを起させる所があるのを感じたりするいまでは、それ等の智識が特別な意味で軍治の頭に蘇へるのだつた。

幾の手に引かれ、身の廻りの世話をして貰つた記憶はまざまざと今も残つてゐるのだが、その親身な感じで今の幾を見ると、これがあの幾だつたのか、と云ふ気がした。ここ数年間幾はたゞ客の方に気をとられてゐて、軍治の着物の世話などは全くの他人任せになつてゐたからよく寸法が狂ひ、仕立下しの着物が引きずるほど長かつたり、胴が窮屈で着られなかつたりした。

客に怒鳴られ、平謝りに詫びてゐる幾を見、少しの落度もないやうにと忙しく走り廻つてゐる幾を見すると、軍治は自分が卑しめられてゐると感じた。それも重なり重なると、着の身着のまゝごろ寝して枕を外し、腕を伸し、大口を開けて鼾声を立てる幾の格好などが一々厭はしく、嫌らしく、これは自分の母ではないぞ、と、軍治は心密かに自分に言ひ聞かせるのだつたが、それにしても最早自分の身を寄せる所はこの幾より他にないと云ふ考へも湧き、じめじめと卑屈に客の顔色を窺つたりした後では、又しても癇癪を起し、何と言つたつてお前はこの俺を息子にして喜んでゐるのではないか、と口には出さないまでも、手荒にガタピシと障子襖を開け立てし、果ては幾に喰つて掛かつて、幾が逃げかゝると猶も追ひつめ、手こそ振上げなかつたが、狂ほしく声を限りにが鳴り立て、幾が堪りかねて、客に聞えるから、となだめにかゝると、客と此の自分とどつちが大事なんだ、と青くなつて足を踏み鳴らしたりした。

かう云ふ軍治と幾との間は普通の継母子でもなければ実母子でもなく、相反撥し、又、相引合ふ奇妙な状態であつて、それが軍治に苦痛を与へてゐると同じやうに、幾の中にも絶えず響いてゐるのだつた。

鳥羽が軍治に幾の家の跡目を継がせようと言つて呉れた時には、自分のこれから先が急に開いたやうな気さへしたのだ。同じやうに蒔もこれには涙をこぼして嬉しがつたので、それを見ると、幾は自分も苦労の仕甲斐があつた、と思つた。鳥羽家の子供を晴れて吾が子と呼び、母と呼ばれる楽しさは、鳥羽に死なれ、又以前のやうな商売に入る辛らさを消し慰めて呉れたのだつた。軍治の母になると、鳥羽の親戚の者でさへ以前とは違つた眼で見てくれるのがそれと解る程だつた。

しかし、母だ母だと思つてみたところで、軍治に対する今更らしい扱ひ様があるわけではなかつた。鳥羽の子供だと云ふことが未だに頭にあり、又、下手にばかり出てゐた癖は消え失せず、結局軍治の我儘を通してやることが多かつた。母と呼ばれることにも慣れてみれば、商売の忙しさが身を追つて来て、寝る暇さへない位に働いてゐる中には、気の張りも出るし、人扱ひの面白さも思ひ出して来た。それもどうにか目鼻がついて来ると、面と向つて、女手一人で感心なと言はれる時の励みもあり、商売柄で毎日のやうに現金が自分の手で動かせる楽しみも加はつた。この分ならば軍治にも出来るだけの教育を受けさせ、鳥羽側の親戚に対し引け目を感じないで済む、さうも思つた。

その軍治が時々発作のやうな癇癖を起しまるで手のつけられない事のあるのには、どうしてこんな子供を貰ひ受けたのか、と愚痴と解つてゐて考へたりした。それも中学へ入つたら、少しは大人びて来るかと思へば、偶に休暇で帰つて来ると、二三日はともかく、直ぐに不機嫌になつて、何が気に入らないのか事毎に癖の発作を起す。癖だと思ひ過してゐると、客が来なければ静かでいゝと云ふやうなことを口に出すのだつた。誰のために商売してゐると思ふかと幾が腹立ちまぎれに開きなほると、自分が好きでやつてるのぢやないか、と底意地の悪い眼で睨み返して来た、幾は青くなつて「知らん」と言ひ、立ち上つた。すると軍治は傍に在つた長火鉢の火箸をぱつと幾の足許に投げつけたのだが、一つが跳ねかへつて幾の足にあたつた。幾はそのまゝ縁側に走り出ると声を立てて泣き始めた。傍の台所から女中がとび出して来たのを知ると、幾は顔を両手で押へ乍ら居間に引返し「一体どつちが悪いのか、卯女子さんの家まで聞いて貰ひに行く」と云ふ意味のことを途切れ途切れに叫び、矢庭に箪笥の引手に指をかけたが、見当もなく衣類を引張出すと、その上に俯伏して肩を戦かせ、身悶えし乍ら泣き出した。

その次の日、軍治が何時になく和いだ眼つきで話しかけ、この商売を止めてくれるわけには行くまいか、と言つた時には、幾は又かと云ふやうに眉をしかめたのだが、軍治は珍らしく神妙だつた。家が家らしくないこと、偶の休暇で帰つてみても昼と夜とをとりちがへた騒々しさで、絶えず客の気を兼ねてばかりゐなければならぬやうなこの商売は自分の気質に合はないこと、若し自分のためを思つてくれる気があれば止めて貰ふわけには行くまいか、など話すにしたがつて胸の迫るかして、軍治は未だ産毛のある感じのする唇のあたりを引き締めるやうにし乍ら哀願した。

こんな風に言はれてみると、それもさうだと云ふ気がするのだが、又一方では、何か自分の馴染み知り抜いてゐる場所から引落されるやうな、底の知れぬ不安な感情も湧いて、幾は当惑し、顔を曇らせてゐたが、何とか言はねばならぬ気がして、それほどなら、と、口に出しかけた。軍治は見上げ、ぱつと明るさを顔に閃めかした。幾は黙つて自分の手許に眼を落してゐたが、軍治に見つめられてゐると思へば、猶のこと心苦しくなり、やがて苦痛の感じを身体一杯に現はすと、それなり口を噤んでしまつた。

Chapter 4 of 5
|