Kembali
六号室
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六号室
アントン・チェーホフ
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Terang
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Sepia
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 3 of 19

(三)

ある秋の朝のこと、イワン、デミトリチは外套の襟を立てて泥濘っている路を、横町、路次と経て、或る町人の家に書付を持って金を取りに行ったのであるが、やはり毎朝のようにこの朝も気が引立たず、沈んだ調子で或る横町に差掛ると、折から向より二人の囚人と四人の銃を負うて附添うて来る兵卒とに、ぱったりと出会す。彼は何時が日も囚人に出会せば、同情と不愉快の感に打たれるのであるが、その日はまたどう云うものか、何とも云われぬ一種のいやな感覚が、常にもあらずむらむらと湧いて、自分もかく枷を箝められて、同じ姿に泥濘の中を引かれて、獄に入られはせぬかと、遽に思われて慄然とした。それから町人の家よりの帰途、郵便局の側で、予て懇意な一人の警部に出遇ったが警部は彼に握手して数歩ばかり共に歩いた。すると、何だかこれがまた彼には只事でなく怪しく思われて、家に帰ってからも一日中、彼の頭から囚人の姿、銃を負うてる兵卒の顔などが離れずに、眼前に閃付いている、この理由の解らぬ煩悶が怪しくも絶えず彼の心を攪乱して、書物を読むにも、考うるにも、邪魔をする。彼は夜になっても灯をも点けず、夜すがら眠らず、今にも自分が捕縛され、獄に繋がれはせぬかとただそればかりを思い悩んでいるのであった。

しかし無論、彼は自身に何の罪もなきこと、また将来においても殺人、窃盗、放火などの犯罪は断じてせぬとは知っているが、また独つくづくとこうも思うたのであった。故意ならず犯罪を為すことが無いとも云われぬ、人の讒言、裁判の間違などはあり得べからざることだとは云われぬ、そもそも裁判の間違は、今日の裁判の状態にては、最もあり得べきことなので、総じて他人の艱難に対しては、事務上、職務上の関係をもっている人々、例えば裁判官、警官、医師、とかと云うものは、年月の経過すると共に、習慣に依って遂にはその相手の被告、或は患者に対して、単に形式以上の関係をもたぬように望んでも出来ぬように、この習慣と云う奴がさせてしまう、早く言えば彼等は恰も、庭に立って羊や、牛を屠り、その血には気が着かぬ所の劣等の人間と少しも選ぶ所は無いのだ。

翌朝イワン、デミトリチは額に冷汗をびっしょりと掻いて、床から吃驚して跳起た。もう今にも自分が捕縛されると思われて。そうして自らまた深く考えた。かくまでも昨日の奇しき懊悩が自分から離れぬとして見れば、何か訳があるのである、さなくてこの忌わしい考がこんなに執念く自分に着纒うている訳は無いと。

『や、巡査が徐々と窓の傍を通って行った、怪しいぞ、やや、また誰か二人家の前に立留っている、何故黙っているのだろうか?』

これよりしてイワン、デミトリチは日夜をただ煩悶に明し続ける、窓の傍を通る者、庭に入る者は皆探偵かと思われる。正午になると毎日警察署長が、町尽頭の自分の邸から警察へ行くので、この家の前を二頭馬車で通る、するとイワン、デミトリチはその度毎、馬車が余り早く通り過ぎたようだとか、署長の顔付が別であったとか思って、何んでもこれは町に重大な犯罪が露顕われたのでそれを至急報告するのであろうなどと極めて、頻りにそれが気になってならぬ。

家主の女主人の処に見知らぬ人が来さえすればそれも苦になる。門の呼鈴が鳴る度に惴々しては顫上る。巡査や、憲兵に遇いでもすると故と平気を粧うとして、微笑して見たり、口笛を吹いて見たりする。如何なる晩でも彼は拘引されるのを待ち構えていぬ時とては無い。それが為に終夜眠られぬ。が、もしこんなことを女主人にでも嗅付けられたら、何か良心に咎められることがあると思われよう、そんな疑でも起されたら大変と、彼はそう思って無理に毎晩眠た振をして、大鼾をさえ発いている。しかしこんな心遣は事実においても、普通の論理においても考えて見れば実に愚々しい次第で、拘引されるだの、獄舎に繋がれるなど云うことは良心にさえ疚しい所が無いならば少しも恐怖るに足らぬこと、こんなことを恐れるのは精神病に相違なきこと、と、彼も自ら思うてここに至らぬのでも無いが、さてまた考えれば考うる程迷って、心中はいよいよ苦悶と、恐怖とに圧しられる。で、彼ももう思慮えることの無益なのを悟り、すっかり失望と、恐怖との淵に沈んでしまったのである。

彼はそれより独居して人を避け初めた。職務を取るのは前にもいやであったが、今はなお一層いやで堪らぬ、と云うのは、人が何時自分を欺して、隠にでもそっと賄賂を突込みはせぬか、それを訴えられでもせぬか、或は公書の如きものに詐欺同様の間違でもしはせぬか、他人の銭でも無くしたりしはせぬか。と、無暗に恐くてならぬので。

春になって雪も次第に解けた或日、墓場の側の崖の辺に、腐爛した二つの死骸が見付かった。それは老婆と、男の子とで、故殺の形跡さえあるのであった。町ではもう到る所、この死骸のことと、下手人の噂ばかり、イワン、デミトリチは自分が殺したと思われはせぬかと、またしても気が気ではなく、通を歩きながらもそう思われまいと微笑しながら行ったり、知人に遇いでもすると、青くなり、赤くなりして、あんな弱者共を殺すなどと、これ程憎むべき罪悪は無いなど、云っている。が、それもこれも直に彼を疲労らしてしまう。彼はそこでふと思い着いた、自分の位置の安全を計るには、女主人の穴蔵に隠れているのが上策と。そうして彼は一日中、また一晩中、穴蔵の中に立尽し、その翌日もやはり出ぬ。で、身体が甚く凍えてしまったので、詮方なく、夕方になるのを待って、こッそりと自分の室には忍び出て来たものの、夜明まで身動もせず、室の真中に立っていた。すると明方、まだ日の出ぬ中、女主人の方へ暖炉造の職人が来た。イワン、デミトリチは彼等が厨房の暖炉を直しに来たのであるのは知っていたのであるが、急に何だかそうでは無いように思われて来て、これはきっと警官が故と暖炉職人の風体をして来たのであろうと、心は不覚、気は動顛して、いきなり、室を飛出したが、帽も被らず、フロックコートも着ずに、恐怖に駆られたまま、大通を真一文字に走るのであった。一匹の犬は吠えながら彼を追う。後の方では農夫が叫ぶ。イワン、デミトリチは両耳がガンとして、世界中のあらゆる圧制が、今彼の直ぐ背後に迫って、自分を追駈けて来たかのように思われた。

彼は捕えられて家に引返されたが、女主人は医師を招びに遣られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは来て彼を診察したのであった。

そうして頭を冷す薬と、桂梅水とを服用するようにと云って、いやそうに頭を振って、立帰り際に、もう二度とは来ぬ、人の気の狂う邪魔をするにも当らないからとそう云った。

かくてイワン、デミトリチは宿を借ることも、療治することも、銭の無いので出来兼ぬる所から、幾干もなくして町立病院に入れられ、梅毒病患者と同室することとなった。しかるに彼は毎晩眠らずして、我儘を云っては他の患者等の邪魔をするので、院長のアンドレイ、エヒミチは彼を六号室の別室へ移したのであった。

一年を経て、町ではもうイワン、デミトリチのことは忘れてしまった。彼の書物は女主人が橇の中に積重ねて、軒下に置いたのであるが、どこからともなく、子供等が寄って来ては、一冊持ち行き、二冊取去り、段々に皆何れへか消えてしまった。

Chapter 3 of 19
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