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別れたる妻に送る手紙
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別れたる妻に送る手紙
近松秋江
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Asli Public Domain
Chapter 10 of 11

10

「左様なら!」

「さよなら!」

を言って、後を黙あっていて見せる。私は、お宮の方でも、そうだろうと思っていた。

そうして交換手に「もう五分間来ましたよ。」と、催促をせられて、そのまゝ惜しいが切って了うこともあったが、後には、あとからまた一つ落して、続けることもあった。白銅を三つ入れたこともあれば、十銭銀貨を入れたこともあった。私は、気にして、始終白銅を絶やさないようにしていた。

珍らしく一週間も経って、桜木では、此の間のようなこともあったし、元々其家は長田の定宿のようになっている処だから、また何様なことで、何が分るかも知れないと思って、お宮に電話で、桜木は何だか厭だから、是非何処か、お前の知った他の待合にしてというと、それではこれ/\の処に菊水という、桜木ほどに清潔ではないが、私の気の置けない小い家があるから、と、約束をして、私は、ものの一と月も顔を見なかったような、急々した心持をしながら、電話で聞いただけでは、其の菊水という家もよく分らないし、一つは沢村という家は何様な家か見て置きたいとも思って、人形町の停留場で降りて、行って見ると、成程蠣殻町二丁目十四番地に、沢村ヒサと女名前の小い表札を打った家がある。古ぼけた二階建の棟割り長屋で、狭い間口の硝子戸をぴったり締め切って、店前に、言い訳のように、数えられるほど「敷島」だの「大和」だのを並べて、他に半紙とか、状袋のようなものを少しばかり置いている。ぐっと差し出した軒灯に、通りすがりにも、よく眼に付くように、向って行く方に向けて赤く大きな煙草の葉を印に描いている。「斯ういう処にいて働ぎに出るのかなあ!」と、私は、穢いような、浅間しいような気がして、暫時戸外に立ったまゝ静と内の様子を見ていた。

「御免!」

と言って、私は出て来た女に、身を隠すようにして、低声で、「私、雪岡ですが、宮ちゃんいますか。」と、言いながら、愛想に「敷島」を一つ買った。「あゝ、そうですか。じゃ一寸お待ちなさい!」と、次の間に入って行ったが、また出て来て、「宮ちゃん、其方の戸外の方から行きますから。」と、密々と言う。

私は何処から出て来るのだろう? と思って、戸外に突立っていると、直ぐ壁隣の洋食屋の先きの、廂合いのような薄闇りの中から、ふいと、真白に塗った顔を出して、お宮が、

「ほゝ、あはゝゝゝ。……雪岡さん?」と懐かしそうに言う。

変な処から出て来たと思いながら、「おや! 其様な処から!」と言いながら、傍に寄って行くと、「あはゝゝゝ暫くねえ! 何うしていて?」と、向からも寄り添うて来る。

其処の火灯で、夜眼にも、今宵は、紅をさした脣をだらしなく開けて、此方を仰くようにして笑っているのが分る、私は外套の胸を、女の胸に押付けるようにして、

「何うしていたかッて? ……電話で話した通りじゃないかッ……人に入らぬ心配さして!」

女は「あはゝゝゝ」と笑ってばかしいる。

「おい! 菊水というのは何処だい?」

「あなたあんなに言っても分らないの? 直ぐ其処を突き当って、一寸右に向くと、左手に狭い横町があるから、それを入って行くと直き分ってよ。……その横町の入口に、幾個も軒灯が出ているから、その内に菊水と書いたのもありますよ。よく目を明けて御覧なさい! ……先刻、私、お場から帰りに寄って、あなたが来るから、座敷を空けて置くように、よくそう言って置いたから……二畳の小さい好い室があるから、早く其室へ行って待っていらっしゃい。私、直ぐ後から行くから。」と嬉々としている。

「そうか。じゃ直ぐお出で! ……畜生! 直ぐ来ないと承知しないぞッ!」と、私は一つ睨んで置いて、菊水に行った。

お宮は直ぐ後から来て、今晩はまだ早いから、何処か其処らの寄席にでも行きましょう、という。それは好かろうと、菊水の老婢を連れて、薬師の宮松に呂清を聴きに行った。

私は、もうぐっと色男になったつもりになって、蟇口をお宮に渡して了って、二階の先きの方に上って、二人を前に坐らせて、自分はその背後に横になって、心を遊ばせていた。

此間、有楽座に行った時には、此座へお宮を連れて来たら、さぞ見素ぼらしいであろう、と思ったが、此席では何うであろうか、と、思いながら、便所に行った時、向側の階下の処から、一寸お宮の方を見ると、色だけは人並より優れて白い。

その晩、

「吉村という人、それから何うした?」と聞くと、

「矢張りそのまゝいるわ。」と、言う。

「そのまゝッて何処にいるの?」

「何処か、柳島の方にいるとか言っていた。……私、本当に何処かへ行って了うかも知れないよ。」と、萎れたように言う。

私は、居るのだと思っていれば、また其様なことをいう、と思って、はっと落胆しながら、

「君の言うことは、始終変っているねえ。も少し居たら好いじゃないか。」と、私は、斯うしている内に何うか出来るであろうと思って、引留めるように言った。けれども女は、それには答えないで、

「……私また吉村が可哀そうになって了った。……昨日、手紙を読んで私真個に泣いたよ。」と、率直に、此の間と打って変って今晩は、染々と吉村を可哀そうな者に言う。

そう言うと、妙なもので、此度は吉村とお宮との仲が、いくらか小僧いように思われた。

「へッ! 此の間、彼様なに悪い人間のように言っていたものが、何うしてまた、そう遽かに可哀そうになった?」私は軽く冷かすように言った。

「……手紙の文句がまた甘いんだもの。そりゃ文章なんか実に甘いの。才子だなあ! 私感心して了った。斯う人に同情を起さすように、同情を起さすように書いてあるの。」と、独りで感心している。

「へーえ。そうかなあ。」と、私はあまり好い心持はしないで、気の無い返事をしながらも、腹では、フン、文章が甘いッて、何れほど甘いんであろう? 馬鹿にされたような気もして、

「お前なんか、何を言っているか分りゃしない。じゃ向の言うように、一緒になっていたら好いじゃないか。何も斯様な処にいないでも。」

そういうと女は、

「其様なことが出来るものか。」と、一口にけなして了う。

私は、これは、愈聞いて見たいと思ったが、その上強いては聞かなかった。

お宮のことに就いて、長田の心がよく分ってから、以後その事に就いては、断じて此方から口にせぬ方が可いと思ったが、誰れの処ということなく寂しいと思えば、遊びに行く私のことだから、……先達てから二週間ばかりも経って久振りに遊びに行くと、丁度其処へ饗庭――これもお前の、よく知った人だ。――が来ていたが、何かの話が途切れた機会に、長田が、

「お宮は其の後何うした?」と訊く。

私は、なるたけ避けて静として置きたいが、腹一杯であったから、

「もう、お宮のことに就いては、何も言わないで置いてくれ。」と、一寸左の掌を出して、拝む真似をして笑って、言うと、長田は唯じろ/\と、笑っていたが、暫時して、

「あの女は寝顔の好い女だ。」

と、一口言って私の顔を見た。

私は、その時、はっとなって「じゃ愈」と思ったが強いて何気ない体を装うて、

「じゃ、買ったのかい?」と軽く笑って訊いた。

「うむ! ……一生君には言うまいと思っていたけれど、……此間行って見た。ふゝん!」と嘲笑うように、私の顔を見て言った。

「まあ可いさ。何うせ種々の奴が買っているんだからね……支那人にも出たと言っていたよ。」私は固より好い気持のする理由はないが、何うせ斯うなると承知していたから、案外平気で居られた。すると、長田は、

「ふゝん、そりゃ其様なこともあるだろうが、知らない者なら幾許買っても可いが、併し吾々の内に知った人間が買ったことが分ると、最早連れて来ることも何うすることも出来ないだろう! ……変な気がするだろう。」と、ざまを見ろ! 好い気味だというように、段々恐い顔をして、鼻の先で「ふゝん!」と言っている。

「変な気は、しやしないよ。」と避けようとすると、

「ふゝん! それでも少しは変な気がする筈だ。……変な気がするだろう!」負け吝みを言うな、だろう、というように冷笑する。

それでも私は却って此方から長田を宥めるように、

「可いじゃないか。支那人や癩病と違って君だと清浄に素姓が分っているから。……まあ構わないさ!」と苦笑に間切らして、見て見ぬ振りをしながら、一寸長田の顔を見ると、何とも言えない、執念深い眼で此方を見ている。私は、慄然とするような気がして、これはなるたけ障らぬようにして置くが好いと思って、後を黙っていると、先は、反対に、何処までも、それを追掛けるように、

「此の頃は吾々の知った者が、多勢彼処に行くそうだが、僕は、最早あんな処に余り行かないようにしなければならん。……安井なんかも、屡く行くそうだ。それから生田なんかも時々行くそうだから、屹度安井や生田なんかも買っているに違いない。生田が買っていると、一番面白いんだが。あはゝゝゝ。だから知った者は多い。あはゝゝゝ。」と、何処までも引絡んで厭がらせを存分に言おうとする。生田というのは、自家に長田の弟と時々遊びに来た、あの眼の片眼悪い人間のことだ。……あんまり執拗いから、私も次第に胸に据えかねて、此方が初め悪いことでもしはしまいし、何という無理な厭味を言う、と、今更に呆れたが、長田の面と向った、無遠慮な厭味は年来耳に馴れているので尚お静と耐えて、

「君と青山とは、一生岡焼をして暮す人間だね。」と、矢張り笑って居ろうとして、ふッと長田と私との間に坐っている右手の饗庭の顔を見ると、饗庭が、何とも言えない独り居り場に困っているというような顔をして私の顔を凝乎と見ている。その顔を見ると自分は泣き顔をしているのではないか、と思って、悄気た風を見せまいと一層心を励まして顔に笑いを出そうとしていると、長田は、ますます癖の白い歯を、イーンと露して嬲り殺しの止めでも刺すかのように、荒い鼻呼吸をしながら、

「雪岡が買った奴だと思ったらいやな気がしたが、ちぇッ! 此奴姦通するつもりで遊んでやれと思って汚す積りで呼んでやった。はゝゝゝゝ。君とお宮とを侮辱するつもりで遊んでやった。」とせゝら笑いをして、悪毒く厭味を言った。

けれども私は、「何うしてそんなことを言うのか?」と言った処が詰まらないし、立上って喧嘩をすれば野暮になる。それに忌々しさの嫉妬心から打壊しを遣ったのだ、ということは十分に飲込めているから、何事に就けても嫉妬心が強くって、直ぐまたそれを表に出す人間だが其様なにもお宮のことが焼けたかなあ、と思いながら、私は長田の嫉妬心の強いのを今更に恐れていた。

それと共に、また自分の知った女をそれまでに羨まれたと思えば却って長田の心が気の毒なような気も少しは、して、それから、そういう毒々しい侮辱の心持でしたと思えば、何だかお宮も可哀そうな、自分も可哀そうな気分になって来た。私はそんなことを思って打壊された痛い心と、面と向って突掛られる荒立つ心とを凝乎と取鎮めようとしていた。他の二人も暫時黙って座が変になっていた。すると饗庭が、

「あゝ、今日会いましたよ。」と、微笑しながら、私の顔を見て言う。

「誰れに?」と、聞くと、

「奥さんに。つい、其処の山吹町の通りで。」

すると長田が、横合から口を出して、「僕が会えば好かったのに。……そうすれば面白かった。ふゝん。」という。私は、それには素知らぬ顔をして、

「何とか言っていましたか。」

「いえ。別に何とも。……唯皆様に宜く言って下さいって。」

すると、また長田が横から口を出して、

「ふゝん。彼奴も一つ俺れが口説いたら何うだろう。はゝッ。」と、毒々しく当り散す。

それを聞いて、仮令口先だけの戯談にもせよ、ひどいことを言うと思って、私は、ぐっと癪に障った。今まで散々種々なことを、言い放題言わして置いたというのはお宮は何うせ売り物買い物の淫売婦だ。長田が買わないたって誰れが買っているのか分りゃしない。先刻から黙あって聞いていれば、随分人を嘲弄したことを言っている。それでも此方が強いて笑って聞き流して居ようとするのは、其様な詰まらないことで、男同士が物を言い合ったりなどするのが見っともないからだ。

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