Kembali
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知里幸恵
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Chapter 4 of 7

4

自分を捨てゝ人の為に……何といふ難かしい事であらう。私にはとても出来ない事であらう……が、此の前先生が仰った様に、自分を捨てきる事は出来ないけれども捨てゝ人の為にしようといふ努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく……それが人間にとってもっとも尊い事である。

おひる過ぎ、先生お一人を残して三越に出かける。電車の中は涼しかった。

奥様のお顔も涼しく見えたので嬉しかった。昨日いたゞいた着物を早速着て出かけたのだ。嬉しかった。真心から与へられたものを真心から有難いと思ふ――それでいゝのだ。何でお礼が返せるかなどゝ思ふのは、かへって与へた人の真心を無にする所以かも知れない。私だって人に物をあたへる時、価を貰はうとして与へるか。それでは押売りではないか。

三越の中をあるいて/\くたびれてしまった。お汁粉、ドーナツ、曹達水を御馳走になって帰って来た。文明世界は私たちから見ればまるで戦場の様な目まぐるしいものだと思った。二尺に一尺ぐらゐの平べったい瀬戸物の中に水をたゝへて、其中に黒い石の凸凹になったり穴のあったりしてゐて二十円だといふ。小さな二つ三つの赤い花をつけた鉢が二円いくらだといふ。何だかぐちゃ/\とした半衿が一かけ五円だといふ。すべてが私の目をまるくする種であった。何を見たのかちっとも覚えてゐない。何でもあゝいふものは私よりも色の白い人たちが興味を持って見るものであらう。私はたゞ別な人間の住む星の世界を見物にでも来た様な気がした。自分で欲しい、自分の身につけて見たいなどゝはちっとも思はなかった。

夜本郷キリスト教会の祈祷会に奥様のお許しを得て出席した。男は牧師を入れて七人、女は私と八人、女の子が二人ゐた。

ちっとも熱のない会の様に思はれた。私は何故こんな心になったのだらう……。

兵隊さんあがりの商人らしいりっぱな人の信仰の証言があった。それは自分の妻をうんとほめそやしたものであった。

愛は忍ぶ――ほんとうに然うだらう。夫を愛すればこそ何事も忍ぶ――おうちの旦那様も奥様を愛するから忍耐しておいでなさる――奥様も子がかはいゝからこそ自分の苦しみを忍んで朝からあゝしていらっしゃる――愛があればこそ――。私に愛があるか――お前がお前を愛すると云ふ事のみでなく人を愛する愛を持ってゐるか――。

白髪交りの梅原先生や、谷先生の奥さんによく似たよささうな人が私たちの為にお話をなされた――曰く、貴女がたが此の静かな時を得て、口に出さねど心の中に祈る為に此のみ堂に集ったのは何といふ幸福な事でせう。すでに祈祷会に出席しようと思って一歩を外に踏出した事が救はれてゐる心の拠レ証で、貴方方は実に仕合せな人たちだ――。

牧師さんがねむさうなのにはお気の毒な感じがした。今日旅から帰られたばかりだといふ。無理もないこと。人の話に感動して額を机にすりつけて居られるのかと思ったら、それはねむっていらしったらしかった。おねむい時はあゝいふ会に成るべく出席なさらない方がいゝのぢゃないかしらと思った。

牧師さんのお話は、何でも御旅行先の森岡とかいふ人が、肺結核になって一時は非常に悲観して世を呪ひ人を呪ってゐたが、この頃はその病気がすっかりなほって、其の家庭がまるで変ったといふ事であった。そして其の病気のなほったのは其の心持からで、たしかに神の霊感を受けたからで、私たちは誰でもみんなその霊を感ずる事が出来る――といふのであった。

でも教会へ行く事が私には大きな楽なのだ。

私に感化されてお菊さんがたいへんよくなったと奥様が、おひるきくさんがお使行のあとで仰った。私の内心びくりとした。ハテ、私に一たい何んなよいところがあるのか、臆病な卑怯な心の持主の私の、何処が人を感化する力を持ってゐるのだ――自分で自分をさへよくする事が出来ない私ではないか――おゝはづかしい――。お菊さんは不幸な人で、さうして幸福な人だ――物を見て、人のでも構はず欲しくなって手を出すといふ癖を持つ人は沢山ある。私は、物を見る――きれいだ、と思ふ――然しそれが欲しい、自分のものにしたい、などゝ思ふ事があるかしら――。お菊さんはその心が出て来たときに自制する事が出来ないから不幸な人であったが、今は心を入換へてそんな性癖を矯してしまったといふ。何といふ尊い事でせう。彼女は幸福な人である。自分の性癖をまったくすてゝしまふ、それは何んなに難かしいか知れない。私にはどんな性癖があるのだ。――人前をかざる――それではないか。即ち嘘偽! 言葉にも行動にも。でもほんとうに純な心になってる事がある――そんな時には決して嘘なと云はれないが。他人の感情を害ふ事を無闇とおそれる私。やはり臆病なのだらう、心にもないお世辞を吐いたりする。

人の感情を害すまいとして、自分の思ふと違ふ、寧ろ反抗したい様な事柄も口では然り! と相槌を打つのが私のくせだ。それは正しくない虚偽の生活か――わからない――それだからって、自己に忠実に、人の感情が不快であらうがどうであらうがそれは知った事ではない、自分の思ふ事をどし/\言ってしまって人の心の平和をかきみだしてしまふ――それでよいのかしら――わからない――。

しかし、こんな事で迷ふのは、私がばかなのだらう。それは時と場合によるのだから……。だけども、それは人各自の性質の如何で、同じ時、同じ場合でも一方はさらりと竹を割る様に活溌に自己の思ふ事を其のまゝ発表してしまひ、一方は内気に控へて言ひたいのをこらへて、口にまで出るのをのみこみ/\何うしても言出し得ないでもじ/\する。私は一たい何れに相当するのか――私は臆病なのだ――意気地なしなのだ――。

久しぶりで英語をおならひする事が出来た。先生はほんとうにおねむさうなのに、私故に無理をなすって教へて下さるのを思ふと、安閑と毎日を暮しておせわになり、其の上に英語を教へていたゞくなんて随分勿体なさすぎる事だと思って気が気ぢゃなかった。

昨夜の先生の御講演はアイヌの宗教についてで、非常に賞讃を受けられたと云ふ。何だかしら嬉しかった。二滴らし三滴らしの酒と一つの柳の削ったのを神に捧げて、そして大きな願をする――ずいぶん虫のいゝはなしだ――と思ふ人ははぢなければならない、といふ。何故なら神は人を造ったと云ふが、学問上からは人が神をつくるのだとする。西洋の神は西洋人と同じ神様、日本人の神様はやはり日本人とおなじ神様である。だからアイヌの神様もまたあいぬ自身の心の反映だから、あいぬの神が一滴二滴の酒とイナウをうけて、そして人間の大きな願を容れて大きな恵を下す……それは即ちアイヌの心持を其のまゝ物語るものであるといふ。寡慾なアイヌが頼まれゝば厭とはいへないといふ様な性質なのだ、といふお話でありましたさうな。

何だか涙ぐましい気分になったのだった。

お湯に行っての帰りに、めくらの女を見かけた。何処とかの按摩さんをたづねて来たがわからぬから、此の近所の同業者をたづねてきいてみたらわからうと思って来たのだといふ。杖で探り/\あるくが中々早い。転びはしないか、人とぶっつかりはしないかとハラ/\した。がおきくさんの注意で、道が違ふといふ事がわかって私は彼女の手をひいた。何といふあつくるしい手であったらう。よくしゃべる……見えない目をクル/\大きくする。着物の袖付は二、三寸もほころびてゐた。大きな体格。近所のもみれうじやでは、彼女がいくら大きな声で呼んでも出て来なかった。やっと不親切な女中らしい声が内から出て来た様だ。先生はおるすでいらっしゃるか? の問に女中は無愛想に不在のよしを話してゐた。が、硝子越しに見えた男は主人ではなかったかしら。何にしても、もう少し情のある言葉を彼女に誰かゞ与へてもよささうに思ほへた。悲惨だ。何うしてあんなめくらになったのであらう。今頃は何処にゐるだらう。目的の家が見つかったかしら。

六月十六日

妙な夢ばかり見つゞけた。目をさますと何だかからだが蒸暑いやうな重苦しさを感じた。だいぶ動悸がする。電気はまだ点いてゐて、七八寸開かれたお座敷の襖から坊ちゃまが裸で寝ていらっしゃるのが見えた。しばらく私はそのまゝグッタリしてゐると、突然、サーッと雨が降りだした。いゝ気持。小半時間もたっておきくさんを起したが、彼女は目を細目にひらいて私を見てゐたが、またすや/\とねむりだした――幸福、健康の幸福を彼女は持ってゐる――。

暫くして、雨戸をあけて外を見た時は実に好い気持であった。青葉がしっとりと雨に濡れてポタリ/\と落ちる緑の雫、銀の雫。こゝ地よい風が青葉を渡る。今日一日降ったり霽れたり。とう/\梅雨期に入ったのだ。

一時間ばかりねむってしまった。何うしてかうもねむり慾からはなれる事が出来ないのかしら。少し不足すると動悸が早くなり頭が重くて目がはっきりしない。

赤ちゃんの発熱でびっくりした。奥様の御心配がお痛はしい。私は大丈夫だと思ふ。赤児の発熱はまゝある事で、構はずにしまふと取返しのつかない事もあるが、あまり心配するのもよくない様に思はれる。

然し、親が子の為に心配するのは人情の自然だものを……はたから、心配なさいますななどと、なまじっかな慰言を呈するのは却って罪かも知れない――私は心配する人と共に同じ心で心配したい、――それでいゝのかしら。しかしまさかに、一々相槌打っては心配を増して、それも罪ではないか。そんな事も出来ない。

先生のお話。亜米利加では監獄の囚人を信じて獄外に出して、中学とかと野球の試合をさせる。すると囚人は一人も逃げるものなんか無く、信じられた嬉しさ有難さに泣いて獄屋に帰って来る、といふ。

ほんとうに、信じられるといふ事は幸福な事ですね、と仰った。まったく信じられた時は、何うしても「こんなにまで信じられては、何うしてもしっかりしなければならぬ」といふ責任観念がひとりでに起って来て、むやみと疑はれる時は、こんなにしてもうたがはれる、と思ふと馬鹿らしくなるのが人の感情であらう。勿論、信じられようが疑はれようが、自分の尽すべき事を忠実につくし得る、尊い誠心がなければならないけれど……凡人は何うしても前者の様になりやすい、と思ふ。

六月十七日

汝心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして大いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く汝の隣を愛すべし。(太二二・三七―三九)

ほんとうに最も大きな誡、これだけを守る心がある人は全くのえらい人でせう。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だらう。が、先生がいつか仰った様に努力! 完全といふ目的にむかって真直に進んでゆく……それが私には最大なものである。

六月十八日 日曜日

中央会堂へ行く。波多野牧師、能力の宗教といふ説教。

荻原副牧師の祈祷は何とも云はれずよかった。夜、救世軍へ行って、親の勤めと云ふおはなしをきいた。

六月十九日 月

奥様はおひるからお出かけ。

赤ちゃんがお熱でお菊さんと二人で体温をはかるやら大さはぎ。

でも思った程でもなかったのでよかった。

奥様は痛切に神を求めていらっしゃる。先生は、奥様に神を信じさせようと熱心に努めていらっしゃる。

ときの声をお目にかけた。ブース大将の悲哀の教訓を……。

先生はそれを奥様に読んでおきかせなすった。それから、馬太伝六章二十五節からおしまいまでのヱス様の御教訓を奥様にお読きかせなさいました。

六月二十日 火曜

故里の何処からも葉書一枚来ない。何だか寂しい。

六月二十一日

登別の父様、母様からお手紙が来た。親の愛、それはほんとうに疑ふことの出来ないものである。深いふかい親の慈愛をありがたく思はずに居られない。筆不精の父様が長い手紙を、書ぎらひなはぼがあれだけ書いて下さる。不孝する子ほど可愛いものだといふ。私はしみ/″\思ふ。親の深い恩愛を……。

今朝お銭をいたゞいて涙した事が寝る前になっても胸にのこってゐて、泣きたい様な感謝の心が湧く。私が何をした為にかうしてお銭をいたゞくのか……こんなことを思ふのは間違ってるのだ。心よく与へて下さるものはありがたうございますと、溢るゝ感謝と共に真直にいたゞくのがいゝのだ。

Chapter 4 of 7
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