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吉田松陰
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吉田松陰
徳富蘇峰
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Terang
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Sepia
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Terjemahan Pagera AI
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Chapter 2 of 23

緒言

題して『吉田松陰』というも、その実は、松陰を中心として、その前後の大勢、暗潜黙移の現象を観察したるに過ぎず。もし名実相副わずとせば、あるいは改めて『維新革命前史論』とするも不可なからん。

昨年の春初「本郷会堂」において、「吉田松陰」を講談す。のち敷衍して『国民之友』に掲出する十回。さらに集めて一冊となさんと欲す、遷延果さず。このごろ江湖の督責急なるを以て、咄嗟の間、遂にこれを成す。原文に比すれば、その加えたるもの十の六、七、その刪りたるもの、十の一、二。

事実の骨子はおおむね『幽室文稿』『吉田松陰伝』より得来る。その他参照に資したるもの枚挙に遑あらず。

松陰の妹婿にして、その同年の友たる楫取男爵、その親友高原淳次郎、松陰の後嗣吉田庫三の諸君は、本書を成すにおいて、あるいは助言を与えられ、あるいは材料を与えられたり。特に記して謝意を表す。

松陰肖像は、門人浦無窮が、松陰東都檻送せらるるに際して描きたるものを、さらに謄写したり。松陰神社、及び墳墓は、久保田米僊君自からその境に臨んで実写したるもの。

平象山の詩は、勝伯の所蔵に拠り、東遊稿は、高原淳次郎君の所蔵に拠る。稿中吉田大次郎とあるは、松陰初めの名なり。後「寅次郎」と改む。この稿は彼が米艦に塔じて去らんとするに際し、これを高原君に贐りて紀念となしたるものなりという。松陰が横井小楠翁に送りたるは、横井時雄氏の所蔵に拠る。この書簡は彼が露艦を趁うて長崎に来り、遠遊の志を果さんと欲して得ず、その帰途周防より横井翁に寄せたるもの。村田清風の詩は、嘉永四年余が叔父徳富一義、小楠翁に陪して天下を周遊するに際し、親しく村田翁に授りたるもの、今や蔵して余の家に在り。

以上みなその真蹟を石印に写したるもの、希くは髣髴として、その真を失わざらん。

勝海舟翁、佐久間象山と旧交あり、象山は松陰の師、而して余また海舟翁の門下に教を受く、故に翁の題言を請うて、これを篇首に掲ぐ、また因縁なくんばあらず。

明治二十六

第五帝国議会開会の日

東京民友社楼上において著者

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