七
『そうです、こういう風でわたしもこのジャーシーや、垂らした髪や、トゥルニュールに釣られたのです。
『が、わたしを釣るのは造作もないことでした。なぜなら、わたしはまるで温室の中の胡瓜みたいに、無理にも恋する若い男を作り上げるような境遇に成長したのですからね。じっさい、われ/\が肉体的にぜん/\無為な生活をしながら、刺激性の食物を過度に摂取しているのは、組織的な性欲挑発でなくてなんでしょう。あなたがびっくりなさろうとなさるまいと、事実はその通りなのです。全くわたしもつい近頃までそれに気がつかなかったのですが、今こそ分りました。それだから、誰一人これに気がつかないで、そら、さっきの奥さんのような馬鹿げたことをいってるのが、わたしにとっては苦しくてたまらないです。
『さよう、ある年の春、わたしの領地の付近で、百姓たちが鉄道線路の土手で仕事をしましたが、若い農民の普通の食物は、パンとクワス(ライ麦より製したロシヤ独特の弱酒精飲料)と玉葱ですが、それでも元気で達者に生きています。そして、軽い野良仕事をやるのです。ところが、鉄道工事へ出かけると、その食料も粥と肉一斤となります。その代り三十プード(一プードは約四貫)の手車を曳いて、十六時間の労働でこの肉を消化する。それが彼らにちょうどいいのです。ね、ところが、われ/\は、毎日二斤ずつの肉や、鳥や、魚や、その他あらゆる興奮性の食物をたべていますが、一体これがどこへ行くのでしょう? みんな肉欲の過剰になるのです。もしその方面へいってしまえば、つまり、この有難い安全弁が開かれていれば、すべては泰平無事なのです。ところが、一時わたしのやったようにその安全弁を閉じると、すぐに興奮が始まります。それは、われ/\の人工的生活のプリズムを通して飛び切り清浄な恋――時としてプラトニック・ラブと云ったような形式をとって現われてきます。で、わたしもすべての人と同じように恋をしたのです。
『しかも、すべての条件は眼の前に揃っていました――歓喜も、感激も、詩趣も‥‥ところが本当のところわたしの恋は、一方、母夫人と仕立屋の活動の所産であり、いま一方からいうと、わたしがのらくらしながら、過剰な食物を摂取した結果にほかならぬのであります。もし一方においてボート遊びや、腰をぎゅう/\締め上げた服を作る仕立屋がなく、妻が無恰好な上衣を着て、じっと家に坐っており、いま一方わたしがノーマルな状況で生活し、労働に必要なだけの食物を摂取して、そのうえ、例の卓効ある安全弁が開かれていたならば(ちょうどその時どういうわけか、たまたまこの安全弁が閉っていたのです)、わたしは恋に陥ることもなく、ああいうことも一切おこらなくて済んだのでしょう。