Kembali
霧の蕃社
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霧の蕃社
中村地平
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Terang
Gelap
Sepia
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 3 of 7

三

話は急に新しくなって昭和五年になる。この頃、モーナルーダオの内地人に対する胸底のくすぶりに、大きく点火するような出来事が相継いで起った。

先ず最初に――その夏の初め頃、霧社小学校は予算六千円で、新しく改築されることになった。蕃人に皇民教育を授ける霧社公学校が瓦ぶきの堂々たる建物であるのに比較すると、内地人児童のための小学校は、茅ぶきの粗末な、見すぼらしい校舎に過ぎない。蕃人に与える印象は勿論、内地大児童の精神に及ぼすところも面白くない、という理由であった。

いよいよ建築が始まると、霧社警察分署ではマヘボ社蕃人各戸に対して、四寸角二間柱一本ずつを割りあて、山林から現場へ運ぶことを命じた。しかし、蕃人たちは既にそれよりさき、埔里武徳殿や、付近の桜温泉の新築やに賦役を命じられている。引きつづいて新しい賦役が与えられたことに不満である。しかも、不満はそればかりではなかった。

この付近の蕃人の習慣としては、木材をはこぶのに地面をひきずって歩くのが普通である。しかし、それでは用材に傷がつく。内地人の常識としては、当然、肩にかついで運ぶことを命じるよりか仕方がないのである。建築の直接責任者である分署主任の警部佐塚愛祐はそのように命じた。しかし、そのことは予期しない、無惨な結果を産んだ。蕃人たちの肩は馴れない方法のために、いちように赤く腫れあがって痛んだのである。

佐塚警部の妻もまた蕃人出身であった。だから始め彼が分署主任としてその土地に赴任した時、蕃人たちはその来任を心から喜んだ。自分たちの生活に理解が深いにちがいない、という期待のためにである。しかし、警部が予期しない失政をほどこした時、蕃人たちの心は彼から離れた。初めの期待が大きかっただけに、失望の度合いは少くなかったのである。

賦役とはいうものの、労役に対しては当然の報酬として日当四十銭ずつが支給される約束であった。それは蕃人の生活程度から推せば、決して少い額ではない。しかし、蕃人の心が始めからこの賦役に穏やかでないことを知っている二三の不逞な本島人たちは、たちまちそれを煽情の具に供した。

「そんな、四十銭だなんて、馬鹿な、安い賃金があるもんか」

この煽動が素朴な蕃人たちの不平をいっそう助長させる結果を産んだ。

用材をきりだす山林から、現場までは約半里ばかりある。丁度、その半ば頃に頭目モーナルーダオの住いがあった。やすむのには頃合いである。蕃人たちは往き帰りに、その家にたちよる。自然、赤く腫れあがっている肩を見せ、賦役に対する不満を語る、ということになるのである。

もとよりモーナルーダオは妹テワスのこと以来、内地人に対する反逆の心を忘れたことはない。それが今改めて同じい種族の仲間から不満を聞かされては、いっそうその心は募るばかりである。無口なルーダオは彼等の談話には黙々として返事もしなかったが、深く期するところがあったのである。

その秋――

霧社は珍しい豊作であった。粟祭りが賑やかに行われた。粟酒をつくっての、酒もりも各戸でいくたびか行われた。そして、そういう酒もりが開かれるたびに、若者たちが聞かされるのは、老人たちの酒の機嫌での気焔であった。

「むかし、俺たちが若かった頃は……」

これは内地の田舎などでよく見かける風景である。しかしこの場合、気焔は結局首をいくつきった、という自慢話に落ちるから危険である。老人たちに首きりを煽動する意思があったわけではない。しかし、結果的には同じであった。そういう自慢話を聞いたのち、若者たちは口に出してこそ言わないけれど、腹のなかでは考えているのである。

「俺たちだってやろうとさえ思えば……」

その若者たちの心の動きを、じっと静かに見まもっているのは頭目のモーナルーダオであった。社の人の心の動きは、ひとりでにすべて彼の方に都合よく動いてゆくようである。彼ははやる心をおさえつけて、ひたすら時期をまっていた。

秋晴れの午後であった。

モーナルーダオはマヘボ社の親戚ジアスアベバの家に呼ばれていた。その家と同じい社に住むアイシユドウとは、永い間、不和の状態に在った。そのもつれが、両家の結婚によって漸く解けることになった。二重の喜びに張られた祝宴に、彼も連っていたわけである。

酒は快くまわって、モーナはまっ赤な顔をしていた。モーナは上機嫌であった。間もなく酒の酔いを醒ますために彼は危い脚つきで表に出た。丁度、その時であった。明るい表の陽ざしのなかを、分署の吉村巡査が急ぎ脚にとおりかかった。

「こんにちは……」

モーナは素朴な笑顔を浮かべて挨拶した。吉村巡査も愛想よく答えた。

「やあ、いい機嫌だな」

「よって行きなさい」

「きょうは駄目だ。公務の途中だから……」

巡査がそのまま行きすぎよう、とすると、モーナはあとから追いすがるようにして、またすすめた。

「ちょっと、寄りなさい。御馳走うんとあるよ」

「きょうは駄目なんだったら、木材運搬の監督に出かける途中だから……」

吉村巡査は笑顔をふりむけて答えた。その時まではモーナの応対はまだ上機嫌であった。しかし、蕃人の習慣として、厚意のもとに酒食を饗応しようとする時、相手がそれを受けつけないと、自分が傷けられたような気もちになって激怒するのが一般である。吉村巡査がどうしても酒間に加わってくれないことを知ると、ルーダオは急にむらむらと腹がたってきた。初めはそういう気もちは全く無かったが、興奮がたぎってくると、平素内地人に抱いている反感までが急に頭をもたげてきた。やにわに彼は傍らに在った豚の生肉をひっつかむと、吉村巡査に追いすがりざま、それを無理矢理に口のなかにおしこもうとした。口にべっとりとくっついた柔かい、生暖いものの正体に気がついた時、吉村巡査は激怒してしまった。巡査は体じゅうで興奮しながら、相手をなぐりつけようとした。ルーダオはそれをさけ、けだもののような叫び声をあげながら、巡査に組みついてきた。この騒ぎを聞きつけると、蕃屋のなかで酒を飲んでいた蕃人たちはすべて表にとびだしてきた。そして、口ぐちにガヤガヤさわぎながら二人をひきはなし、よってたかって吉村巡査をなぐりつけた。

この官吏侮辱の罪は理蕃上由々しい問題である。直ちに上司に報告して適当の処置をとらなければならない筈のものである。しかし、吉村巡査はずきずき痛む脚腰をひきずるようにして家へ帰ると、その日は病気と称して公務の方は休んでしまった。自分が暴行を受けたことは胸ひとつにたたみ、蕃人たちをかばってやろう、と思ったのである。しかしこの曖昧な温情がかえって悪い結果を産むことになった。

酒の酔いが醒めはてた時、モーナルーダオは始めて自分のしたことの重大な意味に気がついた。山で大人(警官)といえば殆んど絶対者に近い威望がある。その口に豚の生肉をおしつけ、あまつさえ袋叩きにしてしまったのである。当然、刑罰をまぬがれることはできない筈である。モーナルーダオは自分たち仲間一同が逮捕され留置されることの想像に脅えた。しかし、どういうわけか、当局からはなんの音沙汰もない。無気味な位である。彼は不安な毎日を送った。焦々し、かえって脅えが増すばかりである。遂いにはその脅迫観念が彼を逆に攻勢的な気もちのなかに追いこんでしまった。

「自分がやられないうちに、内地人をやっつけなければ……」

かねて心の奥底ふかくに育てはぐくんできた計画を、この際彼は一挙に実行に移そう、と思いたったのである。心の秘密、つまり霧社在住の内地人をみな殺しにする、というその恐るべき計画を、モーナルーダオは先ず最初、自分の息子たちに打ち明けた。長男も次男も父の計画に否応のある筈はなかったが、わけても勇猛な次男のタダオモウナオは積極的で、今すぐにでも事をあげたい姿勢を示した。父親はそれをおさえ、しばらく時期をまつように、そしてそれまでは決して他言しないように、くれぐれもさとした。

高台の桜の葉は落ちつくし、それをとりまく辺りの山々がようやく紅葉し始めた頃であった。

モーナルーダオの耕作小舎には、人知れず数名の男たちが毎日のように集り、なにごとかを謀議しつづけていた。それはモーナルーダオを始め付近に住む蕃人ヒポサツポ、ヒポアリス、タイモポホツクたちの三人で、すべて内地人に対して、深い反逆の心をいだいているか、或いは首きりをしなければ運命を拓くことができない、どんづまりの生活に落ちこんでいるか、その何れかの人間たちであった。

Chapter 3 of 7
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