二
ウォリクの城の表門の前に立つた時は、來てよかつたと思つた。奧は深くて見通せないが、一見して堂堂たる城廓であることが直感され、一人二シリングの入場料も高くは思へなかつた。但し、伯爵閣下の現在の居城であるためか、門衞所では入場劵を賣らないで、向角の繪端書屋まで買ひに行かねばならぬやうになつてゐた。車も門前に乘り捨ててはいけない。一丁ほど下つた所にパーキングの場所があつて、其處まで持つて行かねばならなかつた。
なるほど、門を入つて行くと、石灰岩を掘り割つた狹い切通しが爪先上りに長くつづき、車ではやつと一臺きり通れまいと思はれた。兩側には老樹が茂り、城の前庭に達するまで深い森林を分けて行くやうな感じで、前庭からは、左に圓筒形のシーザーの塔(高さ一四七呎)、右に十二角形のガイの塔(高さ一二八呎)が仰がれ、どちらも十四世紀の塔で、塔と塔の間は高い石塀でつなぎ、その中間に大手ともいふべき二重の塔門が立つてゐる。石塀には蔦がからみ、塔の周りには大樹が枝を交はしてゐた。
自ら進んでマクベスの賓客となつた王ダンカンはインヴァネスの城門の前に立つて、これは氣持のよい城だ、と叫んだ。それと同じ印象を私もウォリクの城門の前で與へられた。此處からわづか八マイルの所で生れ育つたシェイクスピアは恐らく此の有名な城を見なかつた筈はない。殊にシェイクスピアの時代に於いては、ウォリクシアは全イギリスの中心地といはれるほどに榮えてゐた。といふのは、主としてウォリク伯の偉大な勢力に因るものであつた。その城下へストラトフォドの肉屋の息子も幾たびか出かけて來て、此の壯大な塔や塔門を振り仰いで、昔のビーチャムとかガイとかリチャードとか以來のウォリク伯の權勢に關聯する歴史傳説を思ひ出し、殊にイギリスの王權に關係する事蹟などから、後日の史劇創作に役立つ雰圍氣の下拵へがおぼろげながらでもできたであらうことは想像される。