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名曲決定盤
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名曲決定盤
野村胡堂
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Chapter 8 of 100

エルマン Mischa Elman

クライスラー以前に、日本人に親しまれたのは、ミッシャ・エルマンである。クライスラーが日本を訪ねた前々年(大正十年二月)、「楽聖」という触れ込みで日本へ来たエルマンの武者振りは全く我々世間見ずの度胆を抜くに充分であった。その頃のエルマンはまだ二十八、九歳の青年であったが、アウアー門下の逸足として、世界的に大名を馳せ、日本を訪ねるのは、何がなし、有難いことのように思えたものであった。

エルマンのヴァイオリンを特色づける、いわゆるエルマン・トーンは、その頃最も脂の乗り切った時で、その後十幾年、昭和十二年に日本を訪ねたときは、もはや昨日のエルマン・トーンはおもかげしか残っていなかった。

若い頃のエルマンというものが、全く魅力満点であったことは誰でも認めている。エルマンの音の豊麗な美しさは、クライスラーとは全く違ったもので、さらに脂の強く、生々しいものでさえあった。電気以前の『G線上のアリア』やシューベルトの『アヴェ・マリア』、ショパンの『ノクターン』などが、どれほど持て囃され、心酔され、尊敬されたか、今日のファンの想像の及ぶところではない。

エルマンの演奏はクライスラーとは正反対で、ステージの上を、極めて活発に歩き廻り、目につくほど猛烈に身体を動かした。それはしかしなんでもないことだ。エルマンは芸術家であり、そして充分過ぎるほど、我らを陶酔境に導いてくれたのである。ステージで動くくらいのことになんの不思議があろう。

世界的なヴァイオリニストに接したことのない、その頃の聴衆は、ただ随喜し渇仰した。その時帝劇の特等は十五円、一等は十二円、二等でさえ八円であった(三等四円、四等二円)。それだけの前代未聞の入場料を取って、帝劇を満員にしたエルマンと、エルマンを売り込んだ興行政策は驚嘆していい。

(因みに、翌々年来朝したクライスラーは、十五円、十三円、十円、四円、二円で、同じ年のゴドウスキーは十円、七円、二円、一円であった。エルマンと同じ年に来たシューマン・ハインクは十二円五十銭、十円五十銭、七円五十銭、三円六十銭、二円と刻み、大正十二年のハイフェッツ、その後のガリクルチ、マッコオマックなどは皆十円組であった)

余談が長くなり過ぎるが、エルマンは電気になって、遙かに尾鰭を添えたが、幾分昨の魅力を失ったことは否み難い。それでもなお、『G線上のアリア』と『アヴェ・マリア』(七一〇三、再プレス盤はJD一二八三)の美しさは依然たるもので、いやしくもヴァイオリンのレコードに関心を有する者は、この一枚をコレクションに欠くことは許されないだろう。続いて『ツィゴイネルワイゼン』(JD一〇一八)(これはハイフェッツも面白いが)、『トロイメライ』(一四八二)といった程度のものが挙げられるだろう。さらにエルマンに興味を感ずる人のために、ドルドラの『スーヴニール』(一三五四)、ベートーヴェンの『メヌエット第二番』(一四三四)、ドリゴの『セレナード』(一五三八)、トーメの『飾らぬ打明け』(JD四一六)を掲げておこう。(エルマンのレコードは全部ビクターに入っている)

エルマン・トーンというものは、全く特色的なトーン・カラーで、かつての神童エルマンが、一躍世界楽壇の寵児になったのも、一にあの幻妙不可思議な美しい音色を持っていたためにほかならない。

今から十五、六年前、エルマンの最も華やかなりし頃のヴァイオリンの音色は、全く形容を絶するものがあった。それは妖艶無比な媚と、甘さと、そして、悪魔的な魅惑力さえ持ったものであった。このエルマン・トーンの不思議な美しさを伝えるためには、当時のレコードの録音法はあまりにも幼稚で、レコード技術の進歩した今日では、無慙にもエルマンは、昔のエルマン・トーンを失ってしまっていた。

エルマン・トーンは、妖艶極まるものであったが、当然の結果としては多少の下品さを持つこともまた免れなかった。潔癖なディレッタントたちは、その頃からエルマン・トーンを排し、ひいては、アウアー門下に累を及ぼしたのも無理のないことである。

話は岐路に入るが、先年、アメリカで物故したレオポルド・アウアーは、近代ヴァイオリンの巨匠であるばかりでなく、名ヴァイオリニストの生みの親として、極めて巨大な存在であった。十九世紀の末葉から、二十世紀の初頭にかけてのヴァイオリン教授としての巨大な存在は、ヨアヒム、マッサール、セヴシック、フバイ等、甚だ少くはないが、なかんずく帝政ロシア時代のセント・ペテルスブルグに門戸を張ったレオポルド・アウアーほど、多くの名提琴手を生んだ人はない。

エルマン、ジンバリスト、ハイフェッツ、パーローを始め、最近欧州の楽壇に頭角を現わしたミルシュタインに至るまで、レコードで知られているのだけでも恐らく十人を下るまい。そのアウアー門下のヴァイオリニストに共通の特色は、いずれも、優れた技巧家であることと、それから、華麗で外面的で、食い付きの良いことである。アウアー門下生にもいろいろの色彩と個性があるにしても、ミッシャ・エルマンの華やかさと、その外面的な技巧が、恐らくアウアー門下生に共通のものを、最も強調したかに見えるのは、筆者の偏見ばかりではあるまいと思う。

大田黒元雄氏の雑文などを通して見るエルマンは、かなり素朴な朴訥漢であるらしい。ほとんど世界的大提琴家とは思えぬほどの、鄙びた一面を持っていることも、我々はくり返して聴かされている。エルマンの演奏に、一種の野趣を持つのはそのためであろうと思う。即ち善意に解釈すれば、エルマンには「上品ぶる」ところも、「思想的に深そうな顔をする」野心もないのだ。あるがままのロシア人エルマン、土の中から生れて来た天才エルマンには、欧州の大宮殿や大貴族のホールよりは、アメリカの平民的な大演奏場が似つかわしく、民衆の持つ、無邪気さと下品さを、そして限りなき貪婪な美の欲求に応ずるものを持っているのであろう。

関東大震災の報がアメリカに伝わった時、第一番に起って、義捐金募集の演奏をしたのはエルマンであった。それより二年前に日本を訪ねて、予想以上の歓迎と厚遇を受けたことを好漢エルマンは忘れなかったのである。

エルマンの良さはそこにあると思う。彼の直情径行的な性格は、あらゆる場合に「上品ぶり」も「気取り」もせず、あるがままの野趣と魅力とを発散させる。彼は食卓上のバタさえ知らなかった――と大田黒氏は書いている。それは恐らくエルマンの冗談であったかも知れないが、とにかく、バタを知らないことを冗談にするほど、エルマンは野蛮さと稚気とを持っているのだ。

エルマンの小曲に現われた驚くべき魅力は、この天賦の無邪気さと、野蛮的な美しさに原因する。電気以前のエルマン・レコードが、クライスラーの何倍も売れた事実は、恐らく今日の常識では想像も及ばないことであろう。かつてのエルマンというものは、それほど偉大なる存在であったのである。

エルマンのヴァイオリンの大曲は、決して多くはない。

『ヴァイオリン協奏曲第二番=ホ長調』(バッハ)

(ヴァイオリン) エルマン管弦団 バルビロリ指揮(JD一六八―七〇)『ヴァイオリン協奏曲=ト短調』(ヴィヴァルディ)

(ヴァイオリン) エルマンニュー・シンフォニー管弦団 コリングウッド指揮(DB一五九五―六)『ヴァイオリン協奏曲=ニ長調』(チャイコフスキー)

(ヴァイオリン) エルマンロンドン交響管弦団 バルビロリ指揮(八一八六―九、名曲集七九)

以上三曲しか入っていない。右のうち、バッハのコンチェルトは古典の名曲ではあるが、エルマンの演奏は艶麗を極めて、知的な少年メニューインの演奏以上とは思われない。(日本のレコード批評家はむしろエルマンに左袒したが、私は発売当時からメニューインを支持し続けている)

チャイコフスキーの協奏曲は、当然エルマンのものであるべき筈だが、不思議なことにこれもフーベルマンの豪宕さに及ばず、最近売り出されたハイフェッツのレコードに対しても、吹込みその他に遜色がある。この難曲を征服する技巧と、チャイコフスキーの歌を聴かせる点では、申し分のない筈であるが、全曲を支配する有機的な生命力と美しさにおいて、なんとなく腑に落ちないものを感じさせるのである。

ヴィヴァルディの協奏曲は、エルマンの大曲レコードとして、唯一の傑作であろうと思う。これは安心して薦められるものであり、何人も楽しめるものである。

これを要するに、エルマンのレコードは、二、三、小曲に傑出したものがあり、一般のファンたちは、『アヴェ・マリア』『G線上のアリア』『メヌエット』の程度に満足するか、でなければ『ヴィヴァルディの協奏曲』を一曲備えて充分とすべきである。変った曲を好む人のために、私は『飾らぬ打明け』をあげておくだけだ。

小伝

ミッシャ・エルマンは一八九二年、ロシアのタルノイエに生れた。父はロシア系の猶太人、小学校教師でヴァイオリンをよくし、エルマンに手ほどきをしてやることが出来た。

一九〇二年、十歳のエルマンの演奏を聴いた巨匠アウアーは、驚喜してペテルスブルグ音楽院に入学させ(猶太人の音楽院入学は破格的なことであった)、後二年アウアー門下の俊秀としてデビューし、一九〇八年米国を訪ね、天才少年として世界的一流人に伍するに至った。

Chapter 8 of 100
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