二
外国人に書かれた幕末日本紀行中の異色はゴンチャロフのそれであろう。最近、平岡雅英氏のすぐれた訳筆でロシア問題研究所から邦訳が出た。当時の多くの日本紀行が外交官や武官や宣教師の筆になるのにたいして、これはロシア文壇の一派の筆になるもので、『オブローモフ』の作者のきまぐれがわれわれに残してくれた、またとない記念品である。もちろん文士だけの、政治的契機に関する記述はたいしたものはないが、その代り人情風俗についての天才的な観察が各頁にあふれて、ことにその巧みな表現にはすっかり魅惑されてしまう。
安政元年正月の第一回会見の大広間で「誰がよけい馬鹿な顔をなしうるか競争しているようだった」幕府の役人たちも、第二回会見のときは、もはや充分な親しみと敬意と、さらにその外交手腕にたいする相当の驚きの念とをもって叙述されている。なかんずく「老全権」筒井肥前守は、すっかり「オブローモフ」の気にいった。「この老人を見たら誰れでも自分の祖父さんに持ちたいと思うであろう。……彼の話しぶりは、瓶から瓶へ液体を静かに移すようであった」。
公式には次席だが事実は主席全権の川路左衛門尉の態度は、微細な点まで彼らの注意に値したらしい。太い榻子に凭りかかって、じっと話に耳を傾ける。話のなかば頃までは、口をやや開いたまま瞳を凝らして、注意を集中しているが、その額に現われた微かな皺の動きに、彼の脳裡の理解が表現される。やがて話の要点が解ってくると、口は閉じられ、額の皺も消え、返答の用意ができた証拠に、顔が晴々してくる。相手の質問のなかに言外の意味が含まれた場合には、川路の顔に軽い微笑が浮ぶ――「民族、服装、言語、宗教、人生観は異っても、賢明な人には共通の表象がある。馬鹿には馬鹿の共通点があるように」川路に感心したのは一人ゴンチャロフだけではなかったらしい。
その川路が、プチャーチンにこんなふうにいう。
「娘が成人すれば嫁にやりますが、我が国の貿易はまだ成人しないのです……」
とても通商条約どころではなさそうに思われた。物品の贈答さえ一朝一夕の手続ではなかった。
ある日、露艦の水兵がウオトカの空罎を日本人にくれたというので、通詞の森山栄之助があわてて飛んできた。
「それでどうかしたんですか?」
「罎を取戻すように命じて頂きたいので。でないと貰った者に不幸が起るのです」
「では海の中へ棄てたらいいでしょう」
「いいえ、こちらへ持って来ますから、あなたの方でお棄てになって下さい」