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戦争医学の汚辱にふれて ――生体解剖事件始末記――
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戦争医学の汚辱にふれて ――生体解剖事件始末記――
平光吾一
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Terjemahan Pagera AI
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Chapter 4 of 10

「世紀の手術」の目的

この結果、私は石山教授の「手術」が恐らく二つの目的から行われたのではなかろうか、と考えた。一つは軍陣医学を進めるためのものであり、他の一つは在来の外科医学では研究未到達な面を解明することにおいたということである。

血漿の代りに塩水の注射が可能かどうかとの実験を行ったということだが、これは戦争医学にどうしても欠くことの出来ない要請なのである。戦争医学の課題は輸血面の解決にあるといってもよいと思う。血漿の無い、または、不足がちの戦場で、輸血を必要とする患者にどの程度まで、代用血漿に当てられた塩水を注入することができるか、これは人体の場合、約二リットル位までは可能だろうという極めて瞹昧な答えしか、当時は得られていなかった。

また、心臓、脳、全肺切除手術などは、今日でこそ各方面の外科医が行っているが、十数年前の当時では、検事の論告通り「世紀の大手術」であった。と同時に、この三点は外科医学の最大の研究課題でもあった。たとえば、肺手術だ。成形手術より更に望ましい肺の切除方法を、より効果的に進めるための人体手術は、外科医ならどうしてもやって見たい問題だったと思う。

検事は、法廷で「この事件は何も学問的に価値あることは行っておらず、徒らに捕虜を虐殺した」と論じている。しかし事実は、肺臓全摘出とか、現在行われている方法の心臓手術の研究、さらに癲癇療法のための脳切開など、当時の外科医が願望した外科療法の課題に、石山教授は文字通り世紀のメスを振ったのである。彼のとった手段はやり過ぎだったとしても、決して捕虜を徒殺したわけではなかった。たゞ惜しむらくは、この手術に関する記録を全く残しておかなかったことである。第二次大戦中ドイツのブラントという博士は、石山氏と同じく捕虜に対する実験手術を行い、その助手と共に絞首刑に処せられたが、彼はその時の研究記録一切を残していた。そのため、戦後のドイツ外科医学は、それによって大いに向上したという例があるからである。また、古い話だが動脈の中には空気、静脈には血液が流れているという定説に対して、動脈にも血液が流れていることを発見して一六二八年に発表したイギリス人、ウィリアム・ハーヴェーも家畜の生体解剖から始めて、矢張り敵側の捕虜負傷者を戦争中に生体解剖したらしいのである。

医学の進歩は、その歴史を省みる時、このような戦争中の機会を利用してなされていることが多いのだ。生体解剖それ自体の行為は勿論許されるべきものではない。しかし、その許されざる手術を敢えて犯した勇気ある石山教授が、自殺前せめて一片の研究記録なりとも遺しておいてくれたら、医学の進歩にどれ程役立ったことだろうか。犠牲者の霊も幾分なりと浮ばれたであろう。

Chapter 4 of 10
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