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和算の社会的・芸術的特性について
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和算の社会的・芸術的特性について
三上義夫
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Chapter 7 of 11

〈七 建部賢弘の帰納法〉

建部賢弘は関孝和が天才的の能力を発揮する人であったことをいっている。これに反し、建部自らは天才的でないから、着実にこつこつと一から二へ、二から三へという風に、帰納的に探会するという研究方法を賞用したことを主張する。その著『不休綴術』(享保七年、一七二二)はこの主張を実現するために作られたのであり、いわば一種の数学方法論の述作である。こういう研究方法は関孝和ももちろんこれを用い、これによって重要な業績をもあげているけれども、建部が探会という二字でいい表わしたところの方法を中心に取って、まとまった方法論に作り上げたのは、建部賢弘の著述を措いては他に見られぬのである。この頃からして、そういう研究方法は一般に数学界を風靡したともいうべく、続々と帰納的の探会に拠った算法が現出した。この算法、この方法論は一方には建部賢弘その人の人物を表現すると同時に、またその当時並びに以後における和算界の傾向を示すものである。そうして関孝和と建部賢弘との人物並びに学業の相違はあたかもよく建部がこれを喝破し得たように思われる。関孝和は如何にも天才的であった。故に天元術の器械的代数学を学んでは、これを運用しやすき筆算式のものに改造する。一次連立方程式の解法に通じては、これを行列式の構成並びに展開に役立たせ、普通人の容易に企て及ばぬ多くの発明創意をも能くし得たのである。この偉大なる関孝和にして、前にいったごとき重大な過誤を犯したというのも、つまり天才的に想い及んだのであり、充分に吟味することをしなかったための結果に過ぎないと思われる。もし実地に当たって検証することをしたならば、容易に補訂し得たのであったろう。

和算界に誤りの極めて多いことは、和算の終末まで続くのであり、刊行された多くの算書に先輩の発表中の誤りを訂したもののはなはだ多いことからでも思われる。上州の萩原禎助のごときは、和算終末の大家であるが、諸算書の問題を綿密に研究してこれを補訂するのが、この人の最も主要な事業であった。内田五観が『古今算鑑』中に発表した、梯形内に楕円と四円を容れた問題のごときも、計算上に符号を錯誤して誤ったのだとかいうことである。平野喜房の『浅致算法』付録に相接する三円間に杉成形に内容した諸円の問題のごときも、また少数の場合から一般を帰納した誤りであった。斎藤宜義の『数理神篇』には、算法は正しく行いながら、術文に起草するに際して一項を取り落としたものと推定すべきようなこともある。ともかく粗漏という点は和算家一般のまぬがれ難き弱点であった。単に粗漏であるばかりでなく、また証明という精神にも乏しく証明の実行も下手であって、理論的にはその点に大きな短所があった。

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