五
さて事實そのものの中に於て「基礎經驗」と我々の稱するものが自己自身を浮き上がらせる。事實としての歴史の中に於て歴史の基礎經驗が浮き出て來るのである。このことは左の如く觀察することによつて明瞭にならう。既にシェリングによつて、或はロッチェによつて言ひ表はされた如く、歴史の思想はもとギリシアになく、キリスト教によつて初めて人類に與へられた、と見做されてゐる*。シェリングによれば、ギリシアの神々はより高き自然の存在であり、常住不變なる諸々の姿である。これに反して、「キリスト教はその最も内的な精神に從つて且つその最も高き意味に於て歴史的である。」時間の各々の特殊な瞬間は神の一の特殊な方面の顯示であり、その各々に於て神は絶對的である、「ギリシアの宗教が同時的としてもつたものをキリスト教は繼起的としてもつのである。」ところで、もしもロゴスとしての歴史の見地からするならば、固よりギリシアにも立派な歴史があつた。ヘロドトスは歴史學の父と呼ばれ、ツキヂデスは歴史敍述の古典的なものと見られてゐる。またもしも存在としての歴史の見地からするならば、ギリシア人こそ最も輝かしき歴史を作つた民族である。それにも拘らずギリシアには歴史の思想がなかつたと云はれるとき、歴史といふ語は前者の意味に於てでもなく、また後者に關係してでもなく、却て或る他の意味に於て、他のものに關係して語られてゐるのでなければならぬであらう。或はまた十七世紀は非歴史的であつたと云はれてゐる。近代に於ける歴史的な見方はヘルダーから出て、十九世紀に於て成熟したと考へられ、この世紀は「歴史の世紀」とも稱せられる。更にまた今日、ブルジョワジーは非歴史的な見解をもち、これに反してプロレタリアートは歴史的な立場に立つ、と主張されてゐる。このやうな場合凡て歴史といふことがロゴスとしての歴史及び存在としての歴史のいづれにでもなく、却て或る他のものに關係して語られてゐることは明かであらう。しかもそれが特に或る優越な意味に於ける歴史の概念であることも同時に明かでなければならぬ。なぜならそれは、他の見方からは一樣に歴史的と見られてゐるものに就いてなほ歴史的と非歴史的とを區別するからである。從つてそれは或る規範的な意味のものである。このやうな歴史の思想は、我々はこれを歴史的意識と呼び慣はしてゐる**。そこで我々は、ギリシアには歴史的意識がなかつた、プロレタリアートは歴史的意識を有する、などと語るのである。歴史的意識を與へるものは根源的には事實としての歴史のほかなからう。――一般に存在の概念からは規範的な、價値評價的な意識の成立は説明されないのであつて、これを説明するためにも我々のいふ如き事實の概念が必要である。――然し事實の凡てが歴史的意識といはれる優越な、規範的な意味に於ける歴史の意識を與へるのではない。なぜならば、事實としての歴史は存在としての歴史の如何なる歴史的時代の根柢にもあると考へられねばならぬに拘らず、歴史的意識は唯一定の歴史的時代に於て、唯一定の關係のもとに於てのみ、與へられてゐるからである。それ故に事實としての歴史に就いて特に歴史的意識を與へる事實そのものが區別され得、また區別さるべきであつて、私はかかる優越な意味に於ける――固より唯歴史的意識との關係に於てのみ――事實を歴史の基礎經驗と名付ける。
* この點に關して全く異論がないわけではないことを我々は注意しておかう。例へば、ブルンナーはキリスト教の信仰の教義は歴史的思惟とは鋭い、意識的な對立をなすと主張する。我々はここでこの問題に深入りすることを必要としない。唯ブルンナーがその場合、歴史に就いて我々の如き辯證法的な考へ方のあることを顧みないで、歴史的思惟は直ちに有機體説的發展の思想であると解してゐることを云つておけば足りる。Vgl. Emil Brunner, Erlebnis, Erkenntnis und Glaube 1923, S. 105 ff.** 歴史的意識に關しては拙著『觀念形態論』に於ける「歴史主義と歴史」〔全集第三卷收緑〕を見よ。
かくて優越なものの意味を擔ふ歴史的意識は、事實としての歴史、特にその優越なものであるところの歴史の基礎經驗によつて規定されて與へられる。歴史的意識は、それが意識の名をもつて稱せられるにしても、ロゴスとしての歴史と同位のものであるのではなく、却てこれの根柢にあつてこれを規定するのである。前者は後者に對しては根源的な、從つて哲學的と云はれ得る意識である。然しまた歴史的意識は存在としての歴史に就いてそれをその存在に於て示し、その本來の歴史性に於て顯はにするものである。歴史的意識は存在の歴史性そのものを初めて發見せしめる。いま歴史敍述がかやうな哲學的な、世界觀的な意識によつて規定されるといふことは一般に如何なる意味を有するであらうか。歴史的意識は根源的には事實によつて規定される。然るに事實は存在に對して主體的なものの意味を擔ふ。從つてこの哲學的な意識に於ける固有なるものは、それが主體的事實を表出してゐるところに求められねばならぬ。かくて歴史敍述は一方に於て存在としての歴史を模寫する關係を通じて客觀的存在によつて規定されると共に、他方に於て歴史的意識によつて規定される關係を通じて主體的事實を表出する。ロゴスとしての歴史は存在としての歴史を模寫すると同時に事實としての歴史を表出する。しかもそれが如何に前者を模寫するかといふ仕方はそれに於て表出される後者によつて根源的に規定されるのである。事實は意識にとつて超越的である。それは意識によつて規定されるのではない。事實としての歴史もそれが如何なるものであるかは歴史的意識を俟つて初めて顯はになるにしても、このやうに事實を照らし返へす光であるところの意識はその根源に於て既に事實そのものによつて規定されてゐるのである。事實といふものは單に意識ではない。寧ろ事實は意識を生むものなのである。歴史は生れた意識から始まるのでなく、却て意識が生れるといふところにこそ歴史の端初はある。意識そのものもまた歴史的であるのである。
我々は歴史的なものが何であるかに就いて樣々に理解されてゐるのを見出すであらう。例へば、フンボルトは云つてゐる、「歴史の目的は唯、人類を通じて表現さるべきイデーの、あらゆる方面に向つての、有限な形式がそれに於てイデーと結合され得るあらゆる姿態に於ての、實現でのみあることが出來る、そして諸々の出來事の過程は唯、兩者が互にもはや貫き合ふことの出來ぬ場合にのみ中斷し得る。」「歴史家の仕事はその最後の、然し最も簡單な解決に於て、現實のうちで存在を獲得しようとするイデーの努力の敍述である。」「あらゆる出來事のうちに直接に知覺し得ぬイデーが支配するといふこと、然しこのイデーは唯諸々の出來事そのものに於てのみ認識され得るといふことは、この研究の行程の固持しようと努めて來た二つの事柄である*。」かくてフンボルトは「世界歴史は(神の)世界統治なしには理解されない」といふ有名な言葉を語る。このやうな歴史の見方に對して、然し、マルクスはその唯物論的な見地から反對し、批評しつつ云ふであらう、「從來の凡ての歴史觀は、歴史のこの現實的な土臺を全然顧慮せずにおいたか、さもなければ、單にそれを歴史の過程とは全く何等の關聯をももたぬ一の附隨物と見做して來た。それだから、歴史はいつも、歴史の外に横たはれる規準に從つて記述されざるを得ず、現實的な生活の生産が非歴史的なものとして現はれ、これに反して歴史的なるものが普通の生活から離れた格別超世俗的なものとして現はれるのである。」そして彼は自分の立場を主張して云ふ、「このやうにして、道徳、宗教、形而上學及びその他のイデオロギー、並にそれらに相應する諸々の意識形態は、もはや獨立性の外觀を保持しない。それらのものは何等歴史をもたない、それらのものは何等發展をもたない。却て彼等の物質的生産と彼等の物質的交通とを發展せしめつつある人間が、このやうな彼等の現實と共にまた彼等の思惟と彼等の思惟の生産物とを一緒に變化するのである。意識が生活を規定するのでなく、却て生活が意識を規定する。」フンボルトとマルクスとに於てはかくの如く歴史を理解する立場が異つてゐる。然しフンボルトは近代の歴史的意識を豐かに表現した人と見られてをり、マルクスもまた固より發達せる歴史的意識を體現せる人であつた。そこで注意すべきことは、歴史的意識は歴史を單に平面的なものとしてではなく寧ろつねに立體的なものとして考へてゐるといふことである。換言すれば、それは歴史のうちに、或はイデーとその現象、或は下部建築たる物質的生産的生活と上部建築たるイデオロギーといふ風に、いはば階層組織を考へてゐる。このことは、我々の意見によれば、根本的には、歴史が事實としての歴史と存在としての歴史といふ二重のものであることから來るのであつて、この二重のものの一定の史觀にもとづく解釋として現はれるのである。フンボルトのやうな歴史の見方は觀念論的な史觀と云はれ、マルクスの如き歴史の把握の仕方は唯物論的な史觀と云はれる。二人の史觀はかく對立せるにも拘らず、共に歴史的意識を有したと云はれ得るならば、「歴史的意識」の概念が「史觀」の概念に對して或る形式的な意味のものであることは明かであらう。丁度ヘーゲルは觀念論者であり、マルクスは唯物論者であるが、共に辯證家であるところから、兩者に共通な辯證法一般の理論といふものが考へられ、且つかかる辯證法一般の理論が打ち建てられ得るやうに、我々はヘーゲル、フンボルト等の觀念論的な史觀及びマルクス主義の唯物論的な史觀に共通な歴史的意識一般の理論といふものを考へることが出來、且つこのやうな理論を打ち建てることが出來よう。歴史哲學とはかかる歴史的意識の理論である、と定義されてもよい。この理論は哲學的である。なぜなら第一に、歴史的意識は個々の規定された史觀に對して形式的な意味をもち、このやうな形式性乃至一般性は哲學的認識のひとつの特徴をなしてゐる。第二に、歴史的意識は規範的な意味を擔つてゐる。そしてこのやうな規範的な性質もまた哲學的認識のひとつの特徴に屬する。第三に、歴史的意識はロゴスとしての歴史即ち歴史學と同位のものでなく、却てそれの根柢にあつてそれを規定する。歴史哲學はかかる歴史的意識の理論としてベルンハイム、セイニオボ等の論述したが如き歴史學方法論とは異る獨自の理論であり得る。辯證法の理論が辯證法は觀念論的であるべきか唯物論的であるべきかを決定するやうに、歴史的意識の理論は史觀が唯物論的であるべきか、それとも觀念論的であるべきかを決定する。然し歴史哲學が單に何か一定の史觀そのものの敍述とは異る或るものでなければならぬことは當然である。
* Wilhelm von Humboldt, Ueber die Aufgabe des Geschichtschreibers, Die sprachphilosophischen Werke Wilhelm's von Humboldt, Hrsg. v. H. Steinthal 1884, SS. 143, 144.
我々は既に史觀といふ語を用ゐたのであるから、ここにこの概念を他の歴史の諸概念に對する秩序及び關係に於て規定しておくことが必要であると思はれる。史觀は歴史的意識と特に呼ばれたものと同じ秩序に位する。それは主として事實としての歴史を自己のうちに表出する。ロゴスとしての歴史はその根柢に於て史觀によつて規定され、このことを通じて、それは單に存在としての歴史を模寫するにとどまらず、また主體的事實を自己のうちに表出せざるを得ない。歴史敍述がイデオロギーとしての性格をとるに至る根源はここに存してゐる。史觀が歴史的意識の概念に對して一面或る内容的なものを意味することは既に云はれた。全く異つた史觀を有するフンボルトもマルクスも共に歴史的意識の上に立つてゐたと見られる。然し今や他面に於て史觀の概念の範圍を擴張することが要求されてゐるやうに思はれるのである。蓋し我々の規定したところでは、歴史的意識は優越な意味のものであつた。これを與へるのは優越な意味を有する事實、即ち歴史の基礎經驗であつた。けれども事實としての歴史は唯或る一定の歴史的時代にのみあつて、他の歴史的時代にはないといふが如きものではない。それはつねにある。そしてまた他方に於てあらゆる歴史的時代に、從つて規範的な意味に於ける歴史的意識からは非歴史的と見られる時代にも、ロゴスとしての歴史即ち歴史敍述が存在し、且つそれの根柢には歴史に就いての一定の見方が横たはつてそれを規定してゐるのが認められる。例へばかの啓蒙時代は非歴史的であつたと云はれてゐる。然しこの時代にも種々なる歴史敍述があつたし、そしてこのものは歴史に就いての一定の見方を含んでゐたのである。このやうな歴史の見方の代表を我々は、歴史哲學 philosophie de l'histoire なる語を初めて用ゐた人として知られ、當時最も廣く影響を與へたヴォルテールに於て見出し得よう。かれヴォルテールは就中次のことを記してゐる、「歴史の利益は主として、一政治家、一市民が外國の法また風俗を自分の國のそれらと比較し得るところに存する、これは藝術に於て、農業に於て、商業に於て近代の諸國民の競爭心を刺戟することである。過去の諸々の大なる過失は凡ての種類の人にとつて大いに役立つ。ひとは罪や不幸をどれほど新たに考へ直させられても過ぎることはなからう、ひとは、何にせよ、この兩者のいづれをも豫め防ぐことが出來るのである。」その後樣々な運命に出會つた歴史哲學といふ語は、ここではひとが歴史から教訓もしくは指導として引出して來る助言を意味したのであつた。かくの如き歴史の見方は本來の歴史的意識をもたぬ、或は不十分にしかもたぬものと正當に批評されるであらう。けれどもそれは屡々繰り返して現はれてゐる歴史に關する一定の見方であつて、史觀の一形態と見做されることを妨げない。實際それは「實用主義的」と名付けられるところの史觀に屬してゐる。このやうに見るならば、我々は史觀の概念をば、凡ての歴史敍述の根柢につねに含まれる或る哲學的なものとして規定することが出來る。この一般的な意味での史觀はいづれの時代にもあり、且つそれぞれの時代に於てそれぞれ異つてゐる。非歴史的な見地に立つと云はれるブルジョワジーも、非歴史的として特徴付けられる史觀をもつてゐるのである。かくて史觀には歴史的意識なき史觀と歴史的意識を含む史觀とがある。
然しながら一層重要な點は、等しく歴史的意識を含むとせられる史觀に就いて、唯物論的と觀念論的とが區別せられるといふことでなければならぬ。この區別は存在としての歴史に於て何が優越な意味に於ける存在として決定されるかといふことに關係する。或は非感性的なイデーが、或は感性的な物質がそのやうなものとして決定せられる。即ち存在論的決定と我々の稱するものが各々の史觀のうちには含まれてゐるのであつて、このものが史觀の性質を規定する。然るにいはば客觀の側に於ける「存在論的決定」に主觀の側に於ては「人間學」が對應する。一定の人間學は必ず一定の存在論的決定と結び付く。この意味に於ては、主觀が客觀を規定するのでもなく、また客觀が主觀を規定するのでもなく、却て事實といふものが主觀と客觀とを共に規定するのである。即ち主觀の側に於ける人間學と客觀の側に於ける存在論的決定とは共に事實としての歴史によつて規定され、從つて兩者はまたつねに對應の關係にあることになる。史觀の問題といふ空漠な問題は、このやうにして、人間學及び存在論的決定の問題としてその哲學的内容を明かにされる。そこで歴史哲學にとつての一の重要な課題は、マックス・シェーラーがその論文『人間と歴史』の中で企てたが如き、史觀と人間學との聯關を明かにすること、然しとりわけ優越なものの意味を有する歴史的意識を構成するが如き歴史の人間學とは何であるか、歴史の存在論的決定とは何であるか、を示すことである。シェーラーの立場からは甚だ不十分にしか解決され得なかつたこれらの問題に就いては、後の章に於てつまびらかに論究されるであらう。
このやうにして我々は我々の歴史哲學の體系の基礎となるべき若干の根本概念をさしあたり必要な限り分析し、且つその一々を秩序付けて來た。中でも重要なのは事實としての歴史、存在としての歴史及びロゴスとしての歴史といふ三つの概念である。もしこれら三つの概念に相應するものを他に求めるとすれば、ディルタイがその『精神科學に於ける歴史的世界の構成』といふ勝れたる論文の中で生の三つの契機として擧げた體驗、表現及び理解といふ三つの概念があるであらう*。私は讀者の理解を容易ならしめるためにここにこのことを特に記しておかう。それにも拘らず我々の思想とディルタイの思想との間には種々なる、決して重大でなくはない對立があるのであつて、そのことは彼のいふ體驗が心理的乃至意識的なものであるに反して、我々のいふ事實としての歴史が單にこのやうなものでないところに於て既に明瞭である。一般的に云へば、彼の歴史哲學は解釋學的思想によつて導かれてゐる。解釋學の論理は有機體説的論理である。そこでディルタイは體驗、表現、理解の間の聯關を一の構造聯關であると考へる。これとは反對に、我々の歴史哲學を導くものは辯證法的思想である。ディルタイ及び彼の先輩たちは從來歴史的意識の發達に對して甚だ貢獻するところがあつた。我々はもちろん彼等の功績を認めなければならぬ。然しながら今や彼等の歴史觀のうちに含まれる解釋學的、有機體説的思想を批判し、克服することが要求されてゐると思ふ。これより後我々は歴史を構成する三つの契機としての事實としての歴史、存在としての歴史、ロゴスとしての歴史の間に於ける辯證法的な關係を更に詳細に究明するに際し、それぞれの機會の與へられるに從つて、ディルタイ及び彼の先蹤者たちの批判にも立ち入るであらう。
* Vgl. Wilh. Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften, Gesammelte Schriften, . Band 1927. なほ拙著『史的觀念論の諸問題』に於ける「ディルタイの解釋學」〔全集第二卷收録〕參照。