Chapter 4 of 16
第三 会戦指揮方針の変化
一 会戦指揮の要領は、最初より会戦指導の方針を確立し、その方針の下に一挙に迅速に決戦を行なうと、最初はまずなるべく敵に損害を与えつつ、わが兵力を愛惜し、機を見て決戦を行なうとの二種に分かつを得べし。二 しかして両者いずれによるべきやは、将帥及び軍隊の特性と当時の武力の強靭性いかんによる。 ギリシャのファランクスは前者に便にして、ローマのレギヨンは後者に便なり。これ主として両国国民性の然らしむるところ。ギリシャ民族に近きドイツと、ローマ民族に近きフランスが、欧州大戦初期に行なえる会戦指導方針と対比し、ここに面白き対照を与う。また、その使用せる武力の性質によりしといえども、ドイツ民族より前者の達人たるフリードリヒ大王を生じ、ラテン民族より後者の名手たるナポレオンを生じたるは、必ずしも偶然とのみ称し難きか。三 横隊戦術に於ては前者を有利とするに対し、ナポレオン時代の縦隊戦術は兵力の梯次的配置により戦闘力の靭強性を増加し、且つ側面の強度を増せるため自然、後者を有利とすること多し。 爾後、火器の発達により正面堅固の度を増すに従い、戦闘正面の拡大を来たし逐次、横隊戦術に近似するに至れり。欧州大戦初期に於けるドイツ軍のフランス侵入方法は、ロイテン会戦指導原理と相通ずるものあり。欧州大戦に於て敵翼包囲不可能となるや、強固なる正面突破のため深き縦長を以て攻撃を行ない、会戦指揮は、またもや第二線決戦を主とするに至れり。