三
「行くなつたつて、行かなけりや成らない所だつたら何うします。」
と坂上の呼吸はあせつた……
「親が大病だか、友だちが急病だか、知れたもんですか。……君たちのやうに言つちや、何か、然も怪しい所へでも出掛けるやうだね。」
「へゝゝ、」
と杖の尖に頬をすりつける如く傾がつて、可厭に笑ひ、
「其が分ればこそ申すのなり、あの人も言へと言ひます……當てますか、私が。……知つても大事ない。明けて爾々とお言ひなされ。お前樣は婦に逢ひに行く、」
「…………」
「な、然も、先方は、義理、首尾で、差當つては間の惡い處を、お前樣が突詰めて、斷つて、垣も塀も、押倒し突破る、……其の力で、胸を掻るやうにあせるから、婦も切つて、身にも生命にも代へて逢はうと云ふ。其へ行く……お前樣、其の途中でありませう。通りがかりから、行逢うて、恁うやつて擦違うたまでの跫音で、よう知れました。とぼ/\した、上の空なので丁と分る……
霧もかゝり、霜もおりる……月も曇れば星も暗し、此の大空にも迷ひはある。迷ひも、其は穩かなれども、胸の塞り呼吸が閉る、もやくやなあとの、電、はたゝがみを御覽ぜい。
人間の思ひ、何事も不思議はない。
私が心に思較べた……身に引較べればこそ、此の掌を……」
と云ふ、己が面へ、掌を蓋する如くに、
「……掌を見るとやら申す通り、見えぬ目にも知れました。」
あとの二人とも、此の時言合はせた體に、上と下で、衣ものの襞まで、頷いたのが朧に分つた。
坂上は、氣拔けのした状に、大息を吻と吐いて、
「辻で賣卜をする人たちか。私も氣が急いだので、何か失禮を言つたかも知れない……
先方は足袋跣足で、或家を出て、――些と遠いが、これから行く所に、森のある中に隱れて待つた切、一人で身動きも出來ないで居るんです。
其の事は、私が今まで居た所へ、當人から懸けた、符牒ばかりの電話で知れて、實際、氣も顛倒して急ぐんです。行かないで何うしますか、行つては惡いんですか。」
「われら考へたも其の通り……いや、男らしく、よう申されました。さて、いづれもお最惜しいが、あゝ、危い事かな。」
と杖を引緊めるやうに、胸へ取つて兩手をかけた。痩按摩は熟と案じて、
「先づお聞き申すが、唯今、此の坂の此の、われらが片寄つて路傍に立ちました……此の崖下に、づら/\となぞへに並びました瓦斯燈は、幾基が所燈が點いて、幾基が所消えて居ります。一寸、御覽ぜ、一寸御覽ぜ。」
と言ひ/\、がく/\と項を掉つて首を垂れる。
言に引向けられたやうに、三人の並んだ背後を拾つて、坂下から、上の町へ、トづらりと視ると……坂上は今夜はじめて此の路を通るのではない。……片側へ並べて崖添ひに、凡そ一間おきぐらゐに、間を籠めて、一二三堂と云ふ、界隈の活動寫眞の手で建てた、道路安全の瓦斯燈がすく/\ある。
しろ/″\と霜柱のやうに冷たく並んで、硝子火屋は、崖の巖穴に一ツ一ツ窓を開けた風情に見えて、ばつたり、燈が消えたあとを、目の屆く、どれも是も、靄を噛んで、吸ひ溜め吸ひ溜め、透間を覗いて切れ/″\に灰色の息を吹出す。
かと思へば、目の前に近いのは、あらう事か、鬼の首を古綿で面形に取つた形に、靄がむら/\と瓦斯燈の其の消えたあとに蟠つて、怪しく土蜘蛛の形を顯し、同じ透間から吹く息も、これは可恐しい絲を手繰つて、天へ投掛け、地に敷き展べ、宙に綾取る。や、然う思へば、靄のねば/\は、這個の振舞か。