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と言いかけて、ちょっと背きながら、お転婆に笑った。
「あら、可厭だ。――知らないわ。」
「何をさ。」
「いいえ、いきものをね、分って?……取るのは、うまれつき拙なんですって。ですから松露を捜す気もなかった処へ、火事だって騒ぎでしょう。煙が見えたわ。あの丘へ駆上ると、もう、その煙は私の立った背より低くなって、火も見えないで消えたんですもの。小火なんですね。」
「いや、悪戯だよ。」
「まあ、放火。」
「違うよ。……魔の火と云ってね、この山の天狗が、人を驚かす悪戯だそうだ。」
「そう、面白いわね。」
諸国を渡る門づけの振袖は、あえて天狗に怯えない。
「じゃあ、今しがた、ここに居た、あの、天狗様の悪戯かも知れないわね。」
「ここに居た、天狗、どこに、いつ。」
かえって多津吉が驚いた。
「そこにさ。貴方の。」
「ええ。」
「腰を掛けていらっしゃる、松の根を枕にして。」
多津吉は思わず居退いた。うっかりそこへ触った手を、膝へ正したほどである。
「仰向けに寝転んで、蒼空を見ていたんですよ。」
言うまもなしに、
「御覧なさい。」
背後から、塚へするすると、乱菊の裾を、撓わに、紫の色に出て、
「まだ、整としていますのね。この白い鶏も、その天狗様の悪戯じゃありませんか。――ああ、竜胆を。」
と、ながしめ清しく、
「まあ、嬉しい。あなたもお手向けなすったのね。あの、そしてこの塚のいわれを御存じなんですか。」
翳せる袖と竜胆の紫の影は添いながら、鳥冠は冴えて紅である。
「いわれも聞きたし、更めて花の礼も言いたいが、――何だか、お前さんは、魔神の眷属……と言って悪ければ、娘か、腰元、ででもあるような気がする。」
多津吉は軽く会釈して、
「その鶏は?」
「ええ、まったくよ。」
とまた莞爾しながら、翳した袖を胸に返して、袂の先を軽くなぶった。
「天狗様が拵えて、供えたんですがね。よく、烏が啣えて行かなかったこと。――そこいらの墓では、まだ火の点れた、蝋燭を、真黒な嘴で啣えて風のように飛ぶと、中途で、青い煙になって消えたんですのに。」
「烏にしてみれば――烏にしてみれば、は可訝いけれども。」
身を起して、寄ると、塚を前にほとんど肩の並んだ振袖は、横へ胸を開いて、隣地との土の低い劃へ、無雑作に腰を掛けた。こぼれ松葉は苫のように積って、同じ松蔭に風の瀬が通った。
「燃えさしの蝋燭より、緋の鳥冠の鶏は、ちょっと扱いにくいかも知れない。――嘘のようだけれど、まったく真に迫っている。姉さん、ほんとうの事を聞かしてくれないかね。この鶴の子饅頭は。」
「あら、ほんとうですってば。」
片手を松葉に、
「だって、自分でそう云ったんですもの。……(俺は天狗だぞ。)ッて。……先刻、落こちてるお客をひろいに――御免なさい、貴方もお客様ですわね――私たち、離れ離れに、あっちこっち、ぶらつきますうちに、のん気らしく、ここに寝転んでる人がありますから、こっちから……脚の方から入りましてね、いま、貴方が掛けておいでなすったその松の坊主頭――坊主じゃないんですけれど、薄毛がもやもやとして、べろ兀の大い円いの。……挫げたって惜くはないわ、薄黒くなった麦稈帽子を枕にして、黒い洋服でさ。」
「妙な天狗だね。」
「お聞きなさいよ。何とかウイスキイてんでしょう。壜をさ、――余り清潔じゃあない手巾に載せたまんまで、……仰向いてその鼻が、鼻が、ほほほ。」
「鼻が。」
多津吉は真面目で聞く。
「隆くない、ほほほ、ちょっと撮んでやろうかしら、なんと思って上から顔を視ると、睡っていたんじゃないんです。円くて渋面の親仁様が、団栗目をぎろぎろと遣って、(狐か――俺は天狗だぞ、可恐いぞ。)と云うから、(可恐いもんですか。)ってそう云うと、(成程、化もの夥間だ、わはは。)大な声なの。老人の癖に、カラカラしたものよ。どっこいしょなら親仁相応なのに、(やあ、)と学生さんのような若い掛声で、むくりと起きた処が、脊の低い、はち切れそうな緊った身体さ。
あなた――どうでしょう、天狗様の方が股が裂けそうな大胡坐で、ずしんと、その松の幹へよりかかると、大袈裟な胡坐ッたら。あれなんですよ。むこうの、あの四角いような白い丘が、お尻の響でぶるぶると揺れるようなの。」
城下の果に霧を展いて、銀線の揺れつつ光る海の上に、紅日、山の端の松を沈むこと二三寸。煙のあとの森も屋根も、市街はしっとりと露を打って、みはらしの樹の間の人影は、毛氈とともに仄暗い。
いま振袖の指した、丘の一つが白かった。
「図々しいじゃあないの、(狐、さあ、夥間づきあいに一つ酌をしてくれ。本来は、ここのこの塚は、白い幽霊の出る処だ。)親仁様、まだ驚かすつもりでいるのかしら。」
「何、白い幽霊?」
と、聞き返すがごとくにして、衝と膝を折って屈めた。
「紅い鳥冠の鶏の――と云うのかね。」
「いいえ、それはそれは美しい婦の方の。」
「………………」
「そして、白いのはお衣ものも、ですけど、降り積る雪なんですって。」
「その天狗が話したのかね。」
「ちびりちびりとウイスをのみながらだから。……いい加減お察しなさいよ。……こっちの木の葉より、羽団扇の毛でもちっとは増だろうと思うから、お酌をしますとね、(聞け――娘。)と今度はお酌のお庇で、狐が娘になったんですがね。……そのかわり、羽団扇の方も怪しくなったの。でも、お話がお話だから、つい聞いたんですわ。
九州の河童の九千坊とかではありませんけれど、この土地には、――御覧なさい、お城の奥の野の果の黒い山に、八千坊といって、むかし、数知れず、国一杯に荒廻った天狗様を祀り籠めた処があるんですって。――(これ古服は黒し、俺は旅まわりの烏天狗で、まだいずれへも知己にはならないけれど、いや、何国の果にも、魔の悪戯はあると見える。わずかにこの十年ばかり前までは、うら枯の秋から、冬の時雨の夜へかけて、――迷児の迷児の何とかやーい――と鐘をたたいて、魔に捉られたものを探す声を、毎晩のように聞いて、何とも早や首を縮めたものでござります、……と昨夜の宿で按摩が饒舌った。……俺の友だちで、十四五年以前に、この土地へ旅をしたものが。)ッて、兀の親仁様が言ったんですけど、――あなた、天狗にお友だちッてあるんでしょうか。」
「八千坊というくらいだから、皆それは友だちだろうね。」
つい聞入って真顔で答えた。振袖は、島田の鬢をゆらゆらと、白歯で片頬笑をしているのに。――
鬢のほつれに顔はなお白い。火沙汰に丘を駆けたというにも、襟裏の紅のちらめくまで、衣紋は着くずれたが、合わせた褄と爪尖は、松葉の二針相合したようにきりりとしている。
「その貴方、天狗様の友だち……友だちの天狗様……あら、何だかこんがらかりました。いえね、その自分で天狗だ、と云った親仁様の友だちが、やがて十年ほど前に、この土地へ来なすった時も、旅籠でとった按摩が、やっぱりさ、ここ十年前までは、うら枯の秋の末から、冬の時雨の夜へかけて――迷児の迷児の何とかやーい……で、何とも早や首を縮めたものでござります、と話したと云うのを聞いた事があるから、ここの城下の按摩は、お景物話に、十年前の神隠しを話すのが習慣と見える。……
――親仁様がそう云いましてね。おんなじ杉山流だかどうだか知らないが、昨夜の旅籠で夜が更けて、とにかく、そんな按摩の話した事だから、ほんとうかどうかは分らないけれど、――山の、ここの、この塚は――
親仁様が、貴方のおいでなさいました、その松に居直って、片膝立てて、手首の長く出た流行らない洋服の腕で指さしを。」
おなじ状に、振袖をさしのべたが、すらりと控えた。
「いやだ、……鶴子饅頭が食べたそうだ、ほほほ。」
「むむ。」
多津吉は頬張るごとく頷いた。
「やりたまえ。……第一形もよし、きれいだよ。敷いてある松葉は毒にはならない。」
「ええ、私なんか、お腹がすけば、他国の茸だって生で食べます。人間は下ってますけれど、そんな事に掛けては仙人ですから、食ものに毒も薬もないんですが、実を入れて、……何ですか、お聞き下さるようですから、一段語りましてから御祝儀を頂きますわ。
ね、洋服で片膝立てたのは変なものね、親仁様、自分で名告った天狗より、桃を持たしたい、大な猿かに見えた事。
貴方、ここには、――この城下で、上手名人と言われた近常さんという……評判の、いずれ、そんな人だから貧乏も評判の、何ですかね、何とか家とか云ったけれど私にはよく分らない。(指環も簪も拵えるのじゃ。)と親仁様が言ったから錺職さんですわね。その方のお骨が納っているんですってね。」
「ああ、錺職――じゃあ男だね。」
「そうよ、ええ、もう随分のお年でしたって。」
「待ちたまえ。……骨の入っているのが、いい年の錺職さん、近常か――それにしては、雪の中の美しい、……何だっけね、婦人の白い幽霊と云ったのはおかしいね。」
「まあ、お聞きなさいよ。――貴方は、妙に、沈んで落着いて、考え事をしているように見える癖に、性急だね、――ちょっと年をお言いなさい、星を占てあげますから。」
と熟と瞳を寄せつつ、
「星の性なら構わないけれど、そうでなくッて、そんな様子だと怪我をする事よ。路に山坂がありますから、お気をつけなさいなね。」
「怪我ぐらいはするだろうよ。……知己でもない君のような別嬪と、こんな処で対向いで話をするようなまわり合せじゃあ。……」
「まあ、とんだ御迷惑ね。」
「いや覚悟をしている。……本望だよ。」
「嬉しい事、そんなにおっしゃって下さるんですもの、私かって、……お宿までもついて送って行くわ。……途中で怪我なんかさせませんわ。生命に掛けても。……」
多津吉はいささか気を打たれたように目をった。
「同伴はどうなんだね、串戯にも、そんな事を云って、お前さん。」
「谷へ下りたから、あのまんま田畝へ出て、木賃へ引取りましょうよ。もう晩方で、山に稼ぎはなし、方角がそうなんですもの。」
「だって、一座の花形を、一人置いて行きっこはなかろうではないか。」
「そこは放し飼よ。外に塒がないんですもの、もとの巣へ戻ると思うから平気なもの。それとも直ぐ帰れなんのって、つれに来れば、ちょっと、隠形の術を使うわ。――一座の花形ですもの。火遁だって、土遁どろどろどろ、すいとんだって、焼鳥だってお茶の子だわ。」
「しかし、それにしてもだね。」
「苦労性ね、そんな星かしら。」
「きみの星は! 年は?」
「年は狐……星は狼。……」
「凄いもんだなあ。――そこで、今の話だが。」
「ええ、――白い幽霊の訳はね、天狗様が按摩に聞いた話を、私にしたんですよ。……可ござんすか。
明治……あれは何年とか言いました、早い頃です。――その錺職の近常さんの、古畳の茅屋へ、県庁からお使者が立ちました。……頤はすっぺり、頬髯の房々と右左へ分れた、口髯のピンと刎ねた――(按摩の癖に、よくそんな事を饒舌ったものね)……もっとも有名な立派な方ですとさ、勧業課長さん、下役を二人、供に連れて、右の茅屋へお出向きになると、目貫、小柄で、お侍の三千石、五千石には、少いうち馴れていなすっても、……この頃といっては、ついぞ居まわりで見た事もない、大した官員様のお入ですし、それに不意だし、また近常さんは目が近くって、耳が遠くっていなすったそうですからね、継はぎさ、――もう御新造さんはとうに亡くなって、子一人、お老母さん一人の男やもめ――そのお媼さんが丹精の継はぎの膝掛を刎ねて、お出迎え、という隙もありゃしますまい。古火鉢と、大きな細工盤とで劃って、うしろに神棚を祀った仕事場に、しかけた仕事の鉄鎚を持ったまま、鏨を圧えて、平伏をなさると、――畳が汚いでしょう。けばが破れて、じとじとでしょう、弱ったわね、課長さん。……洋服のもっ立尻を浮かして、両手を細工盤について、ぬッと左右の鯰髯。対手が近眼だから似合ったわ。そこへ、いまじゃ流行らないけれども割安の附木ほどの名刺を出すと、錺職の御老体、恐れ入って、ぴたりとおじぎをする時分には、ついて来た、羽織なしで袴だけの下役が、手拭を出して、そッと課長さんのお尻の下へ当がうといった寸法ですって。」