恋人を盗み出す
最近に、私の耳に入つたその掠奪の話は、SとKと云ふ二人の間に恋愛関係の成立した事に始まります。SもKも二人とも、私共の地方では中流の暮らしをしてゐる家の子なのです。で普通ならば二人の結婚は、割り合に容易に許されるのでありませうが、Sと云ふ男の家は、私共の地方では誰しらぬ者もない悪血統の家なのです。それ故、Kの家やその親類の誰彼が不承知なのは云ふ迄もありません。しかし、二人はどうかして結婚しようとしSの親達も、どうかしてSの望みを叶へてやりたいと思ひました。そのうちにKは、とう/\家をぬけ出して、Sの家に連れ込まれました。半月ばかりたつてからKの家から厳重な談判があつたので、SはどうしてもKを返さねばなりませんでした。帰るとKは厳しい看視を受けるやうになつて、まるで外へなどは出されないやうになりました。しかし、とうとう或る晩、毎晩のやうに外から家の者の隙をねらつてゐたSの為めにKは盗まれました。しかし二人が五六町も来た頃に、直ぐに追手がかゝつて、Sは散々な目に遇はされて、Kはまた家に連れ帰られました。Kの看視は一層厳重になりましたけれど、Sはそれでも思ひ切ることが出来ないで、此度は四五人の若者をかたらつて、出かけました。此度はもう家の人に感づかれても何でもよいと云ふ気で、家の裏手にまはつて様子を覗つてゐました。運よく下女に提灯をもたせたKが、物置きの方に出かけて来ました。皆は飛び出してKをひつかついで逃げ出しました。下女の知らせで、家の物は後をおつかけまはしましたけれども、四五人もの屈強な男達にはとても向へないのでそのまゝになつて了ひました。
Sは、前にこりて、家には連れてゆかずに二里ばかり山奥に二人で隠れました。Kの家では躍起となつてさがしましたけれど、遂々一年あまりも、二人のありかは分りませんでした。それでも、二年目には遂々見出されました。此度はKはうつかり、弟の口にだまされて、家に連れ帰られました。けれども夜になるとKはどうかして逃げやうとそはついて来ますし、SはSで友達をつれては、すきをねらつてゐるのを見ますと家の人もとう/\断念しました。そして、わざと油断を見せて、Kがぬすまれてゆく事を許しました。
『うつちやつたのを拾つて行つたんだ』
Kの家ではさう云つて、もうどんな事をしても、再び家の敷居をまたがせないと云ふ事を親戚に誓つたと云ひます。