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泡鳴五部作 01 発展
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泡鳴五部作 01 発展
岩野泡鳴
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 8 of 19

八

「今、君の細君が來て歸つたところぢや。」かう云つて、笛村樂塾の主人に出迎へられ、義雄がお鳥を紹介しにその座敷にとほつたのは、もと大藏大臣某の屋敷の繁つた樹木から蝉の聲が涼しく聽える時刻であつた。

樂塾は三平坂の中腹に入口が附いてゐる。その坂から、山王の鳥居の方へかけて、可なり一直線に見通せるので、坂うへの學習院女子部も夏期休業である時節とて、人通りも少く、男が若い女を連れてとほるのが特に目に立ちはしなかつたかと義雄に思はれた。

「‥‥」義雄の先づぎツくりしたのは、それで――自分達の連れ立つて來たのを千代子はどこかの蔭から見てゐて、直ぐ跡をつけて來はしないかと云ふ心配が自分の胸をどきつかせた。が、よく聽き糺して見ると、笛村が、

「今――歸つた」と云つたのは、實際は二時間も前、まだ日の暑いさいちうであつたのである。

「それぢやア、安心だが」と、義雄はそれとなく笛村のいつも事實を誇帳する癖があるのをなじる調子であつたが、直ぐまた自分のことに歸り、「あいつも隨分執念深い奴だから、ね――」

「さうらしい、なア。」笛村は太つたからだの胸をあらはに突き出してあぐらをかきながら、「まア、君に頼まれた通り云ふて置いたが――」

「それでいい、さ。」

「けれど、僕も困つたよ。」

「そりやア、然し」と、義雄は笛村にさうは云はせないつもりで、「女優問題で僕に迷惑をかけたのよりやア、まだましだらう。」

「ひやア、そいつを云はれたら!」あたまへ太いぶきツちよな手をあげた。それから、「けれど、なア」と、からだを一ゆすりして、左の手を右の膝にのせ、義雄の顏からお鳥の顏に目を移しながら、「見付けたら殺すと云ふてをつたぞ――もう感づいてをるやうぢや。」

「ふん、何もわたしが」と、お鳥は笛村から義雄の方に目を轉じ、「あんな者に殺されるおぼえはない。」

「そりやア、惡かつたら、ただおれのせいだらうが」と、義雄はまた目をお鳥から笛村の方に向け、「まア、當分は僕の云つた通りにして置いて呉れ給へ。僕もどこかに鬱忿を漏らすところがなければ困るから、ねえ――」

「さうだ、君もお父さんが亡くなつてから、大分人並みになつてゐたから、なア。」

「まだ丸二ヶ月にもならんのに」と、お鳥ははたから口を出した。

「もう、大分奧さんらしいです、なア」と、笛村にからかはれて、

「ふ、ふん」と、かの女は鼻で笑つて、それでも恥かしさうに横を向いた。

「琴をおやりなさい。琴を。」

「へい――」

「そりやア、もう、そのつもりで來てゐるのだから、あすからちやんと教へてやつて呉れ給へ。これは裁縫、裁縫と云つてるが、そんなことは田舍にゐての思ひ付きで、もし琴で一本立ちになれるなら、それでもいいぢやアないかと、僕も話してゐるのだ。」

「そりや、やれんことはない。」

「然し、これの天分があるか、ないか、調べて見なけりやア分らないから、そこは手ほどきを君にまかせたいのだ。」

「君の説に據れば、藝術には天分は入らん、努力ばかりぢやないか?」

「然しそこまで眞面目にはなれる女か、どうだか」と、義雄はお鳥と顏を見合せたが、さうかの女を重んじてはゐないといふ目附きを笛村に放ち、「僕はまだ分らないのだ。」

Chapter 8 of 19
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