Chapter 1 of 24

樺太で自分の力に餘る不慣れな事業をして、その着手前に友人どもから危ぶまれた通り、まんまと失敗し、殆ど文なしの身になつて、逃げるが如くこそ/\と北海道まで歸つて來た田村義雄だ。

小樽直行の汽船へマオカから乘り込んだ時、義雄の知つてゐる料理屋の主人やおかみや、藝者も多く、艀で本船まで同乘してやつて來たのは來たが、それは大抵自分を見送つて呉れるのが主ではなく、二三名の鰊漁者、建網番屋の親かたを、「また來年もよろしく」といふ意味でなつけて置く爲めだ。

渠とても、行つた初めは、料理店や藝者連にさう持てなかつたわけでもない。然し失敗の跡が見えて來るに從ひ、段々融通が利かなくなつて來たので、自分で自分の飛揚すべき羽がひを縮めてしまつたのである。よしんばまた、縮めてゐないにしたところで、政廳の方針までが鰊を人間以上に大事がり、人間はただそれを捕獲する機械に過ぎないかの樣に見爲してゐる樺太のことだから、番屋の親かた等がそこでの大名風を吹かせる勢ひには、とても對抗出來る筈のものではない。

渠等が得意げに一等室や二等室へ這入つて行くのを見せつけられて、自分ばかりが三等船客でなければならなくなつた失敗は、如何に平氣でゐようとしても、思ひ出せば殘念でたまらなかつた。

一等船室には、實際、三名の番屋が三ヶ所に陣取つてゐた。いづれも、それが自己の持つてゐる漁場から、マオカへ引きあげて來た時、例年の通り、負けず劣らずの豪遊を試みてゐたので、その時義雄も渠等と知り合ひになつた仲だ。北海道相撲の一行が來て三日間興行をした時なども、渠は渠等と組んで棧敷を買ひ切り、三日を通して大袈裟な見物に出かけ、夜は夜で、また相撲を料理屋に招いて徹宵の飮をやつた。

その親かた等の一人は義雄の事業に來年から協同的補助を與へてもいいといふ申し出をしてゐた。義雄もそれが若し成り立てば、今年の事はたとへ損失が多くても、辛抱さへしてゐればいいからといふ考へである。その相談はどうせ小樽に着してからでなければ孰れとも定められない事情であつた。が、渠がふと三等室を出て、その人の室へ行つて見ると、その人は赤黒い戸張りの奧に腰かけて、そばに一人の女をひかへさしてゐる。

「これは失敬」と云つて、義雄が出ようとすると、

「いいのだよ、君も知つてるだらう」と引きとめ、その手で女の頸を押し出す。

見ると、お仙と云つた藝者だ。つき出された顏が笑つてゐる。義雄は、出發の前夜も、その人に連れられて酒店へ行き、この女を招いて飮んだのだ。その夜ふたりは關係したか、どうかは知らないが、以前は確かに關係があつたらしい。よく聽いて見ると、かの女は丁度いいしほに乘つて、見送りにかこつけ、マオカを脱走し、旅費だけをこの番屋に出させたのだ。

小樽へ着くと、直ぐ、お仙は獨りでどこかへ行つてしまつた。

義雄は例の番屋の本宅、松田方へついて行つた。そして、事業協同の下相談をあらかたでもつけて置きたいと思つたが、その會計主任とも云ふべき帳場が旅行中で、それが歸つて來るまでは、相談が出來ないとのことだ。

それに、この番屋の親かたは、船中で皆と一緒に相談してゐた通り、直ぐ札幌へ行つて、興行中の東京相撲を見ようと云ふ。そして、他の二人(これは函館の人であつた)の定宿へ電話をかけたのだ。義雄も渠等と一緒に札幌へ來た。

然しステーシヨンを出てから、義雄は皆が勸めるにも拘らず、皆に別れた。來早々小使錢もないのを渠等に見透かされるのが厭であつたからである。渠はステーシヨンの入り口に立つて、渠等が車で外國じみたアカシヤ街を眞ツ直ぐに駆けて行く勇ましい姿を見送りながら、自分獨りはこれからどうなるのだと考へた。午後二時頃だ。

先づ、心に浮んだのは、今しがた、小樽の埠頭で別れたかのお仙はどこへ行つたか知らんといふことだ。かの女は無責任な女性――而も卑賤極まる女性――であるから、どこへ行つても、その場で自分一個を自分一個で處分することが出來る。然し渠自身はさうは行かない。小樽在住の番屋と共に同船して來たのは、小樽に着けば直ぐ來年の事業擴張の相談を濟ますつもりであつた。それさへ濟めば、本年殘餘の事業に對しても、多少囘復のつきさうな補助もしくは借金もその人から出來ようから、再び樺太へ引ツ返すなり、自分は北海道にゐて、また別に何か一儲け出來る仕事を見附け、東京へ歸る前に、樺太に於ける失敗の埋め合はせをするなりしようと思つた。

然しそのおもな而も唯一のもくろみが、たとへ當分でもはづれては、渠は當惑せざるを得ない。手にしてゐる風呂敷包みに、東京の雜誌二三册と手帳と、不斷衣の袷と袷羽織とめりやすのシヤツとがある外には、樺太の夏に向きかかつた時拵らへた銘仙の單衣に對の銘仙の袷羽織を着てゐるばかりだ。そして、帽子と云つては、海水浴場で男も女もかぶる樣な大きな、粗末な麥わら帽だ。

札幌の眞夏は兎に角樺太のよりは暑い。人々がうす物一つで往來してゐる中を、渠獨りは袷の羽織を着たままで、ステーシヨンから離れ出した。三十年も以前にアメリカから取り寄せて植ゑつけたと聽いたアカシヤの樹が、この南北に渡る中央通りの兩がはに、ずらりと立ち並んで、家毎の家根を越えて葉を繁らしてゐる。風があつて、その動く枝葉ばかりは涼しい樣だが、下を通る渠その人の暑さは、今年になつて初めておぼえる暑さである。

渠は汗をふき/\、風呂敷をかかへて、五番館の陳列所前を反對の方角に曲つた。と云ふのは、兎に角、一友人の家に一時落ちつかうとするのだ。渠の懷中は宿を取るさへ心細いくらゐになつてゐる。そして、その友人とは、古くから知つてゐる同窓だが、手紙の上ばかりで、實際はもう十年足らずも會はなかつたのを、渠が樺太へ渡る前に鳥渡立ち寄つて、その住まひは承知してゐた。

廣いその眞ン中に低い草が生えたままにしてある通りを行くと、左りに北海道廳の柵がまはしてある。その柵内に直立して、天を突くさかさ掃木の樣に高い白楊樹の數々と、昨年の火災に燒け殘つた輪廓ばかりの道廳の赤煉瓦とを再び見ると、急になつかしい友人に近づいて來た氣になる。

そこから一町も行かないところに、通りは農科大學の附屬博物館構内の柵に行きつまる。柵内に繁茂してゐる、脊の高いアカダモや、ドロや、柳やの森をのぞむと、然し、渠は、數ヶ月前の月の夜に、友人と共にその間を散歩しながら、今囘着手した事業の成功を身づから保證したことがあるのを思ひ出す。それが今囘殆ど手ぶらで歸つて來たのであるから、何となく顏を會はすのが恥かしい樣な氣もする。且、みやげもなく、また用意の小使錢も殆ど皆無のあり樣だが、博物館そばの通り角の友人の家に着いた時は、遠慮もなく、玄關のがらす戸を明け、

「歸つて來ましたよ」と、無造作に這入つて行つた。

半間ばかりの土間があつて、そこから障子をあけてあがると、直ぐ茶の間で、六疊敷の左り寄りのがらす窓のもとに、ちひさい四角い爐が切つてある。爐の中には、奇麗な小粒の石が澤山敷きつめてあり、その眞ン中に沈めた丸いかな物の中の灰にはおこつた火が埋めてあるかして、天井から鐵の自在鍵でつるした鐡瓶の湯がくた/\云つてゐる。

然し裏の方はすべて明けッ放しのまま、家族のものは誰れもゐない。右の方の客間や寢間もみな方づいたまま見られるし、直ぐ奧の臺所からは裏の共同庭も見透かされる。義雄は持つてゐた包みをそこに投げ出し、爐のそばにあぐらをかいて、煙草をのみ初める。そして、暫らくここに落ちついてゐられるか知らんと考へて見る。

けふは、明治四十二年の八月十六日だ。初めてここへ訪問してから、もう、三ヶ月餘りを樺太に經過した。そしてそれが殆ど全く失敗の經過であつた。ここに滯在してゐるうちに、向うから多少囘復の報知が來ればよし、さうでなければ、北海道で一つ何かいい仕事を見附けなければならない。

然し友人はまだ某女學校の國語漢文教師であつて、僅かの俸給によつて、夫婦に子供ふたりの生計を立てて行く人――交際も狹からうし、また義雄一個がその生計の一部分に影響しては、苦しい事情があるかも知れない。兎に角、札幌へ來ての第一着は、自分のその日を送るに足るだけの定收入を作らなければならない。これはこの友人に話しても駄目だらうから、けふにも、今ひとりの、これはさう親しくないが、知人で、近々一實業雜誌を發刊しようとしてゐるものに行つて、早速相談して見よう。

などと考へてゐるうち、奧の方の共同庭――そこは、通り角の兩面に立ち並んでゐる家々に共通の裏庭だ――を、細君が衣物の裾を腰まで裏返しにはしよつて、手桶を兩手におもたさうに下げてやつて來るのが見えた。水口を這入つてから、かの女は義雄のゐるのに氣がつき、

「あれ、まア」と、東北辯の押しつまつた口調で驚きあわてて、裾の端折りをおろす。それで、義雄が第一に穢らしいと思つた白の腰卷きが隱れる。

「歸つて來ましたよ」と、渠が何氣なく笑つてゐると、かの女は爐ばたへやつて來て、

「いらツしやい」と挨拶する。「いかがでした、樺太の方は?」

「失敗でした、矢ツ張り」と、ほほゑみをつづけて、「然しまだ囘復策が出來さうなので、ちよツと北海道まで歸つて來ました。」

「それはいけません、ね」と、細君は變な顏をした。義雄はそれを見たくなかつたのだ。

然し、この場合、そんなことは云つてゐられない。ただ自分の暫らく厄介になることに對し、かの女がその所天にあたまから反對(があるかも知れないから)の氣勢を吹き込まない樣にさへして呉れればいい。

と、かう思つて、渠は、さきにここで話し合つた時の意氣込みとはうつて代つた自分の今のみじめな状態が如何にも情けない。

友人は子供ふたりをつれ、十三四町も南に當る公園の林檎畑へ林檎を買ひに行つて、留守だと云ふのを幸ひ、先づその細君に向つて、義雄は暫く厄介になることを告げた。そしてみやげ物も持つて來なかつた申しわけとして、ここまで歸つて來るのが漸くのことであつたくらゐで、用意の小使錢さへ殆どないほどだといふことをうち明けた。

然しまた生計上の心配をさしては濟まないと思つて、樺太の失敗はまだ全くの失敗でないこと。並に蟹――これを鑵詰に製造するのが義雄の事業である――の第二期漁獲が、八月の初め頃から始まるのだが、今年に限つて、七月一杯の昆布採集が豫想外に長引いてゐて、まだ初まらないが、それが初まれば、自分の生活費用は向うから送つて來る筈になつてゐるといふこと。さなくも、東京の家を賣る筈だから、今月中にはそツちからも金を送つて來ること。などを、自分の信じてゐる通りに云つて聽かせた。

「然し事業といふものは六ヶしいものですよ」と、細君は、茶を入れながら、義雄の言をあやぶんだ樣な返事だ。渠には、かの女がさきに渠をあやぶんで忠告するやうに語つた話を思ひ出せたが、かの女の兄なる人に木材で失敗した者があつて、かの女はそれを共にゐてよく知つてゐるのであつた。

かの女の兄なる人は天鹽の或山林から枕木を切り出し、一と儲けしようとした。豫算通りに行けば大儲けをする筈であつたが、それが意外の失敗になつて、父の家までも失つてしまひ、この細君もその家に金持ちの娘として安んじてゐることが出來なくなつた爲め、七八年前、こんな教師風情のもとに方づいて來たのだ。

義雄の失敗もこの家の細君の兄のと殆ど全く同じであることが心に浮んだ。無い中の金の工面をする爲め、亡父の一周忌も濟まないうちに、自分の所有になつた家を抵當にしてしまひ、東京では、それが今月中に流れてしまふかも知れないのである。そしてその家には妻もゐるし、子供もゐる。然し、この場合どうすることも出來ない。家を流れないやうに賣り飛ばし、その殘りの差金のうちから、百圓だけ送つて來い。そしてその殘金を以つて、二三年間、どこにでも引ツ込んでゐろといふことを自分の妻への最後の手紙に云つてやつたのは、今月の初め頃である。

渠はそれツきり東京の家には手紙を出さない。妻子には自分が二三年間北海道へ行つて、放浪の身となつたと思へと云ひ含めたつもりなのだ。

義雄は文學を以つて東都の文界に多少の名を知られてゐたものだが、その勞力に報いることの少い原稿生活に飽きが來たのが原因で、こんな失敗をした。然しこの失敗を失敗にしてしまつては、矢張り、厭になつた原稿生活に返らなければならない。今ではこれがつらいから、どうしても、鑵詰の事業をやり通すか、或はまた他に何かの實業的仕事を見つけようか、とする熱心が胸に燃えてゐる。

「六ヶしいと云つても、やり方一つですよ。僕の事業の失敗などは、僕がその初めから附いてゐさへすればよかつたのです」と、義雄は斯う云ふ申しわけを云ふのさへ殘念であつた。

實際、ゆで釜とか、蒸籠とか、敷地とか、製造所とか、固定資本に餘り金を入れ過ぎて、流動資本の用意がすくなかつたのも、一つの原因ではあらう。然し、渠が原稿の整理やら、不足金の調達やら、愛妾の病氣介抱やらで、東京出發を二ヶ月餘も後らしたうちに、さきへ樺太に行つたもの等が取り返しのつかないへまをやつてしまつた。

渠等は無職業同樣な惡辣者を相談相手にして、それに利益の半ばを喰はれてゐたし、土地の番屋におだてられて、蟹を製造力不相應に買ひ込み、毎日その半分は、無駄に腐らしてゐたし、また原料並に物品を餘り高く買つてゐた。それで經濟の取れて行く筈はない。

思ひ返せば、渠は人を信じ過ぎたのだ。從兄弟の製造技師は無學文盲の爲めに他人にのせられ易いし、會計掛りとして遣はした弟はまだ學生あがりで本統の役には立たない。おまけに、その弟が慣れない寒氣の爲め急性肺炎になつて、一ヶ月餘りも入院した。

そんなこんなで、渠が向うへ渡つた時は、最も望みある第一製造期の終りであつたが、利益どころか、東京の家を抵當にして拵らへた製造所が、諸機械ぐるみ、また抵當に這入つてゐた。渠が燒けを起して豪遊したのは、それが爲めである。

「然し樺太出發の際、第二の時期に必要な費用は、極切りつめたところだけでも、用意して置いたから、再び仕事を初めさへすれば、直ぐ五十や百の金は送らせるのに不自由はないのです」と、渠はつけ加へる。

「さうなれば、あなたがたも結構ですが」と、細君は浮かない返事だ。

全體、義雄はかの女を初めて會つた時から好いてゐなかつた。盛裝させれば、きツと美人には相違ないとは思つても、第一、押しつまつた樣な東北口調が都振りに慣れてゐる渠には少し不愉快に感じられる。それはいいとしても、友人はその妻の身のまはりを餘りかまはなさ過ぎる。それも活計上の餘裕がないところから來るとして、女自身が餘り所帶じみて、くすみ過ぎてゐる。

半ばは同情から、半ばは惡感から來るのだが、女性といふものが子を持ち、所帶じみるに從つて、年の加減でもあらうが、自分から色けがなくなつて行くのを見ると、義雄はいつ、どこでそれを見るにしても、そのだらしなさ、意久地なさ、きたなさを感じて、下らない樣な、馬鹿々々しい樣な、憎らしい樣な厭氣を抱かざるを得ない。

ここの細君を厭なのは、義雄には、乃ち、自分の妻を厭な所以であつた。妻が厭であると、その子供までが――恰も自分との間に出來たものでないかの如く――厭になつて渠はわざとにも妻子の顏を暫く忘れてゐたし、また全く見ないで濟んでゐたのに、この北邊の地に來てゐながら、なほそれを聯想しなければならないのを非常に苦しく思つた。そして早く友人が歸つて來ればいいがと心で祈つた。

「この頃は夏期休暇中です、ね」と、渠はふと氣がついた。一年中で最も閑散なこの時期を、子供と共に出て行つたのなら、夜まではかからないとしても、友人はいつ歸つて來るか分らない。

「うちでも、もう直き歸りませうから」と、細君が親しげに云ふのにかまはず、

「奧さん、勝手に御用をなさい。僕はちよツと湯に行つて來ます――一日、一晩、船の中でごろついてゐたのですから。」

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