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現在の大陸にある機関車の種類や、軌道の状況や、戦闘の発展に伴う今後の占領鉄道の予想などを訊いて私は帰ることにした。私は若い教官から別れぎわに、成るべく重い列車の運転をよけいに実習させて貰いたいと云うことや、場合によっては一人で火を焚きながら加減弁の把手を執る要領も実地に教育して欲しいと云うことまで頼まれた。私は実施を誓って衛門を出たけれど、そうした希望の出る戦場の情景が自然に頭の中に空想され、何日経ってもふとすると思い出されるようになった。その後の私の指導振りにいささか苛酷に過ぎる感のあったのもそのためである。私は彼に数時間もの連続作業に疲労の色が見えても代ってやらなかった。重量列車の運転には特にやかましく口出しもした。制動機の使いかたについても同じであった。一ダイヤの仕事が終って入庫しても、帰営するまでに時間があると私は車庫裏の投炭練習場へ伴い、模型火室で焚火法の練習をさせた。それには佐川二等兵も不満だったらしい。機関士の業務を実習するものが、火焚きの練習でもあるまい、と云う顔が見られるのである。すると私もスコップを握り、同量の石炭を掬って投げ込みながら、火層の出来栄えについて納得するまで説明を繰り返した。然し残念なことには、私もながい間やっていないので、なかなか思うように出来ないのである。火室の前の方に薄く、手前へ向って次第に厚くなるように撒布しなければならないと教えながらも、実際は反対の結果に終ったりする。彼は私を気の毒に思うのか、無理してやってみせなくもいいんですよ、と云う。私も意地になり、別に無理しているわけでもない、と嘯いてみせるのだが、ひどい汗ですよ、と顔を指されて愉快そうに笑われたことも一度や二度ではない。或るとき私は変に気に触って、なにがそんなに可笑しいんだ、と自分でも予期しないほどとげとげしく突っかかって行ったものである。大人げない話だが、気づいたときにはすでに遅い。相手は真蒼になって手にしていたスコップを置いてしまった。私はその態度にすねた自分の子供を意識しながら、大人げないてれ臭さから遁れたい慾望にも手伝われて、人の仕事を嗤う腕があるなら見せて貰おうじゃないか、と云った。同時にスコップを取りあげて突きつけた。相手はいっそう驚いて私の顔を見守っていたが、やがて鼻をふくらませながらスコップを受け取り、なにも馬鹿にして笑ったわけでもありません、とうらめしげに呟くのである。今更弁解など云える筋合いのものでもあるまい、男らしくやったらどうだい、と云う私にもう一度瞳を向けて飜意の現われない事実をたしかめた彼は、瞬間、反撥的に模型火室の前に立った。円満ないつもの彼の顔がひとつの憤りの表現だけでゆがんだように見られたが、不思議に私には冷然たる態度をつづけることが出来た。私は開始前の不動の姿勢を点検してから、投炭用意、の号令をおごそかにかけ、次の号令といっしょに投炭の速度を見るために片掌のストップ・ウォッチをいれた。佐川二等兵はまるで別人の如くに動き出した。石炭を掬いながら、火室扉をあける姿勢も、目的の位置を叫んで投炭する態度も、生きたスコップの操作振りも、私には曾てなかったものとして見ることが出来た。私は急に胸のいっぱいになるものを感じた。ずっと腰をかがめたままでする作業だから顔は見られなかったけれど、一杯々々と重ねられる毎に高まる連呼の声は私の鼓膜をたたき、胸を衝いてくるのである。私は火室の中を見守っていた。小気味よい散乱がつづき、投炭場所の誤りこそ一、二回あったようだが、形成される層は私が見ても私より好い。私は口惜しさより嬉しさが先きに立った。いや嬉しさだけだと云った方がよい。初めてではあるが、それだけに私の喜びは大きかったのだ。私は一瞬もうよい、と云ってやりたくなった。然し私は胸と共に両手でかかえるように持ったストップ・ウォッチに見入りながら、所定量の投炭の終るのを待った。私は彼の両掌を執って、よくこれまで上達してくれた、そう言って感謝するつもりでいたのだが、数百回のスコップの操作に彼が幾らか汗ばんだ顔をあげた時には、私の眼瞼は全く熱いもので満たされていた。
私は最近の乱暴な指導振りをあらためて詫びた。彼はあわてて首を振った。そうして貰ったからこそよくなれたのだと云い、いっそう私を喜ばせるのである。そしてその後の私たちの乗務生活が、短かかったけれど本当に愉快な思い出となったのは云うまでもない。
世の中に妙な景気が湧いて、私などの暮しは楽ではなかったが、倍加した人出や貨物と共に車輛の連結数も増され、軽い列車が見られなくなったので、技倆を向上させるのはこの時だと話し合っていたけれど、来るべき日は間もなく訪れた。佐川二等兵も征くことに決ったのである。その日も私たちが長い貨物列車を牽き、半島の駅をひとつずつ丁寧に廻って行くうちに、或る途中駅の助役が、佐川に即刻帰隊すべしと云う命令のあった由を伝えるのである。機関車の窓から乗り出した佐川の顔が、陽の中に美しく紅潮するのを見た私が、なにか急用でも出来たと云うのかい、と訊ねると、助役はちょっと首をかしげたまま、それだけの電話でしたよ、と答えただけであった。内心私は当人の腕は大丈夫だと思いながらも、すぐに佐川に向い、隊にそんな気配はなかったの、と訊ねてみないではいられなかった。佐川はいつもの顔色に戻って首を振り、とにかくここから帰らして貰います、と機関士席から立ちあがった。私が変に背筋に寒いものを感じながら、そりぁそうした方がいいが、もう一度ぐらい会えるだろうね、と別れを惜しんで云うと、そんなに早いこともないでしょう、と笑って見せ、私もあらためて挨拶にはあがりたいと思っていますが、と云うのであった。道具を持って機関車から降りた彼は、代って機関士席についた私を見あげ、お願いします、と云ったがそれにはもういつもに変りが見られなかった。
夕方私は機関区に帰って来て、実習派遣を停止されたのが佐川一人でないのを確めた。口の多い連中の中には、あんなに急いでいるんだから、事によると今夜あたり出発かも知れない、と云うものもあったが、それならそれでやむを得ない、そのような気持は、私にもあった。然し、私は当直の助役さんの部屋で、その夜も翌日も、一本の軍臨(臨時軍用列車)さえ運転されない事実を知った。助役さんにはしっかりしたところがわかっているかも知れないと思い、帰りがけにそれとなく訊いてもみたのだが、左程早急でもなさそうだという以外のことは判明しなかった。それだけでも私はホッとした。まだ会える機会のあるのが十分に予想されるからであった。その夜は営内で準備に追われている佐川の顔ばかり浮かびあがってろくに私は眠ることも出来なかった。なにか私に呼びかけているのだが、さっぱりわからないのである。私は変に胸騒がしいものに襲われていた。眠りについても何度か佐川の名を口にしていたそうである。まるで自分の子供を戦地へやるようですね、見かねたらしい妻にも云われたが、私にはそれすらが癪に触り、思わず泡を飛ばし、戦地へやるのに自分の子も人の子もあるものか、と呶鳴りつけたものである。あまりの権幕に妻も驚いて黙ったけれど、私にはまだ云い足りないものが残った。私は昂奮の原因が、どこにあるか自分にもよくわからなかった。妻の云うように、自分の子供を戦地へ送るときにはこうもあるかと思っても見た。或いはまた、自分自身が令状を手にした当座の気持をも空想して比較してみた。然し何れとも異っているように私には思われる。私は自分自身や子供の場合ならば、もっと落ちついて戦地を考えることが出来るにちがいない。戦うものの生命がどんなに貴く、そしてどんなに軽いものであるかと云うことも、自分の肉体のうちに解決し得る自信が持てる。今の私にはその落ちつきも自信もない。これはどうしたことであろうか。私にはわからない。私のいらだたしさはそこから端を発しているのだ。それは私に眠る時間をあたえないどころか、次第にもの狂わしいものにまで高められて行く。罪でなくとも大きな過誤を犯した誰れも受けなければならない、激しい鞭に悩まされているような錯覚にさえ襲われる。私は全く苦しくなった。そして夜明けをどんなに待ち遠しく思ったことであろうか。夜が明けたら私は休暇を申し出て、是が非でも隊へ面会に行って見ようと思った。そしたら幾分でも気分が安らぐかも知れない、と云うよりは不明な問題が解決されるかも知れない、と急に考えついたからである。
少しく遅い朝食を済ませた私は、心ばかりの甘いものなどを買い込んで兵営を訪ねたのだが、残念ながら当日は面会の許可が下りなかった。代りに準備が終り次第外泊が許される筈だから、その機会を利用して会えるように当人から連絡するように伝えて置くと云うことであった。私はそれでもやむを得ないと思い、二、三日の間は仕事にもみの入らない肉体を持てあましながら、葉書でも来やしないかと心待ちしていたのである。然し二、三日してもそれらしいものは見られなかった。私は毎日乗務から帰っては、初めに自分でつくった指導の予定表などをひろげ、ただぼんやりと眺め入ってばかりいた。
五日目の夕方である。滅多に訪問者のない玄関の声に行ってみると、意外にも佐川二等兵の丸々しい笑顔が見られた。私は驚きとも喜びともつかないあわただしさを感じながら、掌を取らんばかりに招じ入れた。それには彼も吃驚してしまったせいか、向き合ってもかえって白々しいものが暫く消えなかった。彼は前より遙かに落ちついた口振りで、もっと早く来なければならないのだが許しが出なかったと云うこと、ようやく出発の日が決ったらしいと云うことなどを述べてから、長い間の御恩にも酬いられないのが残念だと云うのであった。私にはそんなことはどうでもよい。私は彼が母に会って来たことをたしかめ、自分の家に泊れるかどうか訊いてみた。翌る朝まで許可されてあるということなので、私は是が非でも泊ってくれるように頼んだ。
夜になって私たちは僅かな酒を酌みながらも、同じ部屋の床にはいってからも、機関車の運転の話ばかりしていた。どのような話でも私がそこへ持って来てしまうからでもあったろう。相手は迷惑だったかも知れないが、私にはそれ以外の話題に興味がなかったのである。私は飛んでもない機関車の歴史から、何処の国が最も進歩しているかと云うことまで物語った。楽しかったのは矢張り、いっしょに乗務し始めてからの思い出話である。あまり細々しいことまで私が覚えていて喋るので、終いには相手も顔をあからめてしまい、又ひとつ気残りが増えましたよ、と苦笑する。私にはそれがまた非常に愉快であった。相手の困るさまに感ずる喜びではなくて、なにもかも覚えていることを知って貰えるのが嬉しいのである。私は何度も技倆の全部をだしてやってくれることを望んだ。話がその点に及ぶとさすがに彼も真剣な面持ちになり、経験が浅いので心配です、と云うのに対して私は頭から、やろうと思えば絶対にやれないことはない、と云ってやるのである。それはその瞬間に於ける私の本心からだ。彼の持つ技倆がどのくらいかわかり過ぎているのだが、顔を突き合せて居りさえすれば、何んの不安も感じないでそういうことが私には云えるようになっていたのである。
それから数日後の未明、佐川の出発を駅まで見送りに行った私は、薄暗い雑沓の中で誰れもがするような別れの挨拶を述べ、自分でも見すぼらしく思うばかりの痩腕を高くあげて万歳を叫んだのであるが、列車が見えなくなっても帰りきれないものに襲われなければならなかった。何んとも云いがたい焦躁に胸の湧き立つのが感じられるのである。これは私自身の勝手な感情のはたらきかも知れない。私は僅かではあったが顔を合せている間の元気な佐川の顔や、当面していることから離れるようにその日の天候がどうのこうのと話し合った事実や、動き出した車窓から首も出さずに挙手の敬礼をつづけて動かないさまなどを割合に冷静に思い出すことが出来るが、ただひとつ発車間際に例の「機関車問答集」を雑嚢の中から取り出して、読みながら行こうと思うんです、と云われた時の気持は回顧するだけでも苦しい。私はも早や彼が「機関車問答集」の内容ぐらい知りつくしているのを知っている。彼はながい列車内での単なる時間つぶしのつもりかも知れない。でなければ私との生活を記念するために重い軍装の中に無理して詰め込んだものだと思われる。どちらでもよい。私がその本を窓から見せられた瞬間に受けた衝撃は、「機関車問答集」にはからずも自分の姿を発見したからである。それは彼が私をいっしょに連れてってくれると云う喜びを私に齎すものではない。反対である。彼はいちど身につけたものを或る場合は同じ本を読むことで持続出来るであろうが、私はそこに自分の生きる場所の失われるのを感じないではいられない。これは当然の成行でも私には淋しいことである。私はその本を曾て可成り無理して手に入れた事実を思い出し、なに気ない口振りを装い、矢張り自分を信じてやった方がいいんだよ、と云ってやらずにいられなかった。すると佐川二等兵は複雑な蔭の見られる微笑を浮べながら、大丈夫ですよ、と簡単に答えた。その時は私もホッとした思いに置かれた。別に正確に私の考えるところが伝えられたとも思えなかったけれど、いつかはわかって貰えるものがその中にかくされてあるように感じられたからである。