その荷物は?
おしゃべりに夢中になっていた村人たちは、その男がいつのまにか、その部屋から玄関にでてきていたのに、いっこうに気づかなかった。
「う、うう、わんわん!」
車のかげに小さくなっていたフィアレンサイドの犬が、きゅうにはげしくほえたてた。
「あっ!」
思わずふりかえった人びとは、玄関に不気味な人かげをみて、ぎょっと顔色をかえた。
そのとたん、
「馬車屋、なにをぐずぐずしているんだ! はやく荷物をはこべ!」
すご味のあるどなり声が、あたりをふるわせてひびいた。
フィアレンサイドが、びくっと飛びあがり、ホール夫人は棒立ちになった。
村人は、くものこをちらすように、後もみずにちっていった。
馬車屋は、しばらくためらっていたが、勇気をふるって男に近より、
「だんなさま。あいすみませんことで……おけがはありませんですか? なんとも、はや、申しわけありません」
ぺこぺことわびた。男は、じろりと馬車屋をにらみ、
「けがなんかせんよ。かすり傷ひとつしてないんだ。それより早く荷物をはこべ」
と、おうへいな態度で言った。
馬車屋とホールの手で、荷物は男の部屋にはこびこまれた。
男はすぐさま荷物をほどきにかかった。じれったそうに、間につめた麦わらをほうりだし、中のガラスびんをひとつずつ、だいじそうにとりだした。どのびんにも液体や粉末がつまっている。
男は、おびただしい数のガラスびんをとりだすと、こんどは試験管をとりだした。
つぎに、はかり、そのつぎは、えたいのしれぬ機械だった。
「やれやれ、これですっかりとりだしたぞ。ぶじに荷物がとどいてなによりだ。うすのろの馬車屋め、おれのだいじな荷物をだいなしにしないかと、はらはらしたよ」
男は、ほっとしたようにつぶやき、麦わらや空籠、空箱で、すっかり部屋が汚れてしまったのも、気かつかぬようだった。
「さあ、さっそく、とりかかろう」
男は、息をつくひまもなく、窓のちかくに機械をならべ、実験にとりかかった。
いつのまにやら、暖炉の火はきえ、底びえのする寒さがしんしんとせまっていた。
しかし、男は暖炉の火が消えたことなど、これっぽっちも気にしていなかった。
試験管をならべ、毒薬とかかれた茶色のびんをとりあげると、試験管の中に、たらたらと、三、四滴の液をたらしこんだ。
こんどは、それを火にかけ、また、ほかの薬品のふたをとった。
男は、ながい間、こうしてなにもかもわすれ、ただ実験にねっちゅうしていた。
時はすぎ、いつのまにか、昼がきていた。ドアをたたく、かるい音がひびいた。
男はすこしも気づかない。おかみさんが、昼の食事をはこんできたのだった。
ドアをたたく音は、しばらくつづいていた。男は、むちゅうで試験管をふっていた。
たまりかねたおかみさんは、とうとう、だまってはいってきた。
「まあ! これは……」
ひと足ふみこんだおかみさんは、たちまちしかめっ面になって、ふきげんな声をはりあげた。
部屋がだいなしになっている。わらくずがちらかり、古トランクがなげだされ、空籠がほうりだされてある。
おかみさんはいきなり、腹だちまぎれに、テーブルの上の麦わらを手荒くほうりだした。
がしゃんと、食事の皿をその上に、音をたててなげだした。
男は、はじめて、「おやっ?」と、いうように顔をあげた。
「お食事をもってまいりましたわ」
おかみさんは男をにらんで、つっけんどんに言った。
男はへんじもせず、うつむいたままで、テーブルの上においてある眼鏡を大いそぎでとりあげてかけると、やっと、ゆっくりとおかみさんのほうにむきなおった。
男の動作はすばやかった。しかしおかみさんは、その間に目玉がぬけ落ちて、ぽかりと二つの深い穴があいているような男の顔に気づいていた。が、なにくわぬ顔でつっ立っていた。男はいたけだかに、
「この部屋に用があったら、ノックをしてからはいってもらいたいね」
「ノックはいたしましたわ。なんどもなんども。でも、だんなさまが、お気づきにならなかったんですよ」
「それはしたかもしれんさ。しかしだね。この実験は一分もはやく完成させなくてはならんのだ。じゃまがはいるとひどくめいわくするんだ。ドアがあく音がするだけでも気がちってこまる。いちど言ったことは、かならず守ってもらいたいね」
おかみさんはぷんぷんして、
「わかりました。それでしたら、お部屋に鍵をおかけになったらいかがですか?」
「なるほど、そうだったな。では、これからは鍵をかけることにしよう」
男は、落ちつきはらってこたえた。おかみさんはなおさらいまいましそうに、
「よろしかったら、この麦わらを片づけましょうか? ひどくよごれて……」
男はぎろりとおかみさんをにらみ、きっぱりと、
「ふれんでもらいたいね。この麦わらであなたにひどくめいわくがかかるというのなら、その分だけ金をとってくれたまえ。えんりょなしに勘定書につけておいてくれればいいよ」
これを聞くと、いままでぷりぷり腹をたてていたおかみさんが、急にねこなで声で、
「それはおそれいります。どのくらいお掃除代をいただけましょうか?」
「一シリングでいいだろう?」
「けっこうですわ」
「では一シリングとつけておきなさい。勘定をするときにいっしょに払うから」
「ありがとうございます。ではどうぞ、お食事をなさってくださいませ」
おかみさんは礼をいい、テーブルかけをひろげて、食事のしたくをととのえ、逃げるように部屋をでていった。台所へもどりながら、
「なんておかしな人だろう。でも、掃除代が一シリングならわるくないわ」
と、つぶやいた。