Chapter 1 of 33

魔法博士

このふしぎなお話は、まず小学校六年生の天野勇一君という少年の、まわりにおこった出来事からはじまります。

その出来事というのは、一つはたいへんゆかいな、おもしろくてたまらないようなこと、もう一つは、なんだかゾーッとするような、えたいのしれないおそろしいことでした。

ある春の日曜日、天野勇一君は、おうちのそばの広っぱで、野球をして遊んでいました。場所は東京の世田谷区の、ある屋敷町です。広いおうちのならんだ、屋敷町に、むかしながらに森のある八幡さまのお社がのこっていて、その前に野球のできるような広っぱがあるのです。

天野君のキリン・チームは、十八対十五で敵のカンガルー・チームを破り、一戦をおわったので、みんながひとかたまりになって、ガヤガヤとおしゃべりをしているときでした。

ふと気がつくと、ひとりのふしぎな紳士が、勇一君のうしろに立ってニコニコ笑っていました。歳は五十ぐらいでしょうか。黒い洋服を着て、その上に、うすいラシャでできた、そでのヒラヒラする外とうをはおっています。オーバーではなくて、おとなの人が和服の上に着る外とうの、すそのほうを短くしたような形で、なんだか、大きなコウモリが、羽をヒラヒラさせているように見えるのです。

帽子をかぶっていないので、フサフサした頭の毛がよく見えますが、それがまた、ひどくかわっていました。この紳士のかみの毛は、もえるような黄色なのです。日本人にも赤毛の人はときどきありますが、こんな黄色いのは見たこともありません。しかも、ただ黄色いのではなくて、その中に、縞のように黒い毛がまじっています。黄色と黒のだんだらぞめ。言ってみれば、虎ネコの毛なみを思いださせるようなかみの毛、それを長くのばしてうしろへなでつけてあるのですが、油をつけてないので、フワフワして、風がふくたびに、こまかくゆれ動き、陽の光をうけて、まるで黄金のようにかがやくのです。

ふといべっこうぶちのメガネをかけ、その中に糸のようにほそい目が笑っています。ワシのように高くてだんだんになった鼻、その下に針のようにこわい口ひげが、ピンと両方にはねています。そのひげが、やっぱり黄色と黒のまだらなのです。口は大きくて、唇は紅でもぬったようにまっかです。

みんなが、このふしぎな紳士を、ビックリして見つめていますと、紳士はポケットに入れていた右手を出して、空中に輪をかくように、大きく動かしたと思うと、いままで何もなかった、その手の中に、一たばのトランプの札があらわれました。

紳士はその十数枚のカードを、一枚一枚、ヒラヒラと地面におとし、すっかりおとしてしまって、手の中がからっぽになると、ニヤニヤ笑って、その手で、空中に大きな輪をえがきましたが、すると、ふしぎ、ふしぎ、またしても、一たばのカードが、手の中にあらわれたのです。紳士はそれを、まえとおなじように、ヒラヒラと地面におとしました。

紳士はニヤニヤ笑いながら、このふしぎなしぐさを、なん度となくくりかえしました。地面には、美しく色どられたトランプの札が、まるで秋の落ち葉のように、いちめんにちらばっているのです。

「アハハハハハハハ、どうだね、キリン・チームとカンガルー・チームの少年諸君。カードはまだいくらでもわきだしてくるんだよ。だが、カードだけでは、つまらないかね。きみたちは、もっとほかのものを出してほしいのかね。」

紳士は、そこではじめて、まっかな唇をひらき、大きな声で、こんなことを言いました。

「ふしぎだなあ、それ、手品でしょう。」

ひとりの少年が、紳士を見あげて、言いますと、紳士はべつにおかしくもないのに、ワハハハハハハハと笑って、

「まあ手品のようなものだ。しかし、世界中に、わしのような魔法使いは、ほかにいないのだよ。わしは手品師ではない。魔法博士だ。一つ諸君のほしそうなものを、空気の中から取りだしてみせるかな。ほら、いいかね、よく見ていたまえ。」

紳士はそう言って、クルッと、一まわりしたかと思うと、その手には一本の新しいバットがにぎられていました。

「さあ、これが優勝したキリン・チームの賞品だ。受けとってくれたまえ。」

天野勇一君のとなりにいた少年がそれを受けとりますと、紳士はまたもや、つま先でクルッと、一まわり、マントのそでがヒラヒラとしたかと思うと、こんどは両手に、新しいミットが一つずつ、わきだしていました。

「さあ、これは両チームに、なかよく一つずつだ。キリン・チームの主将、それからカンガルー・チームの主将、さあ取りに来たまえ。」

少年たちは見知らぬ人から、こんなにいろいろなものをもらって、いいのかしらと、顔見合わせて、ためらっていましたが、紳士のすすめかたがうまいので、両チームとも、このりっぱなミットを受けとってしまいました。

「おじさん、魔法博士ってほんとうかい。おじさんのうちはどこなの?」

天野勇一君がたずねますと、紳士は黒いマントのそでをはばたくように、ヒラヒラさせ、ほそい目をいっそうほそくして、またカラカラと笑いました。

「すぐそばだよ。ほら、ここからも見える、あの八幡さまの森の向こうに、煙突がヌッと出ている洋館さ。わしは一月ほどまえに、あすこへひっこして来たんだよ。」

その洋館なら、少年たちはよく知っていました。赤レンガの古い建物で、スレートぶきの急な屋根から、やはりレンガでできた四角な暖炉の煙突がそびえている。いまどき、どこにも見られないような、うすきみの悪い、へんなうちなのです。

「ヘエー、あの化けもの屋敷かい?」

だれかがとんきょうな声をたてました。

「ワハハハハハハハ、あのうちは、近所で化けもの屋敷という、うわさがたっていたそうだね。だが、化けものなんかより、魔法博士のほうがうわてだからね。化けものは逃げだしてしまったよ。へんなうわさがたってだれも借り手がないと聞いたので、わしが借りて、すっかり手をいれて、りっぱなうちにしてしまった。そのうち、きみたちを招待するからね、見にくるといい。」

「魔法の力で、空気の中から、いろいろなものを取りだして、かざりつけをしたのかい?」

だれかがそう言うと、少年たちのあいだに、ワッと笑い声がおこりました。紳士はマントのそでを、ヒラリとはばたかせて、手でそれを制しながら、

「イヤ、笑うことはない。きみはうまいことを言った。そのとおりだよ。魔法の力で、かざりつけをしたのさ。だから、わしはあのうちをふしぎの国と名づけた。きみたちは、『ふしぎの国のアリス』という西洋の童話を知っているだろう。つまり、あれとおなじふしぎの国が、あの洋館の中にあるのだよ。」

紳士はそう言って、またカラカラと笑いましたが、天野君は『ふしぎの国のアリス』を読んだことがあるので、いっそう、この魔法博士のうちが、見たくてたまらなくなりました。

黄金のように光るかみの毛、みょうな口ひげ、コウモリのような黒マント、そして、空気の中から、バットやミットを取りだして見せた、このふしぎな紳士、八幡さまの森の向こうに見えている、コケのはえた赤レンガの煙突、それだけでも、ここはふつうの世界ではなくて、いつのまにか、童話の国にかわっているのではないかと思われ、なんだか夢を見ているような気持ちになるのでした。

「ぼく、おじさんのうち見たいなあ。いつ見せてくれる?」

天野君は、思いきって、そうたずねてみました。すると、少年たちのあいだから、

「ぼくも。」

「ぼくも。」

「ぼくも。」と、ふしぎの国見学の希望者が、たくさんあらわれ、みんなで、紳士のまわりをとりまいてしまいました。

「よし、よし、諸君がそんなにわしの話を歓迎してくれたのは、光栄のいたりだな。だが、いまというわけにはいかない。きょうはまだ諸君とはじめてあったばかりだからね。もうすこし、おたがいに知りあってからにしよう。だいいち、諸君をだまってわしのうちにつれこんだりしては、きみたちのおとうさんやおかあさんに、しかられるからね。」

紳士はそう言いながら、右手で空中に大きく輪をえがいたかと思うと、いつのまにか、指のあいだに、スポンジ・ボールが一つ、わきだしていました。

それを少年たちのほうへ、ヒョイと投げておいて、また輪をえがく、またスポンジ・ボールが一つ、それをなん度もくりかえして、紳士はとうとう六つのボールを空中から取りだしました。

「さあ、なかよく、両チームで三つずつわけるんだよ。じゃあ、さようなら。また、あおうね。」

言いすてて、魔法博士の大コウモリのような姿はひじょうな早さで、スーッと遠ざかっていき、見るまに、八幡さまの森の中に消えてしまいました。

これが、ゆかいなほうの出来事でした。つぎには、きみの悪い、おそろしいほうの出来事をしるします。

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