Chapter 1 of 12

一 極端より極端に移る対支政策

我輩の東方平和論は、本誌に於ては今度を初めてとするが、前後を通じてこれで三度である。その第一回は今より約二十年前、ちょうど日清戦後列強の間に支那分割の形を現じた時であった。最初列強は支那を目するに眠獅を以てした。それは当時清朝の重臣曾紀沢の巴里に於ける演説に、自国を擬するに眠れる獅子を以てし、一たび覚醒せんか、支那はまた今日の支那に非ず、獅子一吼百獣震駭する底の猛威を振わん事を説いたためだ。即ち支那はあたかも盛んに西洋文明を採用して富国強兵の術を勉めた頃で、洋式の陸海軍を編成し、特に大沽砲台、旅順、威海衛の軍港を設くる等、その面目を一新するの概あり。この勢いを以て進まば、支那の将来侮るべからざるものがあった時とて、眠獅の一語は痛く列強の民心を刺激したものであった。然るに日清役起るや勝敗の結果は如何であったか。予期に反して支那は海陸共に連戦連敗であった。その頃支那の兵力は海陸共に我に優り、海軍に於ては当時すでに戦闘艦二隻を有していたが、日本にはその様なものなく、総噸数も甚だ少なかった。陸軍に於ても彼には李鴻章の部下に属し、洋式に訓練されて精鋭の聞えあった直隷軍をはじめとし、兵数は甚だ多く器機も最新のものを用いたが、我にはただ七個師団あり、それも今日とは違い、師団そのものの兵数も甚だ少ないのだから、実力は今日の想像よりも更に劣り、兵器もまた甚だ精良ならざるものであった。それ故欧米人の外情に通ずるものは皆等しく日本を危ぶんだ。日本国民は勇敢であるから、最初は勝つも知れぬが、最後の勝利は支那に帰するであろうと。かくの如きは独り日本に憎悪の念あるもののみならず、同情を有するものもまた同様の意見を抱いて憂えたのであった。然るに干戈一たび交えるや如何。支那は脆くも敗れて僅かに半歳を出でざるに、早くも李鴻章は馬関に派して和を請うに至った。これがかの有名なる馬関条約で、そして三国干渉の起ったのもこの時であった。

支那は国大に民衆も多い。また特にその歴代の史跡に徴するに、支那を苦しむるものは常に北方の蛮族である。そしてこの北方の蛮族がついに中原を席捲して国礎を定めたのが、即ちこの愛新覚羅朝である。この怖るべき韃靼族が一たび訓練を経て文明的に軍隊を組織したならば、如何なる優勢の大軍をも編成し得ると思った。これが抑々欧米列強の支那を買被ったゆえんであったが、それが日本の力に触れて忽ち薄弱なる実力の遺憾なく外面に暴露され、その買被りたる事が知るると同時に、極端より極端に走る彼等列強の見解は、支那を以てもはや土崩瓦解拾収すべからずと思った。日本が更に一指の力を加うれば一溜りもなく潰乱すると思った。それが抑々かの三国干渉の来った有力なる一因である。

支那すでに無力なりとすれば、次いで来るものは勢力範囲画定の問題である。この問題が当時盛んに起ったのであるが、我輩はこれを以て空想なりとして熱心に論難した。勢力範囲とは何ぞや。この語は阿弗利加分割の際に使われた語であるが、阿弗利加はもともと無人の地である。それ故列強が各々手に地図を案じ、何処から何処までが何処の勢力範囲だと定むる事も出来たが、支那はそれと全く事情を異にしている。四千年の歴史を有し、それに相応する四千年の文明を有し、且つほとんど欧州全土を相如く大なる土地を奄有し、四億万の人民が其処に棲息している処である。これを如何にして阿弗利加的に分割する事が出来よう。されども初めあまりに支那を買被った世界は、今度はその反動としてあまり支那を見縊った。即ち時事新報に早く支那分割図の現れたほどで、我が外交の当局者もまた分割的注文を提出した。けれども我輩はかくの如きは謬妄なり空想なりとしてあくまで反対した。支那分割を思う列強は自ら禍するものである。支那を亡ぼさんとするなら、まず支那国民を屠り尽すの覚悟が無ければならぬ。ところが果して屠り尽し得るか。やれるならやってみろ。その繁殖力の強い支那民族は如何にする。とても殺し尽せるものでない。百万人の支那民族を屠るには少なくも十万人の自国民を犠牲に供せなければならぬ。それをも忍んで攻め続くるか。支那国民を屠り尽さざる中に、攻撃軍たる欧州人がまず死に尽すであろう。その結果は如何と見るに、支那は依然として存在するに相違ないと、かかる意見を以て我等は当時盛んにそれに反対した。

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