Chapter 1 of 5

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白峰の麓

大下藤次郎

小島烏水氏は甲斐の白峰を世に紹介した率先者である。私は雑誌『山岳』によって烏水氏の白峰に関する記述を見、その山の空と相咬む波状の輪廓、朝日をうけては紅に、夕日に映えてはオレンジに、かつ暮刻々その色を変えてゆく純潔なる高峰の雪を想うて、いつかはその峰に近づいて、その威厳ある形、その麗美なる色彩を、わが画幀に捉うべく、絶えず機会をうかがっていた。

私が白峰連嶺を初めて見たのは、四十一年の秋、甲州山中湖に遊んだおりで、宿雨のようやく霽れたあした、湖を巡りて東の岸に立った時、地平線上、低く西北に連なる雪の山を見た。白峰! と思ったが、まだ疑いはある。ポケットから地図を出す、磁石を出す、そして初めて白峰! と叫んだ。今自分の立っているところからはよく見えぬ。私は岸を東へ東へと走った、やがて道は尽きた、崖と水とは相接して足がかりは僅かに数寸、私は辛うじてそこをも通った。岩を伝わった。樹根に縋った。こうして往けるだけ往った。そしてささやかなる平地に三脚を据えて、山中の湖に浮べる如きなつかしき白峰の一部を写したことがあった。

翌年の三月某日、これも雨後の朝、鎌倉にゆく途中、六郷鉄橋の辺から、再び玲瓏たる姿に接した。描きたい、描きたいという念は、いっそう深くなった。

白峰を写すには何処がよかろう、十重二十重山は深い。富士のように何処からも見えるというわけにはゆかぬ。地図を調べ人にもきいた。近く見るには西山峠、遠く見るには笹子峠、この二つが一番よいようである。私は五月某日、終に笹子に向った。

初鹿野で汽車を下りて、駅前の哀れな宿屋に二晩泊ったが、折あしく雨が続くのでそこを去った。そしてその夕、甲府を経て右左口にゆく途中で、乱雲の間から北岳の一角を見て胸の透くのを覚えた。

翌日は右左口峠を登りつつ、雲の間から連峰の一部をちらちら見た。峠の上では急いでスケッチもした。女阪峠を上る時も片鱗はいく度も見たが、全形を眺むることは出来なかった。

精進を過ぎ本栖を発足って駿甲の境なる割石峠の辺から白峰が見える。霞たつ暖い日で、山は空と溶け合うて、ややともすればその輪廓を見失うほど、杳かに、そして幽かなものであった。

甲州西山は、白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる、五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら、白峰は指呼の間に見えよう、信州徳本峠から穂高山を見るように、目睫の間にその鮮かな姿に接することが出来ないまでも、日野春から駒ヶ岳に対するほどの眺めはあろう。早川渓谷の秋も美しかろう。湯島の温泉も愉快であろう。西山へ、西山へ、画板に紙を貼る時も、新しく絵具を求むる時も、夜ごとの夢も、まだ見ぬ西山の景色や白峰の雪に想いを馳せていた。

東京を発足ったのは十一月一日、少し霧のある朝で、西の空には月が懸っていた。中野あたりの麦畑が霞んで、松二、三本、それを透して富士がボーっと夢のよう、何というやさしい景色だろうと、飽かず眺めつつ過ぎた。小仏、与瀬、猿橋、大月と、このあたりの紅葉はまだ少し早いが、いつもはつまらぬところでも捨てがたい趣きを見せていた。

長いトンネルを出ると初鹿野、ここから塩山までの間に白峰は見えるはずだ。席を左に移して窓際に身をピッタリ。

果然、雪の白峰連嶺は、飽くまで蒼い空に、クッキリとその全身を露わしている。水の垂れそうな秋の空、凍ったような純白の雪、この崇高な山の威霊にうたれて、私は思わず戦慄した。袂にスケッチブックのあることを忘れた。もう西山までゆかなくともよいと思った。

雪の山はトンネルのために、幾度となく隠れ、また現われた。その度ごとに、私は曇ったガラスを拭いて、瞬時でも見逃がすまいと眸を凝らした。三度五度、ついには全くその姿を失うて、車は大なるカーブを画き、南の方無格恰な富士の頂を見た時、夢から醒めたような思いがした。そしてこの時ほど富士山を醜く見たことはない。

十二時半に甲府に着いて、すぐ鉄道馬車の客となった。今にも毀れそうな馬車だ。馬は車に馴れず、動かじと佇むかと思うと、また俄かに走り出す。車の右は西山一帯の丘陵で、その高低参差たる間から、時々白い山が見える。南湖の手前で少しく川に沿うて堤の上をゆく。咲き残りの月見草が侘しげに風に動いている。柳は錆びた色をしてこれも風に靡いている。ちょっと景色のよいところだと思うた。

青柳という町を過ぎる。近きにお祭があるというので、軒提灯を吊して美しく飾っていた。

形面白き柳の巨木の、水に臨んで、幾株か並んでいる広い河原、そこに架けたる手摺なき長い橋を渡ると鰍沢の町だ。私は右側の粉奈屋という旅店に投じた。丁度三時半。

二階から富士が見える。やはり形が悪い。富士の美しいのは裾野が展いているからだ。裾を隠して頂だけでは、尖端鋭き金峰山などの方が遥かに美しい。富士は頭を隠してもよい、裾野は隠れてはいけない。

宿の背後はすぐ山で、社やら寺やら、高地に建物が見え、樹が繁っている。紅葉の色もよい、山上の見晴しもよかろう。

番頭に明日西山行の人夫を頼む。女中のお竹さん、西山の景勝を説くこと極めて詳、ただし湯島近所から雪の山が見えるとはいわないので、少しく心許なく思う。

隣家の素人義太夫をききながら夢に入る。

翌朝五時半には、私どもは粉奈屋を発った。空は薄く曇っているが、月があるので明るい。新しい草鞋に、少しく湿った土を踏んでゆく心持はよい。細い流れに沿うてゆく、鼠色の柳が水を覗いている、道は少しずつの上りで沢を渡り田の畔を通る、朝仕事にゆく馬を曳いた男にも逢う、稲を刈りにゆく赤い帯をした女にも逢う、空は漸く明るくなって時々日の目をもらす。

往手にあたって黒い大きな門が見える。刈ったばかりの稲束が、五つ六つ柱によせかけてある、人夫は「これが小室の妙法寺で、本堂は一、二年前に焼けました、立派なお堂だったが惜しいことをした」という。門へ入る、両側に人家がある、宿屋もある、犬が連りに吠える。

山門を潜ったが、奥にはゆかず、道を左に取って山田の畦をゆく。家の形も面白く、森や林の姿もよい、四、五日の材料はあろうと思った。

道は漸く急になる。右に左にうねりつつ登る。上には松に吹く風の音、下にはカサコソと落葉を踏む音、それのみで天地は極めて静である。空は次第に晴れて来て、ジリジリと背を照らす日は暑い。汗で身体は濡れる。外套を取って人夫に持たせる。上衣を脱いで自分で持つ。峠の曲り角では必ず休む。

かなり高く登った。振向いて見ると、富士はいつの間にか姿を出している。甲府盆地で見た時とは違って雄大の感がある。麓の方一条の白い河原は、富士川で、淡く煙りの立つあたりは鰍沢だと人夫は指す。

道の傍に小さな池がある、七面の池という、枯蘆が茂った中に濁った水が少し見える。このあたりは落葉松の林で、葉は僅かに色づいて、ハラハラと地に落ちる。暗い緑の苔と、そして細かき落葉で地は見えない、その上を歩むと、軽く弾かれるようでしっとりした感じが爪先から腹にまでも伝わって来るようだ。

池を離れてからは、短い雑木や芒の山で、日を遮るものがなく、暑さは前にも増して烈しい。人夫の間違で、草刈道を三、四丁迷い込んで跡へ戻った時は、少々忌々しかった。ところどころ樅の大木がある。富士はいよいよ高くいよいよ大きく見える。

鰍沢から歩むこと三時間半、道程三里にしてデッチョーの茶屋というに着いた。峠の頂上で、出頂とか絶頂とか書くのであろう。茶屋は少し山蔭の平地に在って、ただ一軒の穢ない小屋にすぎない、家の前には、近所の山から採って来た雑木が盆栽的に並んでいる。真暗な家の中には、夫婦に小供二、三人住んでいる。この子たちはどうして学校へゆくのだろうと気になる。暗い中に曲物が沢山ある。粟で飴を造って土産に売るのだそうな。握飯を一つ片づけ、渋茶をすすって暫くここに休む。

茶屋から先は下り一方ではあるが、久しく歩行かぬためか、足の運びが鈍い、爪先が痛む、コムラが痛む、膝節がいたむ、腿がいたむ、終には腰までも痛む、今からこんなことではと気を鼓しつつ進む。

道は山の裾に沿うて、たえず左に暗い谷を見ながらゆく。掩い冠さるように枝を延している紅葉の色の美しさは、比ぶるにものがない。前には常盤木の繁れる源氏山が聳えている。後の方は今来た道を、遠く富士が頂きを見せている。源氏山の中腹を過ぎると、早川に沿うた連嶺が眼前に展開され、杳かに水の音がきこえる。細い白樺もチラホラ見える。草山の出鼻を曲ると、やや曇った西の空に、蝙蝠傘を展げたような雪の山が現われた。

待ち焦れた雪の山、私の足は地から生えたように動かなくなった。前には華やかな色の樺の若木が五、六本、後には暖い鼠色をした早川連嶺が、二重三重と輪廓を画く、その上から顔を出している雪の峰、白峰! 白峰!

人夫はその名を知らなかった。地図も見たがあまりに南へ寄っているので北岳ではない。農鳥でもない、大井川を超えて赤石が見えるのかとも思った。後に聞いたら赤石山系の悪沢岳であった。

私どものゆく道は新道で、旧道七曲峠の方からは白峰もかなりよく見えるという。それを楽しみに歩を運んだ。急坂を下ると河原に出る。橋を渡ってまた水を遥かの下に見て、曲り曲りて北を指してゆく。

渓の水音が遥かにきこえる。対岸に幾棟かの藁屋根が見える。そこは上湯島だという。長い釣橋が一直線に見える。椏や山桐や桑や、人の植えた木が道に沿うてチラホラ見える。焼畑には哀れな粟や豆が作られてある、村人が三三五五それらの穀物を刈っている。豆がらを焼く煙が紫に立ち昇って、鼠色の空にうすれてゆく。

「もう一里ほどです」と人夫はいう。道は細く、山から辷り落ちた角のある石の片けが、土を見せない。急な下り道では、足は石車に乗って、心ならずも数間を走らねばならぬ。人夫の背負うていた私の写生箱は、いつか細引の縛めを逃れて、カラカラと左の渓へ落ちた。ハッと思って下を覗くと、幸いに十数間の下で樹の根に遮れて止まっている。崖は傾斜が急で下りられない。大迂回をして漸く拾い上げたが、一時は吾事終れりと悲観したのであった。

川に近く下って、右に曲ると、上り坂だ。湯川の水の音は耳を聾するようである。見上げると三階建の大きな家がある、右の崖の上にも新しい家が見える。前なるは古湯で後なるは新湯、私は新湯の玄関に荷物を下させた。

紺の裾短かな着物を着た若い女中が出て来た。黒光りの長い縁側を通って、初めに見た新しい二階の一室に入る、天井の低い、壁のない、畳の凸凹な、極めて粗末な部屋だが、新しいので我慢も出来よう。主人はやって来て「小島サンもこの室に御泊でした、この夏山岳会の大勢の御方の時は、ここと隣りの部屋とにおられました」と語る。親しい友の、幾夜さかを過した座敷かと思うと何となく懐かしい。

着いた時に、パッと明るく障子に射していた午後二時の日の光は、三十分もたたぬうちに前の山に隠れてしまった。いまはまだ一日に一時間位い、この谷に日は照らすが、冬になると全く日の目を見ないそうだ。さぞ寒かろうと思う。

浴衣を貸してくれる、珍しくも裾は踵まである、人並より背の高い私は、貸浴衣の丈は膝までにきまったものと、今まで思っていたのだ。

浴槽は入口の近くにあって、五、六坪もあろう、中を二つに仕切ってあって、湯は中央のあたりに、竹樋から滔々と落ちている。玉を溶かしたように美しいが、少し微温いので、いつまでも漬っていなくてはならない。流し場もなければ桶一つない、あたりに水もない殺風景なものだ。湯は温微でも風邪にはかからぬと宿の人は保証する、風邪のときも湯に入ると治りますという、近在から来ている二、三の湯治客は、幾度も幾度も湯に入り、いつまでもいつまでも湯の中にいるのである。

長火鉢、これはこの火鉢が出来て以来、中の灰は掃除したことがあるまい。きっとないと請合える位いの穢なさだが、火も炭も惜気もなく沢山持って来られるのは、肌寒き秋の旅には嬉しいものの一つである。宿から出してくれた凍りがけの茶受には手は出ない。持参の「ココア」を一杯飲んで、湯上りの身体を横たえた時はよい心持だった。

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