Chapter 1 of 6

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藍色の蟇

大手拓次

藍色の蟇

森の宝庫の寝間に

藍色の蟇は黄色い息をはいて

陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。

太陽の隠し子のやうにひよわの少年は

美しい葡萄のやうな眼をもつて、

行くよ、行くよ、いさましげに、

空想の猟人はやはらかいカンガルウの編靴に。

陶器の鴉

陶器製のあをい鴉、

なめらかな母韻をつつんでおそひくるあをがらす、

うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。

嘴の大きい、眼のおほきい、わるだくみのありさうな青鴉、

この日和のしづかさを食べろ。

しなびた船

海がある、

お前の手のひらの海がある。

苺の実の汁を吸ひながら、

わたしはよろける。

わたしはお前の手のなかへ捲きこまれる。

逼塞した息はお腹の上へ墓標をたてようとする。

灰色の謀叛よ、お前の魂を火皿の心にささげて、

清浄に、安らかに伝道のために死なうではないか。

黄金の闇

南がふいて

鳩の胸が光りにふるへ、

わたしの頭は醸された酒のやうに黴の花をはねのける。

赤い護謨のやうにおびえる唇が

力なげに、けれど親しげに内輪な歩みぶりをほのめかす。

わたしは今、反省と悔悟の闇に

あまくこぼれおちる情趣を抱きしめる。

白い羽根蒲団の上に、

産み月の黄金の闇は

悩みをふくんでゐる。

槍の野辺

うす紅い昼の衣裳をきて、お前といふ異国の夢がしとやかにわたしの胸をめぐる。

執拗な陰気な顔をしてる愚かな乳母は

うつとりと見惚れて、くやしいけれど言葉も出ない。

古い香木のもえる煙のやうにたちのぼる

この紛乱した人間の隠遁性と何物をも恐れない暴逆な復讐心とが、

温和な春の日の箱車のなかに狎れ親しんで

ちやうど麝香猫と褐色の栗鼠とのやうにいがみあふ。

をりをりは麗しくきらめく白い歯の争闘に倦怠の世は旋風の壁模様に眺め入る。

鳥の毛の鞭

尼僧のおとづれてくるやうに思はれて、なんとも言ひやうのない寂しさ いらだたしさに張りもなくだらける。

嫉妬よ、嫉妬よ、

やはらかい濡葉のしたをこごみがちに迷つて、

鳥の毛の古甕色の悲しい鞭にうたれる。

お前はやさしい悩みを生む花嫁、

わたしはお前のつつましやかな姿にほれる。

花嫁よ、けむりのやうにふくらむ花嫁よ、

わたしはお前の手にもたれてゆかう。

撒水車の小僧たち

お前は撒水車をひく小僧たち、

川ぞひのひろい市街を悠長にかけめぐる。

紅や緑や光のある色はみんなおほひかくされ、

Silence と廃滅の水色の色の行者のみがうろつく。

これがわたしの隠しやうもない生活の姿だ。

ああわたしの果てもない寂寥を

街のかなたこなたに撒きちらせ、撒きちらせ。

撒水車の小僧たち、

あはい予言の日和が生れるより先に、

つきせないわたしの寂寥をまきちらせまきちらせ。

海のやうにわきでるわたしの寂寥をまきちらせ。

羊皮をきた召使

お前は羊皮をきた召使だ。

くさつた思想をもちはこぶおとなしい召使だ。

お前は紅い羊皮をきたつつましい召使だ。

あの ふるい手なれた鎔炉のそばに

お前はいつも生生した眼で待つてゐる。

ほんたうにお前は気の毒なほど新らしい無智を食べてゐる。

やはらかい羊の皮のきものをきて

すずしい眼で御用をきいてゐる。

すこしはなまけてもいいよ、

すこしはあそんでもいいよ、

夜になつたらお前自身の考をゆるしてやる。

ぬけ羽のことさへわすれた老鳥が

お前のあたまのうへにびつこをひいてゐる。

のびてゆく不具

わたしはなんにもしらない。

ただぼんやりとすわつてゐる。

さうして、わたしのあたまが香のけむりのくゆるやうにわらわらとみだれてゐる。

あたまはじぶんから

あはうのやうにすべての物音に負かされてゐる。

かびのはえたやうなしめつぽい木霊が

はりあひもなくはねかへつてゐる。

のぞみのない不具めが

もうおれひとりといはぬばかりに

あたらしい生活のあとを食ひあらしてゆく。

わたしはかうしてまいにちまいにち、

ふるい灰塚のなかへうもれてゐる。

神さまもみえない、

ふるへながら、のろのろしてゐる死をぬつたり消しぬつたり消ししてゐる。

やけた鍵

だまつてゐてくれ、

おまへにこんなことをお願ひするのは面目ないんだ。

この焼けてさびた鍵をそつともつてゆき、

うぐひす色のしなやかな紙鑢にかけて、

それからおまへの使ひなれた青砥のうへにきずのつかないやうにおいてくれ。

べつに多分のねがひはない。

ね、さうやつてやけあとがきれいになほつたら、

またわたしの手へかへしてくれ、

それのもどるのを専念に待つてゐるのだから。

季節のすすむのがはやいので、

ついそのままにわすれてゐた。

としつきに焦げたこのちひさな鍵も

またつかひみちがわかるだらう。

美の遊行者

そのむかし、わたしの心にさわいだ野獣の嵐が、

初夏の日にひややかによみがへつてきた。

すべての空想のあたらしい核をもとめようとして

南洋のながい髪をたれた女鳥のやうに、

いたましいほどに狂ひみだれたそのときの一途の心が

いまもまた、このおだやかな遊惰の日に法服をきた昔の知り人のやうにやつてきた。

なんといふあてもない寂しさだらう。

白磁の皿にもられたこのみのやうに人を魅する冷たい哀愁がながれでる。

わたしはまことに美の遊行者であつた。

苗床のなかにめぐむ憂ひの芽望みの芽、

わたしのゆくみちには常にかなしい雨がふる。

ものはものを呼んでよろこび、

さみしい秋の黄色い葉はひろい大様な胸にねむる。

風もあるし、旅人もあるし、

しづんでゆく若い心はほのかな化粧づかれに遠い国をおもふ。

ちひさな傷のあるわたしの手は

よろけながらに白い狼をおひかける。

ああ 秋よ、

秋はつめたい霧の火をまきちらす。

つんぼの犬

だまつて聴いてゐる、

あけはなした恐ろしい話を。

むくむくと太古を夢見てる犬よ、

顔をあげて流れさる潮の

はなやかな色にみとれてるのか。

お前の後足のほとりには、いつも

ミモザの花のにほひが漂うてゐる。

野の羊へ

野をひそひそとあゆんでゆく羊の群よ、

やさしげに湖上の夕月を眺めて

嘆息をもらすのは、

なんといふ瞑合をわたしの心にもつてくるだらう。

紫の角を持つた羊のむれ、

跳ねよ、跳ねよ、

夕月はめぐみをこぼす……

わたし達すてられた魂のうへに。

威嚇者

わたしの威嚇者がおどろいてゐる梢の上から見おろして、

いまにもその妙に曲つた固い黒い爪で

冥府から来た響の声援によりながら

必勝を期してわたしの魂へついてゐるだらう。

わたしはもう、それを恐れたり、おびえたりする余裕がない。

わたしは朦朧として無限とつらなつてゐるばかりで、

苦痛も慟哭も、哀れな世の不運も、拠りどころない風の苦痛にすぎなくなつた。

わたしは、もう永遠の存在の端へむすびつけられたのだ。

わたしの生活の盛りは、空気をこえ、

万象をこえ、水色の奥秘へひびく時である。

憂はわたしを護る

憂はわたしをまもる。

のびやかに此心がをどつてゆくときでも、

また限りない瞑想の朽廃へおちいるときでも、

きつと わたしの憂はわたしの弱い身体を中庸の微韻のうちに保つ。

ああ お前よ、鳩の毛並のやうにやさしくふるへる憂よ、

さあ お前の好きな五月がきた。

たんぽぽの実のしろくはじけてとぶ五月がきた。

お前は この光のなかに悲しげに浴みして

世界のすべてを包む恋を探せ。

河原の沙のなかから

河原の沙のなかから

夕映の花のなかへ むつくりとした円いものがうかびあがる。

それは貝でもない、また魚でもない、

胴からはなれて生きるわたしの首の幻だ。

わたしの首はたいへん年をとつて

ぶらぶらとらちもない独りあるきがしたいのだらう。

やさしくそれを看とりしてやるものもない。

わたしの首は たうとう風に追はれて、月見草のくさむらへまぎれこんだ。

仮面の上の草

そこをどいてゆけ。

あかい肉色の仮面のうへに生えた雑草は

びよびよとしてあちらのはうへなびいてゐる。

毒鳥の嘴にほじられ、

髪をながくのばした怪異の托僧は こつねんとして姿をあらはした。

ぐるぐると身をうねらせる忍辱は

黒いながい舌をだして身ぶるひをする。

季節よ、人間よ、

おまへたちは横にたふれろ、

あやしい火はばうばうともえて、わたしの進路にたちふさがる。

そこをどいてゆけ、

わたしは神のしろい手をもとめるのだ。

香炉の秋

むらがる鳥よ、

むらがる木の葉よ、

ふかく、こんとんと冥護の谷底へおちる。

あたまをあげよ、

さやさやとかける秋は いましも伸びてきて、

おとろへた人人のために

音をうつやうな香炉をたく。

ああ 凋滅のまへにさきだつこゑは

無窮の美をおびて境界をこえ、

白い木馬にまたがつてこともなくゆきすぎる。

創造の草笛

あなたはしづかにわたしのまはりをとりまいてゐる。

わたしが くらい底のない闇につきおとされて、

くるしさにもがくとき、

あなたのひかりがきらきらとかがやく。

わたしの手をひきだしてくれるものは、

あなたの心のながれよりほかにはない。

朝露のやうにすずしい言葉をうむものは、

あなたの身ぶりよりほかにはない。

あなたは、いつもいつもあたらしい創造の草笛である。

水のおもてをかける草笛よ、

また とほくのはうへにげてゆく草笛よ、

しづかにかなしくうたつてくれ。

球形の鬼

あつまるものをよせあつめ、

ぐわうぐわうと鳴るひとつの箱のなかに、

やうやく眼をあきかけた此世の鬼は

うすいあま皮に包まれたままでわづかに息をふいてゐる。

香具をもたらしてゆく虚妄の妖艶、

さんさんと鳴る銀と白蝋の燈架のうへのいのちは、

ひとしく手をたたいて消えんことをのぞんでゐる。

みよ、みよ、

世界をおしかくす赤いふくらんだ大足は

夕焼のごとく影をあらはさうとする。

ああ、力と闇とに満ちた球形の鬼よ、

その鳴りひびく胎期の長くあれ、長くあれ。

ふくろふの笛

とびちがふ とびちがふ暗闇のぬけ羽の手、

その手は丘をひきよせてみだれる。

そしてまた 死の輪飾りを

薔薇のつぼみのやうなお前のやはらかい肩へおくるだらう。

おききなさい、

今も今とて ふくろふの笛は足ずりをして

あをいけむりのなかにうなだれるお前のからだを

とほくへ とほくへと追ひのける。

くちなし色の車

つらなつてくる車のあとに また車がある。

あをい背旗をたてならべ、

どこへゆくのやら若い人たちがくるではないか、

しやりしやりと鳴るあらつちのうへを

うれひにのべられた小砂利のうへを

笑顔しながら羽ぶるひをする人たちがゆく。

さうして、くちなし色の車のかずが

河豚のやうな闇のなかにのまれた。

春のかなしみ

かなしみよ、

なんともいへない 深いふかい春のかなしみよ、

やせほそつた幹に春はたうとうふうはりした生きもののかなしみをつけた。

のたりのたりした海原のはてしないとほくの方へゆくやうに

ああ このとめどもない悔恨のかなしみよ、

温室のなかに長いもすそをひく草のやうに

かなしみはよわよわしい頼り気をなびかしてゐる。

空想の階段にうかぶ鳩の足どりに

かなしみはだんだんに虚無の宮殿にちかよつてゆく。

輝く城のなかへ

みなとを出る船は黄色い帆をあげて去つた。

嘴は木の葉の群をささやいて

海の鳥はけむりを焚いてゐる。

磯辺の草は亡霊の影をそだてて、

わきかへるうしほのなかへわたしは身をなげる。

わたしの身にからまる魚のうろこをぬいで、

泥土に輝く城のなかへ。

銀の足鐶

――死人の家をよみて――

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