Chapter 1 of 21

序篇 降矢木一族釈義

聖アレキセイ寺院の殺人事件に法水が解決を公表しなかったので、そろそろ迷宮入りの噂が立ちはじめた十日目のこと、その日から捜査関係の主脳部は、ラザレフ殺害者の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿としていて、臼杵耶蘇会神学林以来の神聖家族と云われる降矢木の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨が始まったからであった。その、通称黒死館と呼ばれる降矢木の館には、いつか必ずこういう不思議な恐怖が起らずにはいまいと噂されていた。勿論そういう臆測を生むについては、ボスフォラス以東にただ一つしかないと云われる降矢木家の建物が、明らかに重大な理由の一つとなっているのだった。その豪壮を極めたケルト・ルネサンス式の城館を見慣れた今日でさえも、尖塔や櫓楼の量線からくる奇異な感覚――まるでマッケイの古めかしい地理本の插画でも見るような感じは、いつになっても変らないのである。けれども、明治十八年建設当初に、河鍋暁斎や落合芳幾をしてこの館の点睛に竜宮の乙姫を描かせたほどの綺びやかな眩惑は、その後星の移るとともに薄らいでしまった。今日では、建物も人も、そういう幼稚な空想の断片ではなくなっているのだ。ちょうど天然の変色が、荒れ寂びれた斑を作りながら石面を蝕んでゆくように、いつとはなく、この館を包みはじめた狭霧のようなものがあった。そうして、やがては館全体を朧気な秘密の塊としか見せなくなったのであるが、その妖気のようなものと云うのは、実を云うと、館の内部に積り重なっていった謎の数々にあったので、勿論あのプロヴァンス城壁を模したと云われる、周囲の壁廓ではなかったのだ。事実、建設以来三度にわたって、怪奇な死の連鎖を思わせる動機不明の変死事件があり、それに加えて、当主旗太郎以外の家族の中に、門外不出の弦楽四重奏団を形成している四人の異国人がいて、その人達が、揺籃の頃から四十年もの永い間、館から外へは一歩も出ずにいると云ったら……、そういう伝え聞きの尾に鰭が附いて、それが黒死館の本体の前で、鉛色をした蒸気の壁のように立ちはだかってしまうのだった。まったく、人も建物も腐朽しきっていて、それが大きな癌のような形で覗かれたのかもしれない。それであるからして、そういった史学上珍重すべき家系を、遺伝学の見地から見たとすれば、あるいは奇妙な形をした蕈のように見えもするだろうし、また、故人降矢木算哲博士の神秘的な性格から推して、現在の異様な家族関係を考えると、今度は不気味な廃寺のようにも思われてくるのだった。勿論それ等のどの一つも、臆測が生んだ幻視にすぎないのであろうが、その中にただ一つだけ、今にも秘密の調和を破るものがありそうな、妙に不安定な空気のあることだけは確かだった。その悪疫のような空気は、明治三十五年に第二の変死事件が起った折から萌しはじめたもので、それが、十月ほど前に算哲博士が奇怪な自殺を遂げてからというものは――後継者旗太郎が十七の年少なのと、また一つには支柱を失ったという観念も手伝ったのであろう――いっそう大きな亀裂になったかのように思われてきた。そして、もし人間の心の中に悪魔が住んでいるものだとしたら、その亀裂の中から、残った人達を犯罪の底に引き摺り込んででもゆきそうな――思いもつかぬ自壊作用が起りそうな怖れを、世の人達はしだいに濃く感じはじめてきた。けれども、予測に反して、降矢木一族の表面には沼気ほどの泡一つ立たなかったのだが、恐らくそれと云うのも、その瘴気のような空気が、未だ飽和点に達しなかったからであろうか。否、その時すでに水底では、静穏な水面とは反対に、暗黒の地下流に注ぐ大きな瀑布が始まっていたのだ。そして、その間に鬱積していったものが、突如凄じく吹きしく嵐と化して、聖家族の一人一人に血行を停めてゆこうとした。しかも、その事件には驚くべき深さと神秘とがあって、法水麟太郎はそれがために、狡智きわまる犯人以外にも、すでに生存の世界から去っている人々とも闘わねばならなかったのである。ところで、事件の開幕に当って、筆者は法水の手許に集められている、黒死館についての驚くべき調査資料のことを記さねばならない。それは、中世楽器や福音書写本、それに古代時計に関する彼の偏奇な趣味が端緒となったものであるが、その――恐らく外部からは手を尽し得る限りと思われる集成には、検事が思わず嘆声を発し、唖然となったのも無理ではなかった。しかも、その痩身的な努力をみても、すでに法水自身が、水底の轟に耳を傾けていた一人だったことは、明らかであると思う。

その日――一月二十八日の朝。生来あまり健康でない法水は、あの霙の払暁に起った事件の疲労から、全然恢復するまでになっていなかった。それなので、訪れた支倉検事から殺人という話を聴くと、ああまたか――という風な厭な顔をしたが、

「ところが法水君、それが降矢木家なんだよ。しかも、第一提琴奏者のグレーテ・ダンネベルグ夫人が毒殺されたのだ」と云った後の、検事の瞳に映った法水の顔には、にわかにまんざらでもなさそうな輝きが現われていた。しかし、法水はそう聴くと不意に立って書斎に入ったが、間もなく一抱えの書物を運んで来て、どかっと尻を据えた。

「ゆっくりしようよ支倉君、あの日本で一番不思議な一族に殺人事件が起ったのだとしたら、どうせ一、二時間は、予備智識に費るものと思わなけりゃならんよ。だいたい、いつぞやのケンネル殺人事件――あれでは、支那古代陶器が単なる装飾物にすぎなかった。ところが今度は、算哲博士が死蔵している、カロリング朝以来の工芸品だ。その中に、あるいはボルジアの壺がないとは云われまい。しかし、福音書の写本などは一見して判るものじゃないから……」と云って、「一四一四年聖ガル寺発掘記」の他二冊を脇に取り除け、綸子と尚武革を斜めに貼り混ぜた美々しい装幀の一冊を突き出すと、

「紋章学」と検事は呆れたように叫んだ。

「ウン、寺門義道の『紋章学秘録』さ。もう稀覯本になっているんだがね。ところで君は、こういう奇妙な紋章を今まで見たことがあるだろうか」と法水が指先で突いたのは、FRCOの四字を、二十八葉橄欖冠で包んである不思議な図案だった。

「これが、天正遣欧使の一人――千々石清左衛門直員から始まっている、降矢木家の紋章なんだよ。何故、豊後王普蘭師司怙・休庵(大友宗麟)の花押を中にして、それを、フィレンツェ大公国の市表章旗の一部が包んでいるのだろう。とにかく下の註釈を読んで見給え」

――「クラウディオ・アクワヴィバ(耶蘇会会長)回想録」中の、ドン・ミカエル(千々石のこと)よりジェンナロ・コルバルタ(ヴェニスの玻璃工)に送れる文。(前略)その日バタリア僧院の神父ヴェレリオは余を聖餐式に招きたれど、姿を現わさざれば不審に思いいたる折柄、扉を排して丈高き騎士現われたり、見るに、バロッサ寺領騎士の印章を佩け、雷の如き眼をりて云う。フランチェスコ大公妃ビアンカ・カペルロ殿は、ピサ・メディチ家において貴下の胤を秘かに生めり。その女児に黒奴の乳母をつけ、刈込垣の外に待たせ置きたれば受け取られよ――と。余は、駭けるも心中覚えある事なれば、その旨を承じて騎士を去らしむ。それより悔改をなし、贖罪符をうけて僧院を去れるも、帰途船中黒奴はゴアにて死し、嬰児はすぐせと名付けて降矢木の家を創しぬ。されど帰国後吾が心には妄想散乱し、天主、吾れを責むる誘惑の障礙を滅し給えりとも覚えず。(以下略)

「つまり、降矢木の血系が、カテリナ・ディ・メディチの隠し子と云われるビアンカ・カペルロから始まっていると云うことなんだが、その母子がそろって、怖ろしい惨虐性犯罪者ときている。カテリナは有名な近親殺害者で、おまけに聖バルテルミー斎日の虐殺を指導した発頭人なんだし、また娘の方は、毒のルクレチア・ボルジアから百年後に出現し、これは長剣の暗殺者と謳われたものだ。ところが、その十三世目になると、算哲という異様な人物が現われたのだよ」と法水は、さらにその本の末尾に挾んである、一葉の写真と外紙の切抜を取り出したが、検事は何度も時計を出し入れしながら、

「おかげで、天正遣欧使の事は大分明るくなったがね。しかし、四百年後に起った殺人事件と祖先の血との間に、いったいどういう関係があるのだね。なるほど不道徳という点では、史学も、法医学や遺伝学と共通してはいるが……」

「なるほど、とかく法律家は、詩に箇条を附けたがるからね」と法水は検事の皮肉に苦笑したが、「だが、例証がないこともないさ。シャルコーの随想の中には、ケルンで、兄が弟に祖先は悪竜を退治した聖ゲオルクだと戯談を云ったばかりに、尼僧の蔭口をきいた下女をその弟が殺してしまった――という記録が載っている。また、フィリップ三世が巴里中の癩患者を焚殺したという事蹟を聞いて、六代後の落魄したベルトランが、今度は花柳病者に同じ事をやろうとしたそうだ。それを、血系意識から起る帝王性妄想と、シャルコーが定義をつけているんだよ」と云って、眼で眼前のものを見よとばかりに、検事を促した。

写真は、自殺記事に插入されたものらしい算哲博士で、胸衣の一番下の釦を隠すほどに長い白髯を垂れ、魂の苦患が心の底で燃え燻っているかのような、憂鬱そうな顔付の老人であるが、検事の視線は、最初からもう一枚の外紙の方に奪われていた。それは、一八七二年六月四日発行の「マンチェスター郵報」紙で、日本医学生聖リューク療養所より追放さる――という標題の下に、ヨーク駐在員発の小記事にすぎなかった。が、内容には、思わず眼を瞠らしむるものがあった。

――ブラウンシュワイク普通医学校より受託の日本医学生降矢木鯉吉(算哲の前名)は、予てよりリチャード・バートン輩と交わりて注目を惹ける折柄、エクセター教区監督を誹謗し、目下狂否の論争中なる、法術士ロナルド・クインシイと懇ろにせしため、本日原籍校に差し戻されたり。然るに、クインシイは不審にも巨額の金貨を所持し、それを追及されたる結果、彼の秘蔵に係わる、ブーレ手写のウイチグス呪法典、ルデマール一世触療呪文集、希伯来語手写本猶太秘釈義法(神秘数理術としてノタリク、テムラの諸法を含む)、ヘンリー・クラムメルの神霊手書法、編者不明の拉典語手写本加勒底亜五芒星招妖術、並びに栄光の手(絞首人の掌を酢漬けにして乾燥したもの)を、降矢木に譲り渡したる旨を告白せり。

読み終った検事に、法水は亢奮した口調を投げた。

「すると、僕だけということになるね。これを手に入れたばかりに、算哲博士と古代呪法との因縁を知っているのは。いや、真実怖ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」

「そりゃまた何故だい。魔法本と降矢木にいったい何が?」

「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術で、今日の正確科学を、呪詛と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜・希臘の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。また、猶太秘釈義法からは、四百二十の暗号がつくれると云うけれども、それ以外のものはいわゆる純正呪術であって、荒唐無稽もきわまった代物ばかりなんだ。だから支倉君、僕等が真実怖れていいのは、ウイチグス呪法典一つのみと云っていいのさ」

はたして、この予測は後段に事実となって現われたけれども、その時はまだ、検事の神経に深く触れたものはなく、法水が着換えに隣室へ立ったあいだ次の一冊を取り上げ、折った個所のある頁を開いた。それは、明治十九年二月九日発行の東京新誌第四一三号で、「当世零保久礼博士」と題した田島象二(酔多道士――「花柳事情」などの著者)の戯文だった。

――扨もこの度転沛逆手行、聞いてもくんねえ(と定句十数列の後に、次の漢文が插入されている)近来大山街道に見物客を引くは、神奈川県高座郡葭苅の在に、竜宮の如き西洋城廓出現せるがためなり。そは長崎の大分限降矢木鯉吉の建造に係るものにして、いざその由来を説かん。先に鯉吉は、小島郷療養所において和蘭軍医メールデルホールトの指導をうけ、明治三年一家東京に移るや、渡独して、まずブラウンシュワイク普通医学校に学べり、その後伯林大学に転じて、研鑽八ヶ年の後二つの学位をうけ、本年初頭帰朝の予定となりしも、それに先きだち、二年前英人技師クロード・ディグスビイを派遣して、既記の地に本邦未曾有とも云う大西洋建築を起工せり。と云うは一つに、彼地にて娶りし仏蘭西ブザンソンの人、テレーズ・シニヨレに餞ける引手箱なりと云う。すなわち、地域はサヴルーズ谷を模し、本館はテレーズの生家トレヴィーユ荘の城館を写し、もって懐郷の念を絶たんがためなりとぞ。さるにしても、このほど帰国の船中蘭貢において、テレーズが再帰熱にて死去したるは哀れとも云うべく、また、皮肉家大鳥文学博士がこの館を指し、中世堡楼の屋根までも剥いで黒死病死者を詰め込みしと伝えらるる、プロヴィンシア繞壁模倣を種に、黒死館と嘲りしこそ可笑しと云うべし――。

検事が読み終った時、法水は外出着に着換えて再び現われた。が、またも椅子深く腰を埋めて、折から執拗に鳴り続ける、電話の鈴に眉を顰めた。

「あれはたぶん熊城の督促だろうがね。死体は逃げっこないのだから、まずゆっくりするとしてだ。そこで、その後に起った三つの変死事件と、いまだに解し難い謎とされている算哲博士の行状を、君に話すとしよう。帰国後の算哲博士は、日本の大学からも神経病学と薬理学とで二つの学位をうけたのだが、教授生活には入らず、黙々として隠遁的な独身生活を始めたものだ。ここで、僕等が何より注目しなければならないのは、博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか、明治二十三年には、わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で、つまり、ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ。そうして、自分は寛永寺裏に邸宅を構えて、黒死館には弟の伝次郎夫妻を住わせたのだが、その後の博士は、自殺するまでの四十余年をほとんど無風のうちに過したと云ってよかった。著述ですらが、「テュードル家黴毒並びに犯罪に関する考察」一篇のみで、学界における存在と云ったら、まずその全部が、あの有名な八木沢医学博士との論争に尽きると云っても過言ではないだろう。それはこうなのだ。明治二十一年に頭蓋鱗様部及び顳窩畸形者の犯罪素質遺伝説を八木沢博士が唱えると、それに算哲博士が駁説を挙げて、その後一年にわたる大論争を惹き起したのだが、結局人間を栽培する実験遺伝学という極端な結論に行きついてしまって、その成行に片唾を嚥ませた矢先だった。不思議なことには、二人の間にまるで黙契でも成り立ったかのように、その対立が突如不自然きわまる消失を遂げてしまったのだよ。ところが、この論争とは聯関のないことだが、算哲博士のいない黒死館には、相次いで奇怪な変死事件が起ったのだ。最初は明治二十九年のことで、正妻の入院中愛妾の神鳥みさほを引き入れた最初の夜に、伝次郎はみさほのために紙切刀で頸動脈を切断され、みさほもその現場で自殺を遂げてしまったのだ。それから、次は六年後の明治三十五年で、未亡人になった博士とは従妹に当る筆子夫人が、寵愛の嵐鯛十郎という上方役者のためにやはり絞殺されて、鯛十郎もその場去らずに縊死を遂げてしまった。そして、この二つの他殺事件にはいっこうに動機と目されるものがなく、いやかえって反対の見解のみが集まるという始末なので、やむなく、衝動性の犯罪として有耶無耶のうちに葬られてしまったのだよ。ところで、主人を失った黒死館では、一時算哲とは異母姪に当る津多子――君も知ってのとおり、現在では東京神恵病院長押鐘博士の夫人になってはいるが、かつては大正末期の新劇大女優さ――当時三歳にすぎなかったその人を主としているうちに、大正四年になると、思いがけなかった男の子が、算哲の愛妾岩間富枝に胎ったのだ。それがすなわち、現在の当主旗太郎なんだよ。そうして、無風のうちに三十何年か過ぎた去年の三月に、三度動機不明の変死事件が起った。今度は算哲博士が自殺を遂げてしまったのだ」と云って、側の書類綴りを手繰り寄せ、著名な事件ごとに当局から送ってくる、検屍調書類の中から、博士の自殺に関する記録を探し出した。

「いいかね――」

――創は左第五第六肋骨間を貫き左心室に突入せる、正規の創形を有する短剣刺傷にして、算哲は室の中央にてその束を固く握り締め、扉を足に頭を奥の帷幕に向けて、仰臥の姿勢にて横たわれり。相貌には、やや悲痛味を帯ぶと思われる痴呆状の弛緩を呈し、現場は鎧扉を閉ざせる薄明の室にして、家人は物音を聴かずと云い、事物にも取り乱されたる形跡なし、尚、上述のもの以外には外傷はなく、しかも、同人が西洋婦人人形を抱きてその室に入りてより、僅々十分足らずのうちに起れる事実なりと云う。その人形と云うは、路易朝末期の格檣襞服をつけたる等身人形にして、帷幕の蔭にある寝台上にあり、用いたる自殺用短剣は、その護符刀ならんと推定さる。のみならず、算哲の身辺事情中には、全然動機の所在不明にして、天寿の終りに近き篤学者が、いかにしてかかる愚挙を演じたるものや、その点すこぶる判断に苦しむところと云うべし――。

「どうだね支倉君、第二回の変死事件から三十余年を隔てていても、死因の推定が明瞭であっても動因がない――という点は、明白に共通しているのだ。だから、そこに潜んでいる眼に見えないものが、今度ダンネベルグ夫人に現われたとは思えないかね」

「それは、ちと空論だろう」と検事はやり込めるような語気で、「二回目の事件で、前後の聯関が完全に中断されている。何とかいう上方役者は、降矢木以外の人間じゃないか」

「そうなるかね。どこまで君には手数が掛るんだろう」と法水は眼で大袈裟な表情をしたが、「ところで支倉君、最近現われた探偵小説家に、小城魚太郎という変り種がいるんだが、その人の近著に『近世迷宮事件考察』と云うのがあって、その中で有名なキューダビイ壊崩録を論じている。ヴィクトリア朝末期に栄えたキューダビイの家も、ちょうど降矢木の三事件と同じ形で絶滅されてしまったのだ。その最初のものは、宮廷詩文正朗読師の主キューダビイが、出仕しようとした朝だった。当時不貞の噂が高かった妻のアンが、送り出しの接吻をしようとして腕を相手の肩に繞らすと、やにわに主は短剣を引き抜いて、背後の帷幕に突き立てたのだ。ところが、紅に染んで斃れたのは、長子のウォルターだったので、驚駭した主は、返す一撃で自分の心臓を貫いてしまった。次はそれから七年後で、次男ケントの自殺だった。友人から右頬に盃を投げられて決闘を挑まれたにもかかわらず、不関気な顔をしたと云うので、それが嘲笑の的となり、世評を恥じた結果だと云われている。しかし、同じ運命はその二年後にも、一人取り残された娘のジョージアにも廻ってきた。許娘者との初夜にどうしたことか、相手を罵ったので、逆上されて新床の上で絞殺されてしまったのだ。それが、キューダビイの最期だったのだよ。ところが小城魚太郎は、とうてい運命説しか通用されまいと思われるその三事件に、科学的な系統を発見した。そして、こういう断定を下している。結論は、閃光的に顔面右半側に起る、グプラー痲痺の遺伝にすぎないという。すなわち主の長子刺殺は、妻の手が右頬に触れても感覚がないので、その手が背後の帷幕の蔭にいる密夫に伸べられたのでないかと誤信した結果であって、そうなると、次男の自殺は論ずるまでもなく、娘もやはりグプラー痲痺のために、愛撫の不満を訴えたためではないかと推断しているのだ。勿論探偵作家にありがちな、得手勝手きわまる空想には違いない。けれども降矢木の三事件には、少なくとも聯鎖を暗示している。それに、小さな窓を切り拓いてくれたことだけは確かなんだよ。しかし遺伝学というのみの狭い領域だけじゃない。あの磅としたものの中には、必ず想像もつかぬ怖ろしいものがあるに違いないのだ」

「フム、相続者が殺されたというのなら、話になるがね。しかし、ダンネベルグじゃ……」といったん検事は小首を傾げたけれども、「ところで、今の調書にある人形と云うのは」と問い返した。

「それが、テレーズ夫人の記憶像さ。博士がコペツキイ一家(ボヘミアの名操人形工)に作らせたとかいう等身の自働人形だそうだ。しかし、何より不可解なのは、四重奏団の四人なんだよ。算哲博士が乳呑児のうちに海外から連れて来て、四十余年の間館から外の空気を、一度も吸わせたことがないと云うのだからね」

「ウン、少数の批評家だけが、年一回の演奏会で顔を見ると云うじゃないか」

「そうなんだ。きっと薄気味悪い蝋色の皮膚をしているだろう」と法水も眼を据えて、「しかし、何故に博士が、あの四人に奇怪な生活を送らせたのだろうか、また、四人がどうしてそれに黙従していたのだろう。ところがね、日本の内地ではただそれを不思議がるのみのことで、いっこう突込んだ調査をした者がなかったのだが、偶然四人の出生地から身分まで調べ上げた好事家を、僕は合衆国で発見したのだ。恐らくこれが、あの四人に関する唯一の資料と云ってもいいだろうと思うよ」そして取り上げたのは、一九〇一年二月号の「ハートフォード福音伝道者」誌で、それが卓上に残った最後だった。「読んでみよう。著者はファロウという人で、教会音楽の部にある記述なんだが」

――所もあろうに日本において、純中世風の神秘楽人が現存しつつあるということは、恐らく稀中の奇とも云うべきであろう。音楽史を辿ってさえも、その昔シュヴェツィンゲンの城苑において、マンハイム選挙侯カアル・テオドルが、仮面をつけた六人の楽師を養成したという一事に尽きている。ここにおいて予は、その興味ある風説に心惹かれ、種々策を廻らして調査を試みた結果、ようやく四人の身分のみを知ることが出来た。すなわち、第一提琴奏者のグレーテ・ダンネベルグは、墺太利チロル県マリエンベルグ村狩猟区監督ウルリッヒの三女。第二提琴奏者ガリバルダ・セレナは伊太利ブリンデッシ市鋳金家ガリカリニの六女。ヴィオラ奏者オリガ・クリヴォフは露西亜コウカサス州タガンツシースク村地主ムルゴチの四女。チェロ奏者オットカール・レヴェズは洪牙利コンタルツァ町医師ハドナックの二男。いずれも各地名門の出である。しかし、その楽団の所有者降矢木算哲博士が、はたしてカアル・テオドルの、豪奢なロココ趣味を学んだものであるかどうか、その点は全然不明であると云わねばならない。

法水の降矢木家に関する資料は、これで尽きているのだが、その複雑きわまる内容は、かえって検事の頭脳を混乱せしむるのみの事であった。しかし、彼が恐怖の色を泛べ口誦んだところの、ウイチグス呪法典という一語のみは、さながら夢の中で見る白い花のように、いつまでもジインと網膜の上にとどまっていた。また一方法水にも、彼の行手に当って、殺人史上空前ともいう異様な死体が横たわっていようとは、その時どうして予知することが出来たであろうか。

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