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天津教古文書の批判
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天津教古文書の批判
狩野亨吉
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 6 of 7

第六 神代文字之卷

第五の文書は標記して大日本天皇國太古代上々代神代文字之卷と題し、第四の文書の標題と極似してゐるが御皇譜の三字を失つてゐる。而して是は第四の文書と同樣に、單獨の文書と取るべきものにあらずして、纏つた記録の一部分をなすものと推察される。前後二枚續になつてゐて悉く見慣れぬ文字を以て書記してある。これが所謂神代文字と云ふものかと思ふと、聊かおどされるが、併しさう聞かされても少しも驚くことはない。今迄平群眞鳥の飜譯を見て來た所で古い言葉も正しい事實も知らずして、出鱈目を書いてゐるのであるから、此方も其積りで、どし/\片付ける方針に出る。ところで唯一つ困つたことは此文書は一見第四文書の原文と見ることが出來ない、即ち第四文書は此文書を判讀するに最初の手懸となることが出來ない。依つて致方がないから此文書自體の上に手懸を探すことにするより他に道はない。偖て此文書の本文は左の通りである。

右文書の中から形の異つた文字を拾出して見れば其數四十四となる。而して或る文字の右肩に「¨」符を附したものを見受けるが、是は濁音符と解する。さうすると此等四十餘の文字はイロハ或は五十音に外ならないとの推測を爲す事が出來る。此假定の下に此等四十四の異樣の文字と五十音とを同知する試みを凡そ二十段に分つて布演して見よう。

一。第十九行及び第三十二行の略同位置に於てととそれ/″\記入されてゐるが、是は其所在の位置から推察して紙の順位を示してゐる數字と取られ、就中黒く消した所は書損のあつたものと取られる。而して此二枚は連續したものとして置いたが、左樣に考へることが最も相應しいと思ふから、此假定のもとに右に取出した異形文字の二つの組合は二箇の連續した數字として讀むことを試みる。而して既に示した方針に從ひ此等の文字を大膽に近代讀みにするのである。さうすると先づ以て左の讀方の外ないことになる。長方形内の讀方は相互の關係に由り否定されて消滅に歸することは下に説明する如くである。

(一) 三サン ロク シチ一 ハチ四

(二)   シフ

(三)    ニ  シ 一 三コ  二ク

(四) 二イチ サン 三ロク シチ一 二ハチ

第一に數の文字の數が五と六であることが、これ等の數は十位の數であることを決定する。次に(二)のは其位地により十の讀みに當るべきを以てシフと判讀せられる。即ちはシ、はフと同知する。同時に  一形内の讀方は否定されて消滅する。次に(三)のと(四)のとは連續する數を現はすものであるから、この條件に抵觸する二  形内の讀方は消滅する。次には第三行及び第八行に言葉の首字となつてゐるから、ラ行の假名でない。即ち之をサと取る。同時にはン、はニと決定する。而して三  形内の讀方は消滅する。次には絶えて言葉の首字になつてゐないから、ラ行の字と取る。即ち  四形内の讀方が消滅してはロ、はクと同知される。以上合計七字が同知されたのである。

二。第二十六行より始まり第三十行に終る五人の署名と覺しき終の三字は皆となつてゐる。本文にも此組合が所々に出てゐるところを以て見れば、是は確に神代に屡使用される語で、人名の終に着く尊のことであらう。この推定によりはミ、はコ、はトと同知される。

三。象形文字と思はれるものが數多あるが、既にサと同知し得たは柵の象形なること明かで、は荷、は身、は戸の象形であらう。此例に傚へばは田即ちタ、は手即ちテ、は目即ちメ、は矢即ちヤ、は輪即ちワなること一見して明かである。其他にも澤山ある樣に見えるが速斷しない。

四。以上三段の結果を第二十九行及び第三十行の尊の名前に應用すればはコヤミコト、はフトタミコトとなり、をネ、をマとすれば完全なる名前となる。由つてはネ、はマと同知する。

五。第四文書第二枚第三行平群眞鳥署名の左傍の神代文字花押はマトであるからはリと取つて間違なからう。即ちをリと同知する。

六。第二行にとある中に即ち十、即ち萬年など入つてゐるところを見ると此組合は數字と思はれる、而して象形と取られるは葉、は乳即ちハチを成立せしめる。又も數字とすれば億を想はしめ、同時には尾の象形なることが知られる。元來億はオクであるべきだが、神代に在つて自由に漢音を使ふ位であるからオヲの混同などは問題とならぬであらう。依てはハ、はチ、はヲと同知せしめる。

七。第一行終より第二行にかゝりてとあるがヲミヤヲクリテで、は前後の關係からツと取るを自然とする。即ちをツと同知する。

八。第八行第九行及び第十六行にと組合せてゐるが、是はミミコトであるから、天津教のスミラミコトを想出させる。即ちをス、をラと同知するのである。幸に此想像によつた同知は他に應用して支障を生じないから確定して置く。

九。第三行第七行第十一行等にがあり第十三行にがある。而して第二十行に此二つの連續がある。此中に知られてゐる字は唯の二字であるが、直覺的に是はイザナギ、イザナミであらうと云ふことに想達する。而しては木、は魚の象形と取ればよいので、此判讀の當つてゐることは疑ひない。即ちはイ、はナ、はキと同知する。

十。第四行に、第五行にとあるはイツイロト、イロトとなり、五色人を想出させる。さう思付けばは如何にも火の象形と取られる。依てをヒと同知せしめる。

十一。第十行末より十一行に亙りとあるはマテラスミコトにて、をアとすれば天照らす尊となる。依てをアと決定する。

十二。第一行に二ヶ所、其他にも現るる組合はヲホとして大の意味に取れば意味通ずる。大は元來オホなれど天津教ではヲホで差支へないのである。故にをホと同知する。

十三。第二十四行はシタマフと爲すべき所なれどマは既にと同知せられてゐる故、天津教流に假名遣ひに頓着せずして、シタモフにて通ずるとなし、をモと同知して置く。

十四。第二十七行のは野の象形でノ字なること明かである。是は隨所に現れてゐるが此推測の妥當なることが直に證明される。即ちはノと同知する。

十五。第十五行は前後の關係より加賀の白山と云ふと解すべきである。即ちはカ、はイに當つべきも、イには既にが同知せられてあるから、はユであらうと思はれる。蓋し此字は湯の象形である。此推斷の妥當なることは第七行の、第九行の、第十一行のに於けるの用例に照して明かである。

十六。第五行及び第二十一行に現れるは明かに象形字であるが、これは龜の如き動物の背を形どりたるものと解しセとする。それにて意味が通ずる。

十七。第五行第六行第七行第十三行等に現れるは前後に鑑みてヨとすれば意味が通ずる。即ちをヨと同知する。

十八。第八行、第十一行より第十二行に至る、第十四行、第二十五行(本文を脱す)等に於けるは數字を現はすものと推測せられる。ところで一(イチヒトツ)二(ニフタツ)三(サンミツ)四(シヨツ)五(コイツヽ)六(ロクムツ)七(シチナナツ)八(ハチヤツ)九(クココノツ)十(シフトウ)百(ヒヤクモモ)千(センチチ)萬(マンヨロツ)億(オク)と並べ見ると唯六の名稱に含まれてゐるムの字だけが殘されてゐるのである。即ちをムと取る。併しムを六として應用して見ると六六億萬年、一六六萬年、七六六萬年、八六六萬年等となり少しも意味を爲さない。然るに天津教ではモをムと訛る例は第四文書の根をムトと讀ませることで判つてゐるが、此所のムもモの訛と取ればムムもモモ即ち百と解せられる。而して意味は完全に通ずる。即ちをムとすることは正しい。

十九。第二行第十六行第二十五行にの言葉があるが第二十五行に於ける下の言葉との關係から即位に當るものと推定出來る。即ちはソと同知する。

二十。以上四十四字の中三十九字を同知し得たから、殘るものはの六字となつた。而してイロハの側から見て同知されないものはヘヌルレウヰオケエヱの十字である。此等の十字を代る/\神代文字に當嵌め意味が通ずるや否やを見れば自ら同知が出來ることになるのである。同知の結果を云へばはウ、はエ、はオ、はヘ、はル、はレである。これで文書中の文字は悉皆解つたのであるが、同時に又ケヌヰヱの四文字が文書内に現れてゐないことも判つたのである。

ア行

カ行

サ行

タ行

ナ行

ハ行

マ行

ヤ行

ラ行

ワ行

ン

右二十段の檢索による結果を五十音の表にすれば上の如くである。一見象形文字と想はれるものを摘出すれば蚊、木、柵、背、田、乳、土、手、戸、魚、荷、根、野、葉、火、屁、穗、眉、身、褓、目、藻、矢、湯、輪、尾、等が得られる。他も亦皆象形文字らしく想はれるも俄に決定し難い。偖て全部を象形であるとすれば、これ即ち形文字で、この形文字を念頭に置き、之に對して片假名を第四文書に於て見たる如く形假名と稱するに非ざるかと推測される。これは決して妥當の名稱とは思へないが、天津教でかく考へたのでなからうかと思ふのである。もしこの推測が當つてゐるなら、天津教は木に竹を接いだと評すべきである。

第一、文體に就いて吟味するに、先づ以て部分的檢査より始める。

(イ)文字の右下方に位する小黒點は句讀點であるが、要らないと思ふところにあつたり、一個で十分であるのに二個打つたりしてある。第四行第七行第十一行第十三行第十五行第十六行第十七行等に其例がある。

(ロ)假名遣ひの誤は甚だ夥しい。オヲの混用は多くあるが意味を取違へる恐れもないから一々指摘しない。スをシとする頑強性は無論此所にも繼續する。第一行第十六字はの誤、第四行第十二字も亦の誤、第六行第十字及び第七行第三字はの誤(此は古言と取れば差支へない)、第二十四行第十三字はの誤、第二十八行第三字はの誤、第三十一行第十九字はの誤とすべきである。

(ハ)全然關係を認めること出來ない字を使つたものに第二十四行第六字がある。是はとすべきであるが、此文章ならでも我慢出來る。併しでは全く意味を爲さない。

(ニ)脱字を掲ぐれば、第二行のの下に月の名が落ちてゐるが、何月を入れてよいか判らない。第三行第十二字と第十三字との間にの三字を補入せざればイサナキミフタカミで意味を爲さない。第七行第七字より始まるは脱字がありさうに思はれる。の間にを入れると、是ヲバ一ニの意となり解かることになる。第十四行第十七字の上にを補ふべきであると思ふ。それとも天津教用例で之を省略するを慣例としてゐるのかも知れない。第十六行第二字と第三字との間及び第二十六行第六字と第七字との間には第十行に於ける用例に從へばを入れるのであるが、是は孰れを是とすべきか判らないが、注意を要するため此所に記して置く。第二十三行第十五字の下にが脱してゐる。第二十五行第十字の下にを拔かしてゐる。

(ホ)動詞の終止形を取るべき所に連用形を用ゐることは第四文書に於て見出されたのであるが、此第五文書の中にも現はれてゐる。本文中にもあるが、最も著しきは署名に伴つて現はれてゐる。このことは第四文書に於けると同じである。第二十五行以下第三十一行に至るが即ちそれである。

(ヘ)神代の言葉を以て記してある筈なるに、漢音の言葉が雜つてゐる。第二行(即位八十八億萬年)、第三行(サイシ)、及び(サイカンシヤウ)、第四行(天)、第六行(スイモン)、第八行、(天ヲ百億萬年)、第十一行より第十二行に亙り、(百億五百萬年)、第十四行(億)、及び(萬年)、第十六行(即位)、及び(八)、第十六行(萬年)、第十九行(六十二)、第二十一行(サイカンシヤウ)、及び(サイ)、第二十二行(天)、(フクサイ)、及び(サイクワンチヤウ此語は前にも出てゐるが綴方が異なつてゐる)、第二十五行(即位八百萬年)、及び(一)、第三十二行(六十三)等以て徴すべきものである。偖て脱字誤字等を補正すれば全文は下の如く讀まれる。―印を右傍に附したるは誤字、左傍に附したるは脱字である。

ニ.スミヲヤスミラヲホカミタマシヘタカラヲ.ヲホミヤヲツクリテ.ソクイハチシフハチヲクマンネン. (不  明)マドムツヒ.サイシイサナキイサナミフタカミ.サイカンシヤウ.

マツリス.イツイロヒトハヘレス..テンヲ.ミコトシ.ヲンヘタチ.イタノクニノ.イタルネクニムリセヨトアリ.イロヒト.イト

マシテ.オノレノクニイ.コシネノドノ.ニシウラスイモン.ヨリカライカヘル.コヲイチニアメヨリアマクタリトユフ..イサナキスミラミコトテンヲ.ムムヲクマンネンサナヘツキタツイチヒ.ミコトバヲアメマツリスミラミコトヲユヅ

リコト.アネノアマサカリヒニモカツヒミアマテラスミコトニ.ユツリワタシ..イサナキカミムムヲクイツムムマンネン.フクミツキ.マドヨツヒ.コシネナカ.ニエヤ.

トトノヲヤマ.ヨリ.カミサリ.イサナミカミ..ムムヲクマンネ ン.カナメツキツコモリムツヒニ.

カミサリ.トコロ、カカノシラヤマトユフ..アマサカリヒニモカツヒミスミラミコトテンヲ.ソクイハチムムマンネン.ムツヒツキ.タツイチヒ.ニ.ムトフミクライシノシヲヲツカミヲホネノカミヨリ

ロクシフニ

イサナキイサナミフタカミ.マデオ.フミシテ.

アワセマツリ.サイカンシヤウシ.マツリ.サイシ.

テンヲ.フクサイシ.シサノヲミコト.サイクワンチヤウ

ヲモイカネ.コヤネ.フトタマ.ヤホヨロヅカミ.

ミコト.ツトノテマツリシタモウ.

ソクイハチムムマンネンムツヒツキタツイチヒニフミシ

テンヲフ

アマサカリヒニモカツヒミスミラミコト シ

サイシミ

フ

ツキモカツスサノヲミコト シ

ミ

フ

ヲモイカネミコト シ

ミ

クニヲ             フ

マ ヒトヲ リ カミ  コヤネミコト シ

ミイヲ             ミ

フ

フトタマミコト シ

ミ

スミヲヤスミラヲホカミタマヤノタマシヘニシ

ロクシフサン

此文の終に天照太神即位八百萬年正月元日の日附にて御署名があり、之につゞき素盞烏尊、天思兼命、天兒屋命、天太玉命の副署がある。即ち此文書は神樣の御書であり、假令模寫であつたとしても國寶の資格は十二分である。然しながら文章の口調から觀てどうして之が神代のものと考へられよう。幼童の數へ歌にさへ古い呼方を傳へてゐる數字を此文書では殆ど皆漢音で讀んでゐる。剩へ年、即位、勸請、水門等の語も漢音にて出現する。而して昔を偲ばせる目出度い語句は更に見當らず、年月日の鵺的讀方などは以て證とするに足らないのみか却て打毀しである。故に此文章は一見して近頃のもので、しかも拙劣の書振りであることが頷かれる。勿論天津教では是は神代の原稿であると主張し、其主張の前提として漢音など皆日本より創つたと言ふであらう。何事でも日本より創つたといふ負惜みの考方は獨り天津教に限らず、昔からよく耳にするところで、世間普通のこととして聞流して置いても差支へもないが、先に部分的に指摘して置いた此文の缺點は見逃し難い。假名違、脱字、誤字等正に亂脈と稱すべきに、更に御母親伊弉那美尊の御名の大半を書落したる如き麁相の責任を一體誰に歸せしめようとするのであるか。こゝに想到したら天津教は宜しく反省悔悟して深く謹愼すべきである。抑もかゝる亂脈は書手の頭の惡いのか若くは取急いだための過失に由るものと取るが最も穩當の解釋であることは反對する人もあるまいが、之に加へて天津教に於て事實をこゝに至らしめたる特殊の事情も進んで推定出來ると思ふ。即ち天津教では平群眞鳥の記録を神代文字の記録の飜譯であると稱するのであるが、事實は正反對で神代文字の記録は平群眞鳥の記録の飜譯であるのである。かゝる特殊の事情の存在の下に飜譯を取急いだため、古語の穿鑿も行屆かず、いやが上に誤謬を犯すに至つたものと解すべきである。

以上文體の考察を約言すれば、此文書は神代文字で記してゐるが、他の文書と同じく近頃のもので、其作製は第五文書より後るるものと推斷される。

第二、書體に就いて吟味するに、文字は象形と取るべきもので書とも畫とも着かぬながらに又兩性的の性質を認めなければならぬ。即ち書畫一致の見方を應用して、氣韻如何を探して見るに、何所か生硬なるものがあつて餘り善い感じを與へない。技巧の上から見ても單なる熟練はあつても苦心に因る精練を認めることが出來ない。併しながら此點先入の連想が働き過ぎる恐れがあるから多くを語らない。筆者の同知に關しては尚更ら臆して判斷を差控へる。

私は所謂神代文字の豫備知識が無かつたため、此等文書の調査を始めた時には天津教の神代文字は讀めようとは想はなかつたが、丁附の數字に不圖氣附いてから奮發して凡そ一ヶ月を費して全部が讀めた。後に友人の渡邊大濤氏から近頃某氏の著した神代文字の本の中に此文字を説いてゐることを聞かされ、自分の寡聞を恥づると同時に、世間には又迷信者もあるものと思つた。此時ふと上記に使用した神代文字も此文字でなかつたかと想ひ、調べて見ると果して其通りである。是で天津教の素性はすつかり判つたのであるが、此文字は上記と獨立して數ヶ所で發見されたので、國學者中には上記を疑ひつゝも此文字だけは確かなものと信じた人もあつた。併しこれは植附を見破ることの出來ないために生じた錯覺で、無論此文字は上記の作者の手に成つたものに相違なく、斷じて神代のものではない。かゝる生硬の新文字は却て製作に大なる努力を要しない性質のもので、云はば朝飯前にも出來ると云ふもの、勿論判讀には手掛りの如何に應じて相當の時間を要するのである。今植附と云ふことを暗示したが、是は欺瞞を覆ふ爲めに都合の好い事物を、關係の無いと想はるる如き所に作設し、人をして發見せしめる樣に仕向けることで、廣汎に行はれる手段である。此植附には學者もサクラと成つたり、ヂュープとされたりする相當難しいものがある。即ち數百年經つて初めて暴露され、千年經つても尚ほ疑問視されてゐるものもあり得る。これが宗教界に殊に多いのは歎はしい事實で注意に値する。どの道研究家の興味を唆る性質のものであるが、舊い所は時效にかかつた如くに思はれ、また作爲者が餘り成效した場合にはどうにもならぬことも頗る多い。然るに近頃聞く所に由れば世間でしきりに異質のピラミッドや新規な神代遺跡などを發見し、孰れも天津教の所説を裏書する樣に解せられるさうであるが、其所が即ち疑ふべき所で、かうした植附は天津教の爲めにも愼んだ方が善からうと思はれる。

以上書體の考察を約言すれば、神代の文字と見ても餘り上手な書神の手とは取れず。結局此文字は後世の文字で、瞞著を化粧する第二の瞞著に過ぎないものであるとの判斷に歸着する。

第三、内容に就いて吟味するに。形式的に見て記事の精麁宜しきを得ず、此點先づ疑ふべきものがある。神代のことは正史にも記載されてゐるが、空々漠々捕捉し難いのである。故に水戸で大日本史を編纂するに當り義公の英斷で神代を削去つたことが傳へられてゐる。併しこの空漠の背景を利用して更に景を盛り輪をかけた臺帳を作り大芝居を打つことが跡を絶たない。孰れも殊勝に見せかけて居るが必ず眉唾ものである。此文書を實質的に見て天津教も亦此種類の惡巧であることを斷定するに餘りがある。此文書第十一行より第十五行へ讀續けると「コシネナカニエヤトトノヲヤマ」と云ふがある。是は越中國新川郡の立山を指すものと想はれるが、ニエヤは婦負とも取れる。さうだとすると立山の所屬が違ふことになる。又是より重大なることは此所の記事に伊弉那美尊は伊弉那岐尊より後に御隱れになつたことにしてあるが、是は正史と反對である。かうした正史を無視することは前にも例があるので珍しくもないから、一つ變つた矛盾を演繹してみよう。第七行より第十二行に至る敍述に伊弉那岐尊は百億萬年にして御位を天照太神に讓るとあり、第二十五行に天照太神即位八百萬年の日附がある。即ち此文書作製の時、日本は既に百億八百萬年の舊國である。そこで此間に神口の増加幾何なりしやと問ふのである。神代に於ける生殖に關するあらゆる條件を今日に比し如何に不利益に見ても百億八百萬年の間には夥しき神々を生産し、時々神退治が行はれない限り、右日附の當時には地球上陸となく海となく一平方メートル毎に何百萬といふ神を宿さなければならなかつたらうと思はれる。勿論これは胸算用で稍精密の計算も出來ないではないが、必要もないから旁極く内場に見積つての話であるが、此問題を天津教では何と片附けるであらう。定めし神は天にいませば地上の廣狹など問ふところでないと説明するかも知れない。然らば第一行より第七行に至る記述に伊弉那岐伊弉那美二尊の時代に造られた大宮のことがあるが、この建築物は何處に在つたか。記事の前の部分を缺いてゐるから判然しがたい所もあるが、續く所によれば「五色人ハイレス(中略)越根能登ノ西浦水門ヨリ唐イカヘル」とあり、推察するに越中國神明村に在つたとしたのでないかと想はれる。して見るとこの大宮は日本の土地に在り、伊尊二柱を始め奉り八百萬神も代々日本の土地に御住居あらせられたと拜察する外はない。我々もそれで宜しいと思ふ。而して又越根中大宮の規模大ならずして、五色人を收容し兼ねたことは甚だ遺憾であつたと思ふ。何故に百億萬年に相應して、せめて八百萬里四方の摩天樓でも準備して置かなかつたかと言ひたくなる。是を以て之を見るに此文書に於て説くところ全く數の觀念を缺き、常識的の思想を離れ、而して正史に反する記述を敢てして憚らない。實に總ゆる點より見て人困らせの虚妄を言振らしてゐるに過ぎないのである。

以上内容の考察を約言すれば、此文書は荒唐無稽全く信を置くに足らない。

上述の理由に由り、大日本天皇太古代上々代神代文字之卷は近年の僞作にして、しかも此種類の神代文字の文書は所謂形假名唐文字の第五文書の種類の後に成れるものと判斷する。

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