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石川五右衛門の生立
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石川五右衛門の生立
上司小剣
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 10 of 16

十

翌る日、寺へ行つて和尚さんの顏を見るのが樂みであつた。其の途中で籠に入れた茹莢を抱へた賣屋の娘に行き逢つた。「お早う。」と頷いて行く彼女の頬は、はち切れさうに膨れて、針のさきで輕く突いても、紅い血がパツと迸りさうであつた。この勢ひのよい女と、あの枯木のやうな和尚さんと、それが眞夜中に何の用があつたのかと、文吾はつく/″\考へた。

寺では珍らしく文吾が眞ツ先きに來たので、腰衣で本堂を掃除してゐた小僧が、先づ驚きの眼を瞠つた。和尚さんは庫裡から本堂への通り路に、美しく敷き詰めた礫の兩側へ、縁をとるやうにして植ゑてある石竹の花の麗はしく咲いたのを見やりつゝ、石像の如くに蹲つてゐたが、「善海子ツ。」と、いつもとは違ふ清らかな聲で小僧を呼びかけて、

「今日は雨が降るぞ。」と、朝晴れの蒼空を見上げた。ほんたうに雨が降るのかと思つて、ほんの一瞬間だが、蒼空を仰いだのは、利巧な文吾にも似合はぬおぞましさであつた。文吾はてれかくしに、つと和尚さんの側へ寄つて、

「和尚さん、綺麗だんな。」と言つて、和尚さんの視線を辿りつゝ、同じ石竹の花を見ようとした。

「庭の石竹根が引き拔きにくい。庭の石竹根が引き拔きにくい。庭の石竹根が引き拔きにくい。……さア、文吾、かうやつて三遍續けて言うてみい。」と、和尚さんは澄まし切つて、村の聖顏をしたが、どうしたことか、今朝の和尚さんは、いつもよりズツと聲も樣子も若々しかつた。

「なんぞ褒美おくなはるか。」と、文吾は石竹の莖を持つて、一本引き拔かうとしたが、なか/\堅くて、成るほど引き拔きにくかつた。

「慾の深いやツちやなア、こいつ。褒美は望み次第ぢや。」と、和尚さんは齒の尠い口を尖らした。

「そんなら、あの羊羮一きれおくなはれ。そいたらうまいこと言ひまツせ。」

「よし、やらう。言うてみい。」

「庭の石竹根が引き拔きにくい。庭の石竹根が引き拔きにくい。庭の石竹根が引き拔きにくい。庭の石竹……」

「もうよい。……えらいやツちや。」と、和尚さんの褒め言葉の終らぬうちに、文吾の小ひさい掌は、お重ねをして、和尚さんの鼻ツ先きに出てゐた。和尚さんは、「あはゝゝゝ。」と大きく笑つて、居間の方へ行つたが、稍手間取れると思ふ頃、白紙に包んだ二きればかりの羊羮を、大事さうに持つて來て、

「さア、歸つてから喰べるんぢやぞ。此處で喰べると、ほかの寺子にわるいによつて。」と、嚴かに言つた。

「京の三十三間堂の佛の數は三萬三千三百三十三體あるといなさうかいなほんかいな。……さア文吾、これを七遍息をせずに續けて言うてみい。そしたらあるだけの羊羮をみんなやる。」と、和尚さんはまたこんなことを言ひ出した。

文吾は口の裡で、「京の三十三間……」のと繰り返して言つてみたが、四五度まではどうやら言へるけれど、あとの二度がどうしても續かなかつた。一生懸命にやればやるほど息が切れて來た。其のうちに、手に持つてゐた筈の羊羮の紙包みがなくなつてしまつた。

「和尚さん、返しとくなはれ。」

「何を。」

「羊羮を。」

「お前の袂に入つたる。」と、にこりともしないで和尚さんの言つた途端、文吾の右の袂が急に重くなつて、文吾は外から羊羮の紙包みの四角なのを、柔かく探ることが出來た。

まだ/\和尚さんには兎ても敵はぬ、この和尚さんに教はるのは、手習ひよりもほかにあると文吾は考へた。

其の夕方、家へ歸つて、黒々と墨の附いた手で先づ袂の四角い紙包みを取り出し、いそ/\として披いて見ると、現はれたのは、紅を刷いたやうな駿河屋の羊羮ではなくて、羊羮を切つた形に捏ね上げた寺の粟飯であつた。文吾はあツと呆れた。

Chapter 10 of 16
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