一
先づごりがんといふ方言の説明からしなければならない。言葉の説明は、外國語でも日本語でも、まことに難儀なことで、其の言葉自身より外に、完全な説明はないのだ。言葉をもつて言葉を説明するといふほど愚かなことはない。言葉を説明するものは、言葉の發する音による以心傳心で、他のいろ/\の言葉を幾つ並べたとて、其の言葉を底の底まで透き通るほどに説明し得るものでない。しかし人間といふものがかうやつていろ/\の言葉を作り上げて、そいつを滑かに使つて來た根氣には驚く。根氣ではない自然だといふかも知れないが、自然の奧には根氣がある。如何に不完全な國語を有する人民でも、それで一通りの用が辨ずるまでに仕上げた根氣は大層なものだ。言語學といふ乾枯びたやうな學問の教ふるところは別として、たとへば日本語の柄杓といふ言葉を聞くと、それが如何にもあの液體を掬ふ長い柄の附いた器物のやうに思はれるし、箱と言へば直ぐにあの四角い容物を考へ出す。(圓いのもあるが)さういふ風に、柄杓と箱との名を取りかへて、「俺にはこれが柄杓で、これが箱ぢや」とごりがんを決め込んでも、世間には通用しない。それまでに言葉といふものゝ力を深く打ち込んだ根氣は大したものだ。どうせ人間の拵へた言葉と名稱とだもの、それをどツちへ取りかへたとて差支へはないのだが、大勢の人にそれを承知させるのが困難だ。柄杓が箱で、箱が柄杓で、火が水で、水が火であつても、一向差支へはないのだけれど、別に取りかへる必要もなければ、まア在り來りのまゝでやつて行かうといふことになる。
それでも、言葉や文字の中には長い間にちよい/\間違つて了つて、鰒を河豚だと思ふやうな人も少しは出來たりしたが、それをまた訛言だの、方言だのと、物識り顏に、ごりがんをきめ込むこともない。鰒だと言つても、河豚だと名付けても、肝心の貝や魚は一向何も知らないでゐる。――と、こんなことを言ふものもまた一種のごりがんだ。
別に言語學に楯を突いた譯でも何んでもない。ごりがんの説明を自然に捲き込んで置かうと思つて、これだけのことを書いてみたのだ。ごりがんとは先づ、駄々ツ兒六分に、變人二分に、高慢二分と、それだけをよく調合して出來上つたかみがたの方言である。「てきさん、どこそこで、ごりがんきめ込んだんやで」とか、「ごりがんでなア」といふのを聞き馴れてゐる人には迷惑であらうけれど、これだけのことは是非書いておかねばならぬ。
「ごりがん事三月十二日永劫の旅路に上りました。此段お知らせいたします。」といふ下手な字の葉書を受け取つたのは、三月十四日で、私はあゝあの老僧も到頭死んだかと、私は知人の訃報を得る度に感ずる痛ましさと寂しさとに打たれつゝ、また人生に對する思索を新たにして、ぼんやり其の葉書を卷いたり舒ばしたりしてゐた。
それにしても、自分の父の死をば、ごりがん事なんぞと戲れて通知する息子も息子だと思つて私は、其の息子の天南といふ名前を眺めてゐた。
生れては死に、生れては死にする隆法(老僧の名)の子は、四人目の天南に至つて、漸く火事が燒け止まるやうに、死なゝいで育つた。「頃者一男を擧ぐ天南と名づく」なぞと書いた隆法の葉書が、方々へ飛んだ。それから後に生れた子は、いづれも息災に育つて、隆法が老僧と呼ばるゝにふさはしくなつた時分は、三男二女の父になつてゐた。
困つたのは總領の天南であつた。本山の中學校を卒業してから、寺にぶら/\してゐたが、兎角父の老僧と氣が合はなかつた。老僧はごりがんの名で通るほどの人物で、檀家の評判はよくなかつたが、世襲住職の眞宗寺で、檀家から坊主を追ひ出すといふことは出來ない上に、また寺を追ひ出さうなぞと思ふ檀家があるほどの不評判でもなかつた。缺點はごりがんだけで、勤めることはちやんと勤めた。しかし天南はごりがんの上に大變人で、また怠惰者であつた。自分に氣の向いた事をさせるとさうでもなかつたが、寺の用となれば、目の敵のやうにして打ツちやらかして置く。禪寺は綺麗だが、門徒寺は汚ないと昔しから言ふ通り、隆法の寺も眞宗だけに掃除が屆かないで、本堂の前だけは塵埃もないが、それは皆境内の隅々へ掃き寄せられて雜草の肥料になつてゐる。蛇、蜥蜴、螽、そんなものが、偶然に出來た塵塚を棲家にして、夏盛んに繁殖する。葱の白根を餌にして、天南はよく螽を釣らうとしたが、時折り蛇に驚かされて、逃げ戻つて來たこともある。尻尾の斷れた蜥蜴のちよろ/\と出て來るのが氣味がわるかつた。
巽の隅にある殊に高い塵塚には、草ばかりか、漆の木なぞが自然に生えて、小ひさな森を作つてゐた。其處には殊に氣味のわるい蟲が棲んでゐるらしく、片側の裾に水溜りが出來たりして、腹の赤い蠑が蛙とともに棲むが、蛙はよく蛇の餌食になつて、呆れ顏をした蠑に、半ば蛇の口へ入つた淺間しい姿が、見送られてゐた。
天南はよく蛇を擲つて蛙を助けた。幼い時竹片を持つて遊んでゐると、蛙がぎやア/\鳴くので、其の悲しさうな聲をたよりに竹片で雜草の中を叩きると、蛇に呑まれかけた蛙が、跛足引き引き危いところを逃げて行つた。其の脚の先きは、もう蛇の毒で少し溶けかゝつてゐるやうであつた。
「晩にはあの蛙が大きなお饅頭を持つて禮に來るぞ。」と、父が言つたので、天南は其の夜どんなに饅頭を待つたか知れなかつたが、父の言葉は眞ツ赤の嘘であつた。それ以來天南は父を信用しなくなつた。
本堂のお花を取りかへるやうに、父から言ひ付かつたことが度々あつたけれど、天南は一度もそれをしたことがなかつた。須彌壇の花立てには、何時活けたとも知れぬ花の枝が乾枯びて、焚き付けにでもなりさうになつてゐた。