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父の婚礼
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父の婚礼
上司小剣
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 2 of 5

二

よく來る村人の中に、平七といふ男があつた。若い時にはだいぶ茶屋酒を腸に染み込ませたとかで、京の祇園町や大阪の新町の話を面白さうにした。わけても京の島原の話が得意で、太夫が立派な硯箱と金紙の短册とを出して、何んぞ書けといふので、大變に弱つたが、仕方なしに、「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露に濡れつゝ」と金釘流で書いたが、それは春の眞盛りで、御室の櫻が咲き揃つた頃のことであつた、なぞと言つた。

其の折の太夫の返歌は、「見しや夢逢ひしやうつゝ面影の……」といふので、下の句は忘れたけれど、「忍ぶ心のしのばれぬかな」といふのではなかつたかと思ふ、或は違ふかも知れぬ、とも言つて、平七は前齒の二本拔けた口から微笑を漏らしてゐた。

「坊んちの水揚は、わたへが手引してあげまへうな。……姫買ひなら、誰が何んちうても島原に限りまつせ。座敷から、燭臺一つまで違ふし、お後架へいても、あそこのは品がおますわい。」と、昔の夢に憧憬れるやうな顏をして、こればかりが昔の記念だといつてゐる金の吸口の煙管でタバコを喫んだ。

「坊んち幾つだすのやなあ、一體」と、平七は父と二人で燗徳利を三本空にしてから訊いた。

「十二。」と自分が、眩しさうに眼をクシヤ/\さして答へると、平七は口を「へ」の字なりに堅く結んで、暫くヂツと考へてから、

「來年からやなア。……十三ぱつちり、十四はちよこ/\、十五の春から、ていふことがおますやないか。……坊んち確乎しなはれ、お父つあんに負けなはるな。……お父つあんが嫁はん貰やはるんなら、わしにも貰ふとくれてなア。」と稍縺れかゝつた舌で、父の厭な顏をするのも構はずに、滿更戲談ばかりでもなささうな調子で言つた。

「一つ珍物を喰はさうかなあ。」と、父は毎も年齡を訊かれた時にするやうな手段で、話を他へ持つて行かうとした。

「なア坊んち、さうだつせ。……お父つあんの嫁はんもえゝが、わたへは坊んちみたいな人に、若い綺麗な嫁はん宛行うて、雛はんが飯事するやうなんを見るのが好きや。なア坊んち。……」と、平七は飽くまでも、自分の引き出した話の緒を捉まへて放さなかつた。

「何うやなア、これ。」と、父は茶箪笥の奧から祕藏の一物でも出すやうにして、小さな壺を持ち出した。

「何んだすのやそら、骨壺みたいだすなア。」と、平七は赤味の勝つた醉眼を瞠りつゝ、ヂツと其の壺に見入つた。

「これ知らんかなア、お前の飮酒家もまだ素人や。」と、父は丹念に壺の目貼を取つて、灰吹を掃除した時に出るやうな、ぬら/\した、汚らしいものを箸に挾み出して、可味さうに舌打した。

「分つた、海鼠腸。……五島だつしやろ。……それ知らいで、飮酒家と可味いもん喰ひの看板掛けとかれまツかいな。」

ぽんと膝を叩いてから、平七はかう言つて、村方の人さんと憚りながら一所にして貰ひますまいと、言ひたげな顏をした。

「えらい、それではこれを下物に熱いとこをまア一本。」と、父は鼓のやうに能く鳴る手を二つ拍つた。

お駒の持つて來た燗徳利を父が受取らうとすると、平七は急しい手付で、膝の前の杯の中に波々と冷め切つてゐたのを取り上げ、グツと一口に飮み乾して、

「ドツコイ旦那、あんたよりお駒ちやんに一つ注いで貰ひまへう。」と、首を左右に振りながら、お駒の鼻ツ先へ杯を突き出した。

「おい、お駒ちやん、旦那はえゝがな。……そらお前、旦那は燒いて喰はうと炊いて喰はうと、お前の勝手やがな。坊んちに手を付けると、俺ア承知せんで。坊んちの水揚は誰が何んちうても俺がさすんや、……俺がえゝのを世話して後見になるんや。なア坊んち、をツさんが今に世話しまツせ、待つてなはれ。」

海鼠腸を下物にお駒の酌で、熱いのを立て續けに三四杯呷りつゝ、平七はまたこんなことを言ひ出した。其の時自分は父の顏を見い/\、壺を引き寄せて、少しばかり手鹽に取り分けたのを喰べてゐたが、父は厭な/\顏をして、お駒に彼方へ行けと眼配せをした。

「なア坊んち、坊んちの嫁はんは、十一二ぐらゐのとこかなア。それとも十四ぐらゐかなア。……お駒ちやんみたいに、十六にもなつたもんは、姉さんみたいでいきまへんなア。」

平七は幼い自分の方を、赤い眼をして見詰めながら、かう言つて、

「わーしとおまへは、おないどしめうと、ひとつちがへば、なほよいがア。」と、聲張り上げて唱つた。

「平七つあん、まだ珍物があるがなア。」と、父は平七が動もすると幼い自分の顏を見詰めて、「なア坊んち、坊んちの嫁はん」をやり出しさうにするので、またこんなことを言ひ出して、平七の心を向け變へようとした。

「旦那、……珍物結構、……頂戴。……頂戴。」と、平七は卷舌で言つて、上半身をグラ/\させながら、兩手を重ねて差し出した。父はツイと立ち上つて、奧から、小さな桐の箱に萠黄の打紐のかゝつたのを恭しく持つて來た。あゝあれかと、自分は直ぐさう思つたが、父は默つて、そろ/\と打紐を解きかけた。平七は井戸の底でも覗く風にして醉つた眼を据ゑつゝ、父の手元を見入つてゐた。箱の中に何があるかを知り拔いてゐる自分も、父の手つきが大業なので、一寸胸を躍らせて蓋の撤らるゝのを待つといふやうな心地になつた。

「いよう、首實驗。……」と、平七は變な聲をして、身振をしつゝ言つた。

小さな桐の箱の蓋は撤られた。中から現はれたのは、見窄らしい一つの曲物であつた。「何んぢやい、埓もない。」と言ひたげな顏が平七の上に讀まれた。

父は一層勿體振つた手附をして、曲物の蓋を開け、黒い佃のやうなものを、蜆貝に一杯ほど手鹽皿に盛つて、平七の前に押し進めつゝ、

「△△の宮さんからの拜領や。……この夏奈良へいた時、御殿へ出てお手づから頂戴したんや。……まア一つお前も頂いてみい。何んや分つたらえらいさかい。」と誇り顏に言つた。

「謂れを聞くと、助老(胡坐の事)組んでもゐられまへんなア。」と平七は坐り直して、手鹽皿にちよんぼり入れてある黒いものを一箸挾んでは首を傾け、一口嘗めては首を傾けした。

「分るかなア。」と、父は子供をあやすやうに言つて、冷かに笑つた。

「待てよ。」と、平七は思案投首の體で、二箸三箸、また黒いものを挾んで、精限り根限りの味覺を舌の尖端に集めようとする状で、ぴた/\と音させて、深く考へ込んでゐたけれど、到頭分らなかつた。

「分らんか、無理はない。」と、父は檢視の役人のやうな顏をして、平七の口元を見入つた。

「殘念ながら分りまへん。兜脱ぎます。……何んだすのや、こら一體、教へとくなはれ。」と、平七は平身低頭といつた風に、頭を下げ兩手を支へて、滑稽な身振をして見せた。

「杉菜の佃や。」と、父は事もなげに言ひ放つた。

「杉菜ツて何んだすのや。けツたいな。……そいつまたわたへ知りまへんがな。」

平七は怪訝な顏をしながら、膝の下に隱れてゐる金の吸口の煙管を探す風で、座蒲團の右左を手探りつゝ、父の顏を眞正面に見てゐた。

「杉菜ちふのは、土筆の姉さんや。」と、父の物の言ひやうは、一層事もなげであつた。

「あゝあの畦に生えてるやつ。……しやうもない。」と、手鹽皿の中の小さな黒い塊を見下しつゝ、平七は苦笑した。

「しやうもないことがあるもんか。」

父は稍威猛高になるといつた樣子を見せて、

「あの杉菜も矢ツ張り土筆と同じやうに、袴穿いてよるやろ。しかも土筆と違うて、細い枝に一分おきか半分おきに袴や。あれを一つ/\手で袴脱がして、細う刻んで、佃にする手間ちふたら、大抵やあれへん。……このわげもん(曲物の事)に一杯の佃を拵へるのに、宮さんと尼さんが三人して、一月の餘かゝらはつたげな。」と、あとは優しく説き聽かせるやうに言つた。

「はえーん。……ふーうん。……」と、平七はたゞ感嘆の聲を漏らした。

「このわげもん一つ頂くんは、金百圓頂戴するより有難いんぢや。」と、父はまくし立てる風に言つたが、平七はニヤ/\笑ひつゝ、「そら嘘や」と言ひたげな顏をして、

「今日はわてへ一人で御ツつおうの獨り占めや。……宮さんお手製の土筆の姉さんの佃まで頂いて、もう明日死なうと本望だすわい。」と、厭に滅入つた聲をした。

「まア、そんなこと言はいで、もう一杯飮んどくれ。……時に頼んだことはえゝやろな。」と、父の語氣は急に改まつたやうであつた。

「お時さんの一件だすか。……何んぼ醉うても、それ忘れてなりますかいな。……萬事は胸に、……」と、平七は頻りに胸を叩いて見せた。幼い自分は、お時さんといふ名にハツとして、覺えず父の顏を見た。父も自分の顏を見たので、父と子との視線は眞ん中で突き當つたが、父の方から先に眼を外らした。

「しんによた、よたア、……」

平七は低い聲で唱ひ出したが、やつと膝の下の煙管を見付け出して一服吸ふと、

「旦那、例の件は早速話付けて來まツさかい、わたへんとこへも、まア一遍來とくなはれ。……土筆の姉さんの佃はおまへんけど、酒は樽に一杯おます。坊んち、坊んちもお父つあんと一所においなはれ。」と、言ひ/\、そろ/\去にさうにした。

Chapter 2 of 5
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