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途上
嘉村礒多
六里の山道を歩きながら、いくら歩いても渚の尽きない細長い池が、赤い肌の老松の林つゞきの中から見え隠れする途上、梢の高い歌ひ声を聞いたりして、日暮れ時分に父と私とはY町に着いた。其晩は場末の安宿に泊り翌日父は私をY中学の入学式につれて行き、そして我子を寄宿舎に托して置くと、直ぐ村へ帰つて行つた。別れ際に父は、舎費を三ヶ月分納めたので、先刻渡した小遣銭を半分ほどこつちに寄越せ、宿屋の払ひが不足するからと言つた。私は胸を熱くして紐で帯に結びつけた蝦蟇口を懐から取出し、幾箇かの銀貨を父の手の腹にのせた。父の眼には涙はなかつたが、声は潤んでゐてものが言へないので、私は勇気を鼓して「お父う、用心なさんせ、左様なら」と言つた。眼顔で頷いて父は廊下の曲り角まで行くと、も一度振り返つてぢつと私を見た。
「おい君、君は汁の実の掬ひやうが多いぞ」
と、晩飯の食堂で室長に私は叱られて、お椀と杓子とを持つたまゝ、耳朶まで赧くなつた顔を伏せた。
当分の間は百五十人の新入生に限り、朝毎をかしいぐらゐ早目に登校して、西側の控所に集まつた。一見したところ、それ/″\試験に及第して新しい制服制帽、それから靴を穿いてゐることが十分得意であることは説くまでもないが、でも私と同じやうに山奥から出て来て、寄宿舎に入れられた急遽な身の変化の中に、何か異様に心臓をときめかし、まだズボンのポケットに手を入れることも知らず、膝坊主をがたがた顫はしてゐる生徒も沢山に見受けられた。一つは性質から、一つは境遇から、兎角苦悩の多い過去が、ほんの若年ですら私の人生には長く続いてゐた。それは入学式の日のことであるが、消魂しいベルが鳴ると三人の先生が大勢の父兄たちを案内して控所へ来、手に持つた名簿を開けていち/\姓名を呼んで、百五十人を三組に分けた。私は三ノ組のびりつこから三番目で、従つて私の名が呼ばれるまでには夥しい時間を要した。或は屹度、及第の通知が間違つてゐたのではないかと、愬へるやうにして父兄席を見ると、木綿の紋付袴の父は人の肩越しに爪立ち、名簿を読む先生を見詰め子供の名が続くかと胸をドキつかせながら、あの、嘗て小学校の運動会の折、走つてゐる私に堪りかねて覚えず叫び声を挙げた時のやうな気が気でない狂ひの発作が、全面の筋肉を引き吊つてゐた。その時の気遣ひな戦慄が残り、幾日も幾日も神経を訶んでゐたが、やがて忘れた頃には、私は誰かの姿態の見やう見真似で、ズボンのポケットに両手を差し、隅つこに俯向いて、靴先でコト/\と羽目板を蹴つて見るまでに場馴れたのであつた。二年前まではこの中学の校舎は兵営だつたため、控所の煉瓦敷は兵士の靴の鋲や銃の床尾鈑やでさん/″\破壊されてゐた。汗くさい軍服の臭ひ、油ツこい長靴の臭ひなどを私は壁から嗅ぎ出した。
日が経つにつれ、授業の間の十分の休憩時間には、私は控所の横側の庭のクローウヴァーの上に坐つて両脚を投げ出した。柵外の道路を隔てた小川の縁の、竹藪にかこまれた藁屋根では間断なく水車が廻り、鋼鉄の機械鋸が長い材木を切り裂く、ぎーん、ぎん/\、しゆツ/\、といふ恐ろしい、ひどく単調な音に、そしてそれに校庭の土手に一列に並んでゐる松の唸り声が応じ、騒がしい濤声のやうに耳の底に絡んだ。水車が休んでゐる時は松はひとりで淋しく奏でた。その声が屡々のこと私を、父と松林の中の道を通つて田舎から出て来た日に連れ戻した。受験後の当座は、毎晩父が風呂に入るとお流しに行く母の後について私も湯殿に行く度、「われの試験が通らんことにや、俺ア、近所親類へ合す顔がないが」と溜息を吐き、それから試験がうかればうかつたで、入学後の勉強と素行について意見の百万遍を繰返したものだのに、でも、あの松林を二人ぎりで歩いて来た時は、私の予期に反して父は何ゆゑ一言の忠言もしなかつたのだらう? その場合の、無言の父のはうが、寧ろどんなにか私の励みになつてゐた。
何かしら斯様な感慨が始終胸の中を往来した。私は或時舎生に、親のことを思へば勉強せずにはをられん、とつい興奮を口走つて、忽ちそれが通学生の耳に伝はり、朝の登校の出合がしら「やあ、お早う」といふ挨拶代りに誰からも「おい、親のことを思へば、か」と揶揄されても、別に極り悪くは思はなかつた。夜の十時の消燈ラッパの音と共に電燈が消え皆が寝しづまるのを待ち私は便所の入口の燭光の少い電燈の下で教科書を開いた。それも直ぐ評判になつて、変テケレンな奴だといふ風評も知らずに、口々に褒めてもらへるものとばかり思ひ込み、この卑しい見栄の勉強のための勉強を、それに眠り不足で鼻血の出ることをも勉強家のせゐに帰して、内心で誇つてゐた。冷水摩擦が奨励されると毎朝衆に先んじて真つ裸になり釣瓶の水を頭から浴びて見せる空勇気を自慢にした。
西寮十二室といふ私共の室には、新入生は県会議員の息子と三等郵便局長の息子と私との三人で、それに二年生の室長がゐたが、県会議員や郵便局長が立派な洋服姿で腕車を乗り着けて来て室長に菓子箱などの贈物をするので、室長は二人を可愛がり私を疎んじてゐた。片輪といふ程目立たなくも室長は軽いセムシで、二六時中蒼白い顔の眉を逆立てて下を向いて黙つてゐた。嚥み込んだ食べものを口に出して反芻する見苦しい男の癖に、反射心理といふのか、私のご飯の食べ方がきたないことを指摘し、口が大きいとか、行儀が悪いとか、さんざ品性や容貌の劣悪なことを面と向つて罵つた。私は悲しさに育ちのいゝ他の二人の、何処か作法の高尚な趣、優雅な言葉遣ひや仕草やの真似をして物笑ひを招いた。私の祖父は殆ど日曜日毎に孫の私に会ひに来た。白い股引に藁草履を穿いた田子そのまゝの恰好して家でこさへた柏餅を提げて。私は柏餅を室のものに分配したが、皆は半分食べて窓から投げた。私は祖父を来させないやうに家に書き送ると、今度は父が来出した。父の風采身なりも祖父と大差なかつたから、私は父の来る日は、入学式の前晩泊つた街道筋の宿屋の軒先に朝から立ちつくして、そこで父を掴まへた。祖父と同様寄宿舎に来させまいする魂胆を感附いた父は、「俺でも悪いといふのか、われも俺の子ぢやないか、親を恥づかしう思ふか、罰当りめ!」と唇をひん曲げて呶鳴りつけた。とも角、何は措いても私は室長に馬鹿にされるのが辛かつた。どうかして、迚も人間業では出来ないことをしても、取り入つて可愛がられたかつた。その目的ゆゑに親から強請した小遣銭で室長に絶えず気を附けて甘いものをご馳走し、又言ひなり通り夜の自習時間に下町のミルクホールに行き熱い牛乳を何杯も飲まし板垣を乗り越えて帰つて来る危険を犯すことを辞しなかつた。夜寝床に入ると請はるゝまゝに、祖父から子供のをり冬の炉辺のつれ/″\に聞かされた妖怪変化に富んだ数々の昔噺を、一寸法師の桶屋が槌で馬盥の箍を叩いてゐると箍が切れ跳ね飛ばされて天に上り雷さまの太鼓叩きに雇はれ、さいこ槌を振り上げてゴロ/\と叩けば五五の二十五文、ゴロ/\と叩けば五五の二十五文儲かつた、といつた塩梅に咄家のやうな道化た口調で話して聞かせ、次にはうろ覚えの浄瑠璃を節廻しおもしろう声色で語つて室長の機嫌をとつた。病弱な室長の寝小便の罪を自分で着て、蒲団を人の目につかない柵にかけて乾かしてもやつた。斯うしてたうとう荊棘の道を踏み分け他を凌駕して私は偏屈な室長と無二の仲好しになつた。するうち室長は三学期の始頃、腎臓の保養のため遠い北の海辺に帰つて間もなく死んでしまつた。遺族から死去の報知を受けたものは寄宿舎で私一人であつた程、それだけ私は度々見舞状を出した。室長の気の毒な薄い影が当分の間は私の眼先にこびりついてゐた。が、愕然としてわれに返ると、余り怠けた結果、私は六科目の注意点を受けてゐたので、俄に狼狽し切つた勉強を始め、例の便所の入口の薄明の下に書物を披いて立つたが、さうしたことも、何物かに媚び諂ふ習癖、自分自身にさへひたすらに媚び諂うた浅間しい虚偽の形にしか過ぎないのであつた。
辛うじて進級したが、席次は百三十八番で、十人の落第生が出たのだから、私が殆どしんがりだつた。
「貴様は低能ぢやい、脳味噌がないや、なんぼ便所で勉強したかつて……」
学年始めの式の朝登校すると、控所で一と塊になつて誰かれの成績を批評し合つてゐた中の一人が、私を弥次ると即座に、一同はわつと声を揃へて笑つた。
二年になると成績のよくないものとか、特に新入生を虐めさうな大兵なものとかは、三年生と一緒に東寮に移らなければならなかつたが、私は運よく西寮に止まり、もちろん室長でこそなかつたにしろ、それでも一年生の前では古参として猛威を揮ふ類に洩れなかつた。室長は一年の時同室だつた父親が県会議員の佐伯だつた。やはり一年の時同室だつた郵便局長の倅は東寮に入れられて業腹な顔をしてゐた。或日食堂への行きずりに私の袖をつかまへ、今日われ/\皆で西寮では誰と誰とが幅を利かすだらうかを評議したところ、君は温順さうに見えて案外新入生に威張る手合だといふ推定だと言つて、私の耳をグイと引つ張つた。事実、私はちんちくりんの身体の肩を怒らせ肘を張つて、廊下で行き違ふ新入生のお辞儀を鷹揚に受けつゝ、ゆるく大股に歩いた。さうして鵜の目鷹の目であらを見出し室長の佐伯に注進した。毎週土曜の晩は各室の室長だけは一室に集合して、新入生を一人々々呼び寄せ、いはれない折檻をした。私は他の室長でない二年生同様にさびしく室に居残るのが当然であるのに、家柄と柔道の図抜けて強いこととで西寮の人気を一身にあつめてゐる佐伯の忠実な、必要な、欠くべからざる腰巾着として鉄拳制裁や蒲団蒸しの席につらなることが出来た。一番にも二番にも何より私は佐伯の鼻意気を窺ひ、気に入るやう細心に骨折つてゐた。
或日、定例の袋敲きの制裁の席上、禿と綽名のある生意気な新入生の横づらを佐伯が一つ喰はすと、かれはしく/\泣いて廊下に出たが、丁度、寮長や舎監やの見張番役を仰付かつて扉の外に立つてゐた私は、かれが後頭部の皿をふせたやうな円形の禿をこちらに見せて、ずんずん舎監室のはうへ歩いて行つたのを見届け、確かに密告したことを直観した。私はあとでそつと禿を捉へ、宥め賺し、誰にも言はないから打明けろと迫つて見たが、禿は執拗にかぶりを掉つた。次の日も又次の日も、私は誰にも言はないからと狡い前置をして口説いたすゑ、やつと白状させた。私はほく/\と得たり顔して急ぎ佐伯に告げた。赫怒した佐伯に詰責されて禿は今度はおい/\声を挙げて泣き出し、掴まへようとした私から滑り抜けて飛鳥のやうに舎監室に走つた。三日おいて其日は土曜の放課後のこと、舎監室で会議が開かれ、ピリ/\と集合合図の笛を吹いて西寮の二年生全部を集めた前で、旅行中の校長代理として舎監長の川島先生が、如何に鉄拳制裁の野蛮行為であるかを諄々と説き出した。川島先生が息を呑む一瞬のあひだ身動きの音さへたゝず鎮まつた中に、突然佐伯の激しい啜り泣きが起つた。と、他人ごとでも見聞きするやうにぽツんとしてゐた私の名が、霹靂の如くに呼ばれた。
「一歩前へツ!」休職中尉の体操兼舎監の先生が行き成り私を列の前に引き摺り出した。
「き、き、君の態度は卑怯だ。甚だ信義を欠く。た、た、誰にも言はぬなんて、実ーに言語道断であるんで、ある。わすはソノ方を五日間の停学懲戒に処する。佐伯も処分する考げえであつたが、良心の呵責を感ずて、今こゝで泣いだがら、と、と、特別に赦す!」
二度といふ強度の近眼鏡を落ちさうなまで鼻先にずらした、鼠そつくりの面貌をした川島先生の、怒るとひどく吃る東北弁が終るか、前前日の午前の柔道の時間に肩胛骨を挫いて、医者に白い繃帯で首に吊つて貰つてゐた腕の中に私は顔を伏せてヒイと泣き出したが、もう万事遅かつた。私は便所の近くの薄縁を敷いた長四畳に弧坐して夜となく昼となく涙にむせんだ。自ら責めた。一切が思ひがけなかつた。恐ろしかつた。便所へ行き帰りの生徒が、わけても新入生が好奇と冷嘲との眼で硝子へ顔をすりつけて前を過ぎるのが恥づかしかつた。誰も、佐伯でさへも舎監の眼を慮つて忌憚の気振りを見せ、慰めの言葉一つかけてくれないのが口惜しかつた。柔道で負傷した知らせの電報で父が馬に乗つて駈付けたのは私が懲罰を受けた前日であるのに、そして別れの時の父の顔はあり/\と眼の前にあるのに、一体この始末は何んとしたことだらう。私は巡視に来た川島先生に膝を折つて父に隠して欲しい旨を頼んだが、けれども通知が行つて父が今にもやつて来はしないかと思ふと、もう四辺が真つ黒い闇になり、その都度毎に繃帯でしばつた腕に顔を突き伏せ嗚咽して霞んだ眼から滝のやうに涙を流した。