Chapter 1 of 4

「黄櫨成レ列隴※間 南望平々是海湾 未レ至二栄城一三五駅忽従リ二林※一得タリ二温山ヲ一。」

とはこれ頼山陽が「見温仙岳」の絶句――この詩を誦し去りて、われらは先づ肥前の国に入る。「温泉はちまき、多良頭巾」といふこと、これをその国のある地方にて聴く、専ら雲の状を示せるもの、おもしろき俚諺ならずや。温泉岳と、多良岳と、かれに焦熱の地獄あれば、これに慈悲の精舎あり、これに石楠花の薫り妙なれば、かれに瓔珞躑躅の色もゆるがごとし、一は清秀、他は雄偉、ともに肥前の名山たることはしばしば世に紹介せられたりし、かつ題目の制限を超ゆるあたはざれば、これより直に、北のかた、松浦あがたの空を望まむかな。

南、島原半島の筑紫富士(温泉岳)と遥にあひたいし、小城と東松浦との郡界の上に聳え、有明海沿岸の平野を圧するものを天山――また、あめやまともいふ――となす。この山ことに高しとにはあらざれども、最はやく雪を戴くをもて名あり。蓋しその絶巓は玄海洋をあほり来る大陸の寒風の衝くに当ればなり。

更に転じて西松浦の郡界に到れば、黒髪山の擅に奇趣を弄ぶあり、巉巌むらがり立てるはこれ正に小耶馬渓。いにしへ大蛇あり、その箏のごとき巌に纏ふこと七巻半、鱗甲風に揺き、朱を濺げる眼は天を睨む、時に鎮西八郎射てこれを殪し、その脊骨数箇を馬に駄す、その馬重きに堪へず、嘶いて進まざりしところ、今に駒鳴峠の名を留めたり。

黒髪山の近くに源を発するもの、有田川あり、伊万里川あり、松浦川あり、その流域は「松浦あがた」のうち最主要なる部に属す。有田川は西南に流れて皿山を過ぐ。ここははやくより、磁器の製造をもて、その名世に布く。いはゆる有田焼の名産を出すところなり。維新の前、藩侯の通輦あるや、毎に磁土を途に布きて、その上に五彩を施せしといふ、また以て、窯業の盛なるを想ふに足るべし。

次に伊万里川は北に流れ、大河内の近くを過ぎ、伊万里町を貫き、有田川の末とおなじく、牧島湾に注ぐ。大川内は「御用焼」もて知られしところ、今はたゞ蕭条たる一部落の煙を剰すに過ぎず。伊万里町は殷賑なること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。ロングフェロオが「ケラモス」と題したる詩のうちに、世界の窯業地としてその名をかずまへ、うるはしき詞もて形容せる数行の句は聊か現今の衰勢を慰むるに足りなむか。町の一端に岩栗神社あり、孝元天皇第四の皇子を奉祀す。天平のむかし藤原広嗣一万余騎の兵を嘯集し、朝命に乖き、筑前、板櫃川に拠る、後やぶれて、松浦郡なる値嘉島に捕へらる。時の副将車、紀飯麻呂この地に到り、祭壇を設けて紀氏の祖を祀りしに創れりと伝ふ。因にいふ伊万里の名称は飯麻呂の転訛なりと、いかゞあるべき。

いかづち夕に天半を過ぐ、烏帽子、国見の山脈に谷谺をかへせしその響は漸く遠ざかれり、牧島湾頭やがて面より霽れたれども、退く潮の色すさまじく柩を掩ふ布のごとき雲の峯々の谷間に埋れゆくも懶げなり。くしや、この黄昏の空より吹きおろす秋風は遽に万点の火を松浦富士(越岳)の裾野に燃しいでたる。焔は忽ち熾なり、とみれば、また、かつがつうちしめて滅し去る、怪みて人に問へば、これ各わが家の悲しき精霊の今宵ふたたび冥々の途に就くを愴み、そが奥津城どころに到りて「おくり火」焚くなりと教へられし一夜をわれは牧島村長の小高き阜の上の家に宿りたりし。

いで、次に松浦川の流はそも如何なる風色をか呈し来る。伊万里の東二里ばかり、桃川の宿あり。南より流れ落る水は滝つ瀬をなしたるが、ここにて、その響のたゞならぬを聴く、これ松浦川の上流。

山間の冷気は夜松浦川の渓を襲ひ、飽くまで醸しなされたる狭霧は恰も護摩壇の煙のごとし。そが中に屡々悪魔のごとき黒山の影の面を衝いて揺くに駭きつ。流を左に沿ひて大河野に到り、右に別れて駒鳴の宿に入るや既に深夜を過ぎたり。駒鳴峠の嶮坂を越ゆれば、松浦川の支流なる波多川の沿岸に下るをうべし、われは新開の別路を択べり。篝火の影の濃き霧に映ずるところ、所々に炭坑を過ぐ。夜はいまだ明けざるなり。途にて荷車を曳きゆく老爺と、うらわかき村の乙女の一隊との唐津へ出づるに遇ふ。我は太だ力めたりといへども、こころよく笑ひゆく彼等に続くあたはずして、独のこされしことの殆夢のごとかりき。いな、これより二時ばかりを熟睡のうちに過したるなり、醒むれば雑草ふかく鎖せる、荒屋の塵うづたかき竹椽の上に横れる。

ああ、まのあたり何等の活図画ぞや! 今や天地は全く暗黒の裡を脱して明麗なる朝の景を描き出だす。簇々とまろがりゆく霧のまよひに、対岸の断崖は墨のごとく際だち、その上に生ひ茂る木々の緑の霑へる色は淀める水の面なづる朝風をこころゆくばかり染めなしたり、川くまを廻り来る船は苫をかかげて、櫓声ゆるく流を下す、節おもしろき船歌の響を浮べ、白き霧は青空のうちにのぼりゆく、しかも仍朝日子の出でむとするに向ひてかの山の端を一抹したる、看るからに万物生動の意はわが霊魂を掩へる迷妄の雲をかき払ひて我身宛ら神の光のなかに翔りゆくここちす。すなはち自然の秘をさぐる刻下の楽は、わがつかれとうゑとを忘れしめたるなり。ややあれば、瑠璃の艶あざやかなる朝顔の籬の下を走りくる童あり、呼びとどめ、所の名を問へば久保と答ふ。地図に就て案ずれば、ここより唐津に到るにはなほ三里を余す。前なる流は正しく松浦川の下流。

佐賀市を距る十数里、小城を通ぜる国道と会し、往方は坦かなること砥のごとく、しばらくにして牟田部をすぐ、ここも炭坑のあるところなり。松浦川もまた養母田にて波多川の水と合し、夕日山の麓にそひ、幾多雅趣ある中洲をめぐり来り、満島の岸を洗ひ、舞鶴城の残趾を噛みて、つひに松浦潟に注ぐ。

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