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夢は呼び交す ――黙子覚書――
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夢は呼び交す ――黙子覚書――
蒲原有明
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 9 of 11

磁気嵐

透谷の『蓬莱曲』が出た。鶴見の回想は今この本のイメエジをめぐって渦動をはじめるかに見える緩やかな曲線をえがいている。この『蓬莱曲』が出たという事実は、古い伝説が語るところの、江水の流れからあらわれた大きな亀が、その背に負うていたという、あの河図に比すべきものであったかも知れない。しかるにそれはどうであろう。質素極まる仮表装で、一点の飾もない白と黒とが、まるで何かの喪に籠っているように思われる。『蓬莱曲』というのは正にそんな本であった。しかもこっそりと世の中に出たのである。

鶴見は中学に通うようになってから、毎日数寄屋橋をわたって、銀座尾張町の四辻を突切って行く。そしてこんなことを思っている。「おれの足はきょうも透谷の住んでいる家の前の舗道を踏んできたのだ。」こう思って、それをひそかに誇りとしていた。そんな日もあったのである。

透谷の家というのは、銀座通りよりもむしろ数奇屋河岸の方に近よっていたかと思う。河岸から来れば左側の小さな角店で、煙草をひさいでいた。そういう店の奥に将来を期待される詩人が世に容れられずにしじまっているということを、少年の心にはまだ不思議とも思わずにいられた。彼はただ詩人という呼声に酔わされていたのである。

北村透谷の『蓬莱曲』がその頃出た新刊書の一つである仮表装の素朴な本であることはすでに述べた。恐らく二、三十銭そこそこで売っていたのだろう。それにもかかわらず鶴見はその本をどうして手に入れたものかとその算段に数日心を悩ました。余裕のない家庭では二、三十銭といっても大金である。欲しいもの読みたいものもあるが、その位の小遣銭も貰えない状態では何事も思いとまるより外はない。すべてがそんな風で、少年の知識欲は常に抑えられていた。妙に偏屈な性癖がかれにこびりついている。その原因がどこにあったか、それは最早問わずとも知れたことである。そう思って見て、伸び伸びと生い立ち得なかった性情を、かれは一生の終りになって、自ら顧みて自ら憐んでいるのである。

『蓬莱曲』は幸いに同級生の一人が買って持っているのを知った。鶴見はそうと知った上は、少しも遅疑せずに、その友人の家へ出掛けて行った。本は貸してくれるという。同級というだけで、ふだん余りに言葉も交わさないでいた間柄であったが、読みたさの一念から学校帰りに臆面もなく、その家を尋ねて行ったのである。

その友人は須藤といった。姓だけおぼえているに過ぎない。家は学校から間近の采女町にあった。医家で、その当時は随分と門戸を張って繁昌していた。薬局に使っている部屋も広く、若い人たちが大勢立ち働いて、調剤に忙がしい。その合間に「坊ちゃん、どうですね。あれからどうしました。面白いことがあったでしょう」などといって、友人の須藤の顔をのぞいて、ちょっとからかう、その賑やかさ。鶴見がひょっくり尋ねて行った時に、友人はたまたまこの薬局に出て来て、若い人々にたちまじって話しあっていたのである。

鶴見は須藤の姿を見て、いきなりこういった。「きょうは学校を休んだね。病気か。」

「うん。ちょっとばかり体の工合がわるかったのだ。たいしたことはないよ。」

「そうか。そんなら好いが。」無愛想な受け答をしていた鶴見は、それから案内されるままに奥へ通った。

奥の八畳に病床が温かそうにしつらえてある。綿を厚く入れた蒲団にくるまって休養していられる身分である。どこといって格別悪いらしくもないが、どうしたものかたびたび寝るくせがついている。学校の方も欠席がちになる。須藤も好箇の若者であるが惜しいことには体が弱い。鶴見はそう思ってあたりを見まわした。

室内は適度に保温されて、床脇の違い棚の上に華奢な鶯の籠が載せてある。鶴見にはそれがこの室の表象ででもあるように目立って見えた。鶯は籠の中を時計の振子のようにあちこちと動いている。

「鶯は鳴きますか。」鶯は動いてはいたが鳴きはしなかった。それにひかされて、ついこんな間の抜けた口をきいたが、それが愚問であるのに、すぐ気が附きはしたものの弁解がましいことはしたくなかった。友人は寂しく笑った。

須藤は背は高かったがひどく痩せぎすなたちで、前歯が虫に食われて味噌歯になっている。

その味噌歯がこの男の面貌に愛敬を添えていた。それでも寂しく笑った時に、鶴見はそこに若者らしくない窶れを見て取った。

鶯によい鳴きぐせをつけるにはその方法がいろいろある。その躾かたについての話を一わたりきかされた。「何につけても修行が大切だね。」鶴見はそういおうとして、遂にその言葉を口に出さずにしまった。

鶯の修行の話を長閑にして、こうやって静かに寝ていられるところを見ると、友人はもはやこの家の立派な若主人である。そしてそれに相応した待遇を受けている。鶴見がこういうような生活ぶりを見たのは始めてである。しかしこの時は、学生の身分としての生活ぶりに懸隔の差が余りに多かったせいか、ただもの珍らしいと思ったばかりで、別段の感情は起さなかった。

須藤はそういう家庭に育っただけに、どことなく貴族的で、わざとらしくない品位が具っていた。ただその様子を見ていると、次第に迫ってくる暗い影が、かれの身に落ちかかっているようにも思われる。それが果して倦怠であろうか、絶望的な苦悩であろうか、そんなことが鶴見に分ろうはずもない。鶴見はこの友人が体がもっと強かったらばと思ったのみであった。

鶴見はそんな友人から透谷の『蓬莱曲』を借りて来たのである。かれのためには、ここに新しい友人を一人得たというよりも、新しい書によって、透谷その人に深く親しむことができたという方が適切である。

『蓬莱曲』はもちろんすぐに読みおわった。そして感激した。

『蓬莱曲』を読むと、『マンフレッド』が自然に思い浮べられる。バイロンも気随気儘な生活を送っていた。そしてあの図抜けた旺盛な気力を養っていた。鶴見はまたここに至って、この書を貸してくれた友人のおもかげを、かれのえがいている妄想のなかでちらと見た。須藤に体力がもっとあればと惜しんだのも、そのためであったかとも疑った。須藤をバイロン卿にあやからしめようとするのではない。そんなことを思いつくというだけでも痴けたことである。鶴見はそれを知らぬではない。知ってなおかつ他愛もない狂想を追うているのである。かれはこの弱な無名の若者の中に、その身を覆うていると想像される暗い影の中に、あの反抗心と絶望的な苦悩を持っているバイロン卿をえがこうとするのである。無理無体なことではあるが、かれはこの若者を傭って、仮托してまでも、バイロン卿のえらさを現前したかった。要するにこの若者を憑座に据えてこの大詩人の乗り移る魂の声を聞こうとしたのである。鶴見にはどうかするとこういうような考え方をして、情感の一時の満足を得ようとする妙な気まぐれがある。

鶴見はしばらくうつけた考に耽っていたが、何のかかわりもないのに、仮托の役に使われたこの若者こそ迷惑なことである。透谷の『蓬莱曲』がとんだ罪を作った、そう気がついて見ると、鶴見は心のうちでこの友人に対して、すまぬことを考えていたと詫びるより外はなかった。

透谷には『蓬莱曲』以外に、少し後になって出したものに『宿魂鏡』がある。観念小説だという評判がわけもなく鶴見少年の心を打った。かなりむずかしい短篇である。これもやはり『国民之友』の附録に載せられたものである。心理の藪がその下に通ずる路を暗くしていた。少年の好奇心がその迷路をおぼつかなくもたどらせた。そんな記憶が残っている。透谷のもので、今一度読み返してみたい作品の一つである。

鴎外はトルストイと同様に英国人を嫌った。その点から推しても、本国に愛想をつかしたバイロンにある程度の関心を持っていたにちがいない。すでに『マンフレッド』首齣の数十句の訳がある。そうかといって、バイロニズムには頓著するところがなかった。バイロンその人というところのバイロニズムとは別物である。無分別な鶴見にそんなわけが弁えられるはずはなかった。

『浴泉記』が出た。鴎外の実の妹に当る小金井喜美子の訳筆である。一ころ露西亜をバイロニズムが風靡した。そういう時代の世相をえがいたものである。うぶな少年にはその反社会的な行動が深刻に見なされて、矯激な思想の発揚に一種の魅惑を感じた。こんな深刻味のあるものを一女性の繊手に委せて夫子自らは別の境地に収まっている。鴎外はなぜそんな態度を取っているのだろう。バイロニズムに浮かされかかっていた少年にはそれ相応な幼稚な不満があって、それが一廉の見識でもあるかのように思いなされるのである。

鶴見少年にも思想らしいものが、内から甲を拆いて芽ぐんでいる。そこに見られるのは不満の穎割葉である。かれはいつのまにか生意気になってきた。

そのうちに中学の業を終える。明治二十五年である。少年期から青年期に入る。事の順序は表面平穏に推移するが、少年から青年に経過するその間の変遷は実際には驚くべきものがある。ただ一線を劃するのでなくして、平地に山のような波瀾を起すのである。別天地に入るのである。

性慾がはじめて問題になる。性慾は止むに止まれぬ本能の発露である。思想などとは違って徐々に進行するものではない。突如として湧いて出てくる。それが青年期の特調をかたちづくるのである。青年期への新入者は性慾を抑制する術を知らない。手綱をかけられぬ性慾は恣に荒れまわる。鶴見は最初から性慾道をそんな風に経験したのである。

恋愛と性慾とをしばらく別な物としてみれば鶴見には性慾があって恋愛は殆どなかったといって好い。あとから顧みて少しはなつかしいと思い出されることのあるのは、初恋のほんの取りつきばなの短期間だけである。その期間のみが恋愛の手ほどきであったかと思えば、それはそれなりで、あわれを誘う夢ともなる。当時流行の束髪で、前髪を切って垂らした額つき、眉と眉とが神経質を思わせて迫っているように見え、その上に黒目がちで眉毛の濃い、切れ長の瞼が、おのずからにあらわす勝気を、うら若い微笑の花がその匂いのなかで和らげている。夢の再現のうちに映ずるのは、そんな表情をもった円顔の少女である。

少女は継母の親戚のもので、ちょくちょく遊びにきていた。鶴見が接する唯一の女性がそこにあった。夢ではないが夢のように感ぜられる。かれはその淡々しい夢を懐に抱いて温めていたのである。それが習慣となったが、別に気にも留めないでいると、体のどこやらがむずむずしてくる。何ものかが次第に浸み込んでくるようにも思われ、また何ものかが生れ出ようとして悩んでいるようにも思われる。抱いた夢は雛を孵えさねばならない。それがどんな雛であるか、かれはまだそれを問うてみようともしなかった。

その少女というのは他家へはやくから養女に貰われていたのである。最近にその家でどういう事情があったのか、それは知らされていなかったが、叔母がその少女を見てやることに話が決って、鶴見の家に預けられた。そんなわけで、これまでたまたまに遇っていた少女と毎日顔を合わせるようになる。禍機はそこに潜んでいた。盲目の性慾は時を得顔にその暗い手を伸して、かれを未知のすさんだ道に押遣った。

急に発動した性慾の前には自もなく他もなかった。ただ情熱のうちに一つにならねばならぬという念慮のみが残されている。この強引な性慾の醜さを見せつけられて、少女はうるさく思ったにちがいない。それでも少女はこらえていた。見さかいがつかなくなった鶴見である。それからというもの、かれは本能の獣性の俘となって、牽かれゆくままに行動した。

折からの季節は真夏であった。あたりには白熱の光線が満ち溢れている。その中にあって鶴見の性慾は更に激しく燃えたった。そこには枝葉を繁らす樹木もなく濶達な青空もない。すべては発火点に達して、夢中になって狂躁曲を奏しているようにしか見えない。その光景は正に迷妄世界の大火災を思わせるが、鶴見にはもうそう思ってみる余裕すらない。どこを見てもかれの見るところに性慾の焔が燃え移ってゆくのである。

時が変化をもたらした。少女は縁があって結婚した。しかしどうした理由があったものか、結婚後半年もたたぬうちに戻されて、今度は兄の家へ引き取られた。この兄というのは軍籍にあったので、日清戦争後は小倉の師団に転任させられた。少女もまた兄の赴任に随いて小倉へ行った。

鶴見は兵役関係で父の郷里の本籍地へ行き、不合格を言い渡されてからもなお滞留していた。それから足掛け三年もぐずぐずしていたが、いよいよ帰京することに決して国許を出発し、途中小倉に立寄った。鶴見はここで久しぶりに往年の少女と遇うことになった。

この家の兄嫁というのはきさくな性分で、食事のおり、「これが東京でお世話になっていたときには大分面白いことがあったそうですね」といった。そういわれて、突然のことなので、ちょっと面はゆかったが、かれはその言葉をむしろ冷やかに聞き流してしまった。かれには一旦事が過ぎれば極めて冷淡にものをあしらう性癖がある。根本の執著心は深いけれども思いも寄らぬ冷淡さで過去を離れて現実に処してゆくことが出来た。諦らめでもなく仮装というのでもない。鶴見は自分にそういう性癖があるのを知り抜いていて、時には余りに冷やかすぎると思って悔むことさえある。

鶴見はこのたまたまの会見にも、些の感情をも動かさずに、それきりに別れてきた。

一つ思い出すことは、その小倉でその日に雪が降りだして、翌朝起きてみれば、めずらしくも二尺以上積っていたということだけである。

また時が立った。今度は歳月の間隔が長かった。その間に鶴見は父を亡い、その翌年には結婚していた。

或る日の晩方である。一人の比丘尼が訪れて来た。女中が「お比丘尼さまがお見えになりました」といって丁寧に取次いだ。会ってみると、姿を変えたさきの少女である。

小倉で発心して尼になり、小さな庵をもつことになったとは聞いていたが、こうやってじかにその姿を見るまでは、そのことを切実に考えていなかったといって好い。しかるに今まのあたりに変った比丘尼姿を見てさすがに感慨は無量に起ってきた。それでもなお感傷的にはならずにすましたことが、かれの心を一層平静にした。

尼はこういった。「わたくしも永平寺へ行って、思い立ったことでもあり、修行をして、こんどは正式に比丘尼のゆるしを貰って来ました」といった。尼は尼だけにあっさりしている。その晩は鶴見の供養を受けて一宿して、翌日は早々に九州へ立って行った。

また時が過ぎた。小倉で鉄道の方の工場に勤めていた親戚のたよりで、比丘尼は小庵にこもって相変らず行いすましていたが、病気があったと見えて、ある朝ところの人が尋ねていってみると、尼は畳の上にうつ伏せになって死んでいたというのである。大分苦しんだ形跡が見えるとも書き添えてあった。はかないことである。鶴見はこうして、とうとう本山から貰ってきたという、比丘尼の称号をすら知らずにすごしてしまった。かれはこんなことのあるたびに、性分とはいいながら、普通の人情に欠けたところのあるのを反省するのである。

鶴見はまた考えた。女の身の上ほど変化極りないものはない。自分などはやっとこれからというとき、女は既に人生の複雑な径路をたどって、最期の苦悩まで嘗め尽して、しかも孤独のまま死んでゆくのである。かれはそう考えながら、謎めいた女の一生をひそかに気味わるくも感じているのである。

鶴見が小倉で女に別れてきてから、幾年かは比較的に無事に過ぎた。その平康のなかからまた新たな性慾の経験がはじまって、かれは忘れ得ぬ苦しみを身を以て苦しみぬいた。かれはここに至って、その回想が一倍の冷静さを要求することを知った。身を以て苦しみぬいたという外に回想すべき何物をもそこに窺えないからである。如法の黒闇がすべてを領していた。経過した一々の事象も内心に何らの写象をもとどめていない。殆ど空無であるその心理状態を強いていえば、ただ「暗い」という一言で足りよう。目に見えぬものにも臭いはあろう。どんな臭いがするかと聞かれれば、「臭いはする。あの燐の一塊を空気中に放出しておけば、ふすふすと白煙を揚げて自燃作用を起す、そのおりに発散するむせるような臭い、そんな臭いがする」と答えるのが関の山である。

絶体絶命の性慾のさせる仕業である。それを徒に観念の上で弄んではいられない。鶴見はそう思ってひとり憮然とする。

回想がかれに要求するものは客観的な事象そのもののみである。勢い誰が見ていても誰が聞いていても、その通りだといわれる事柄の羅列に過ぎなくなる。この覚書とても冷静が要求されればされるほど、乾燥無味な叙述にならざるを得ない。

鶴見と目を見合せているのは貴族ともいわるべき家柄の女である。どんな冗談をいうときにも、すまして、さりげない風を装って、それがわざとらしく見えぬように取りつくろうことを瞬時も忘れない、そういう態度を匂い袋のように肌につけている女である。年は鶴見より五つも多い。恐らくは最初姫君として嫁いだであろう名誉あるその家にもいにくくなり、放恣に身を持ちくずして、困りもの我儘ものとして諸家に預けられ、無籍ものの浮浪にもひとしい生活をつづけていたことをも苦にせずに、かえってその境遇を利して自由に振舞って来た。この女にはそんな経歴がある。もともと竜造寺氏の出だという。家系の立派さに先ず驚かされる。

九州でも今の地理からすれば辺陬と称しても好い土地に祖先以来の屋形がある。小高い野づかさが縦に列んでいるのが特異な景観として目につきやすい。それが三つ、それぞれ何城と呼ばれて区別される。戦国時代の土豪の拠った砦跡である。その中央にある城あとに代々の屋形があって、ちょっとした壕も廻らしている。屋形のうしろに断崖がある。八重垣落しである。

八重垣というのはこの竜造寺家幾代目かの寵姫である。戦乱の収まって以来、戦勝者が本藩を建て、竜造寺家はその支藩の名の下にこの土地に封ぜられた。その八重垣姫には落度があった。それが無実であるかどうかは分らぬが、密通の重罪を負わされ、まる裸にさせられて馬の背にかき乗せられ、そして本藩の城下の町々を引まわされた。土地の人はそういう風に伝承している。鶴見はこの伝説を聞いたとき、テニスンに似寄りの詩があったことを想起した。テニスンの詩は、サアジェントとか何とかいったような、どこやらの市の長が妻の不倫に対する懲罰であったように記憶している。東西同事だと思う。

こうやって裸体のまま引廻された八重垣姫は、その城下から封地の屋形に連れ戻されることになり、馬は姫を載せて本居の城あとの見えるところまで進んできた。そこには一筋の川が流れていて、小さな渡船で人馬をわたすのである。馬からおろされた姫は向うに見える城あとの樹立をじっとながめていたが、遽に気をあららげて、腰に手をやって、「こんなものが今更何になる。益にもたたぬものは邪魔になるばかりだ」といった。その時擲げ棄てた一片の布を、ちょうど川岸に枝を伸していた松が受けとめたというのである。渡し場の目じるしとして立っていたその松は今に残っていて、脚布掛けの松と呼ばれている。

殿の屋形に著いてからの姫は日夜拷問の責苦に遇い、その果はとうとう屋形のうしろの断崖から突き落されてこと切れた。無慚な伝説であるが、伝説はまだ終らない。名家の屋形にはけちがついたのである。姫の怨念は八重垣落しの断崖のあたりをさまよっていて、屋形に凶事のある前には気味のわるい笑い声がしきりに聞え、吉事にはさめざめと哭くけはいがする。怨念というものを信じていた時代のことである。それがどれだけか、屋形の空気を暗くしていたことだろう。

明治維新後はさすがの名家も急劇に衰えた。それには世間の圧迫もあったには違いないが、この屋形の主君の所為が、専らその因をなしていたといっても好い。人の好い主君は、阿諛する旧臣下や芸人の輩に取巻かれて、徒に遊楽の日を送り迎えていた。またそれよりもわるいのは、いろいろの女性によって家庭の乱されたことである。禍の種はそこにあった。維新後二十年はそれでもどうやら因襲の生活をつづけていられたが、それを過ぎるといよいよ没落の時期が来た。露命をつなぐにさえ事欠くようになったのである。有志の人々が世話をして、毎日わずかばかりの米を出し合って、袋に入れて置く。その袋を昔でいえば屋形の若君がさびしい身なりをして、破れ草履をはいて、受け取りにくる。鶴見は国もとへ行っていたとき、その様子を傍からそっと見ていて、せっぱ詰った気の毒な事情を知っていた。そんな状態になるまでに落ちぶれたのである。

鶴見のかかり合ったという女はそんな乱脈な家庭で育てられて来たのである。こんな話も聞いた。まだ娘のころ、若い男と轡をならべて、田舎の畦道を馬で乗りまわして、百姓をおどろかした。嘘か本当か、そんな噂話も伝っている。一度久留米近傍のさる名家に嫁したが、その縁も長くはつづかずに出戻ってきた。その後は縁故のある諸家に転々と預けられた。どこでもその取扱に手を焼いたからである。鶴見の家がその最後の選に当ったのは鶴見の家が旧臣のことであり、鶴見の父親の厳格な性行が認められ、その上に家は閑散であり、そこに入れておけば、自然に茶道などの風雅な教養の下に好感化を及ぼすだろう、そんな望を抱いていた人たちから父は見込まれたのである。そしてその問題の女性を鶴見の家で余儀なく引受けた。それがはからずも鶴見に苦い閲歴を負わした端緒となったのである。

鶴見の相手になった女性の手ごわさは始から知れていたのであるが、それでいてどうしてもその悪関係を断ち切り難かったのは性慾のなす業であった。性慾は実は二人の間を繋いでいたのではなかった。もし繋いでいたならば、そのきずなをあるいは断ち切ることもできたのであろう。しかるに二人は性慾を別々の意味で享楽していたのである。その間に共通のきずなはなかった。鶴見の方には盲目の衝動あるのみで、相手には性慾に加工した手練手管があった。鶴見は好い加減にそれに乗せられていたのである。

肉は殺がれ骨は削られる。もうこれからどうして好いかわからない。破滅が目の前に見える。そこまで遂に押詰められたと観念していた矢先きに、たまたま一つの事件が起って来た。全体から見れば些細な事であるが、その事が鶴見を鋭く刺戟した。鶴見は目を醒した。その事が起ったばかりに彼は性慾の迷路を出ることが出来るようになったのである。かれは救われたのである。

鶴見の生涯に一の転機をもたらした事件というのはこうである。

或日のこと、鶴見は書見をしていた。机の上には開かれた一冊の書物が載っている。鶴見はその本の中で、南欧の美しい風景を心ゆくばかり眺めている。海のあなたにはあの有名な活火山が隠さねばならぬことが世にあろうかとばかり、惜しげもなく全姿をあらわした。その巓から吐き出す煙が風に靡いて静かに低く流されてゆくのがよく見える。悠々たる思いがする。ここの海港の盛り場は殊の外賑わしい。ナポリである。鶴見はその本の訳者とともにナポリの町をさまよい歩いて、情熱のにおいを嗅いでみる。

その時であった。鶴見が離れようとすればするほど纏りついてくる女の執拗さにあきれて、女の媚には応諾も与えずに、押黙って本を見ていた。女は激しい痙攣でも起したかのように、顫える手にいきなり鶴見の見ていた本を取り上げて、引き破って、座敷の隅に放りやった。

鶴見は女の行為に全く呆気にとられてしまって、咄嗟に言句も出ない。それから後どうしたかも知らない。それでいてその折読みさしていた書中の条下はよく覚えている。その一章には「人火天火」という小みだしがある。それがはっきりと思い出される。

この書の訳者は老母に読ませたい一心から活字をわざわざ四号にして、文章の段落に空白を置かず、追い込みに組んで印刷させた。活字を大きくしたために増加する頁数を節減しようとしたのである。そういうことがその本のどこかに断ってあった。

鶴見は訳者の孝道に感じ入った。それに対してかれの為すところは浅ましいかぎりである。かれはいよいよ慚愧した。

そういうことが一転機となって、鶴見は気を楽にした。それでもなお惰性になった性慾をかれはきっぱり打切りもせずにつづけていった。

女がこんなことをいった。「あなたのお父さんね、あんなむずかしい顔をしておいでだが、一度こんなことがあったの。」

鶴見は女の言葉に毒のあるのを悟った。見さかいというものを知らぬ女だから、別に毒を注すとも思わずに、無意識にそういったかも知れない。しかしかれはもはや女のために弁解してやる必要を少しも感じない。そして取り合いもしなかった。

父親は茶室に籠って茶道に精進している。そして宗匠から伝えられてくる手前を繰返し繰返し復習してから、控帳へ書き留めをする。それが殆ど毎日の仕事である。女が相手をする。名家の育ちだけあってものごしは上品で、言葉つきもやさしい。色は衰えたといってもまだ残んの春を蓄えている。面だちは長年の放埒で荒んだやつれも見えるが、目もと口もとには散りかけた花の感傷的な気分の反映がある。そういう女を茶室のうちに据えて見れば、艶めかしく風流でないこともない。

その女と共に鶴見の継母も相手になる。順番に炉の前で、複雑な手前をする。

継母もさる支藩邸の奥向きを勤めて、手もよく書けば歌道も一通り心得ている。継母はこの女を嫌っていた。その心理はよくわかる。父親は父親で、この母が手もうまく和歌も相応によむのを何か出来過ぎでもあるようにして嫌っていた。それも思えば口実であったろう。そして時々訪ねてくる歌の師匠の老人をも嫌っていた。

その老人があの今井克復翁である。大阪で、大塩平八郎の騒動のあったとき、惣年寄として火消人足を引きつれて大塩父子の隠家を取り巻き、そしてこの父子の最期を見届けたという、その人である。大家の生れでさすがに品位も備わり、濶達で古いことをよく記憶していた。中島広足とは姻戚であった。翁の夫人がたしか広足の娘であったように聞いていた。隣町に住んでいたので、短冊を背中に入れて気軽く訪ねてくる。弟子の家を廻り歩くのが何よりの楽しみであったらしい。若いおりは能楽に凝って、そのために大きな身代をなくしてしまったということである。翁の歌は『新古今』の伝統を守って、『万葉』を遠ざけ、桂園を疎外していた。翁は万葉張りを揶揄していた。鶴見が『万葉』を好んでいたのを感づいて知っていたからである。

うばたまの闇雲いそぐかごの中に

富士を見ながらむすこ行く見ゆ

これなどどうですと高笑いをして、翁は右の歌を書き示した。加茂季鷹の作だというのである。

父親がこの老翁を嫌うのは老翁その人を嫌うのではない。それが鶴見に分らぬでもなかった。

或時父はこういった。鶴見が父の晩酌の世話をしているおりであった。継母は留守であった。父は小姓でも抱えたような気になって、鶴見に世話をさせて喜んでいる。「あのなあ、うちのみきね、あれも困りものだ。それに」といいさして、老顔に深い皺を寄せる。いつにない父のうち解けようである。みきというのは継母の名である。鶴見は父のこの言葉を聞いて、その先きを恐れた。その先を聞くというのは如何にも辛かった。鶴見にはおおよそのことは分っている。それで別事にまぎらして、その話はそれなりに伏せてしまった。父親にはどこか女嫌いというところも見えていた。そんなこともあったのである。

父親は七十の古希に、国許で同士集まって、歌仙であったか、百韻であったか、俳諧を一巻き巻いた。それを書物にして配りたいという。書物は『八重桜』といった。鶴見が受合って、印刷させて、和綴の小冊子が出るようになった。端書きも添えておきたいという。鶴見が代筆をして、一枚ばかり俳文めいた文章を書いた。父は鶴見の文章を読んで、はじめて子供の文才を知って、少しは心を安めたようであった。鶴見はそれがうれしかった。

性慾の磁気嵐、人生の球体面に拡大する黒点、混迷と惑乱のみなもと、それもいつしか過ぎ去った。

鶴見はこういうことを夢みている。今一度童子となって、生みの母から、魔力にかかった昔々を聞いて、すやすやと長い眠りにつきたい。

厄落しということがある。夢もさっぱり落してしまったらばと、おりおり思う。それでもかれは夢から離れることもできず、夢もまたかれを離さない。

鶴見は例のとおり、ひとりで何かつぶやいている。

Chapter 9 of 11
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