Chapter 1 of 3

郊外にある例の小住宅向き二軒長屋。形ばかりの竹垣で仕切られた各々二十坪ほどの庭――霜枯れ時の寂寥さを想はせる花壇に、春の終りゆえ、色取り/″\の草花が咲き乱れてゐる。

その庭を、朝七時、両家の主人、目木と久慈とが、何れも歯楊枝をくはへ、手拭を、一方は肩にかけ、一方は腰に下げて、ぶら/\歩きまはつてゐる。

目木  どうも近頃の天気予報はなか/\よく当りますね。久慈  まだ、これで、どう変るかわかりませんよ。しかし、昨夕の様子ぢや、たしかに雨でした。目木  僕は、あの護謨の長靴を穿くとまつたく憂鬱を感じるんです。久慈  同感です。あれや、どう見ても靴の形をなしとらんですからね。(間)あなたは、歯麿は、何をお使ひですか。目木  僕ですか。僕はライオンです。家内が来るまではクラブでした。久慈  僕は、あべこべだ。へえ、さうですか。奥さんが来られてから……。目木  いや、さう云ふ訳ぢやありませんが、何時の間にか、さうされちまつたんです。別々にして置くのも面倒ですしね。まあ、どつちでも、僕は同じことなもんだから……。久慈  さう、さう。何処でも事情は同じと見えるなあ。奥さんが見えたのは、たしか去年の秋でしたね。はやいもんですね。目木  此処へ越して来てから間もなくでした。此処へ来た当座は、あなたがた御夫婦の生活を、なんと云ひますかな、一種の好奇心を以て眺め暮したものです。久慈  さう云へば、その頃は、こちらも遠慮があつて、御交際も差控へてゐたやうな訳だつたんですが……。お母さんはその後お達者ですか。目木  国の方で、兄哥の家の台所を手伝つてゐますよ。久慈  どうです、近頃は、大分結婚生活の何ものたるかを解して来られたでせう。目木  解して来ましたなあ。大いに解して来ました。それにしても、あなたがたは、平和そのものゝやうな毎日を過してをられる。見てゐて一寸羨しいですよ。久慈  冗談云つちやいけません。夫婦生活も六年続けば、お互に要領を飲み込んで、つまり諦めるところは諦めてしまつて、ぢたばたしなくなる。たゞそれだけのことですよ。目木  いや、そんなことはない。第一、あなたのところの奥さんは、どこと云つて点の打ちどころはないぢやありませんか。朝は御主人よりも早く起きてちやんとするだけのことはなさるし。久慈  あなたのところの奥さんは、あの若さと、あの健康さで、自然の美しさを……。目木  よして下さい。そんな事をおつしやると、今、寝床の中で黙つてそれを聞いてゐて、何かの時に利用しますよ。あなたのところの奥さんは、夕方から雨が降り出すと、停車場へ傘を持つて迎へに来られる。僕は、それを何度も見かけました、処が、家の奴にそれを云ふと、自分で傘を持つて行かないのが悪いんだと云ふんです。そんなことをすると癖になる。どうせ雨が降れば傘を持つて迎へに来るんだからつて、雨が降りさうな時でも、傘を持つて行かなくなると云ふんです。外へ出る時は、帰りに雨が降るものと思へ――かうなんです。久慈  それで毎日蝙蝠傘を持つて行かれるんですね。目木  でも、僕は、雨に濡れると、世の中がつまらなくなるんです。久慈  それやね、奥さんがあなたに甘えてをられるんですよ。決して我儘と云ふわけぢやない。その証拠に、あなたが雨に濡れて帰られたやうな時は、きつと、普段よりも優しく着物を着替へる手伝をなさるでせう。女にはさういふ一面がありますよ。目木  なにさうでもありませんよ。一度なんか、自分で火を起して洋服を乾せつて云ふんです。おれは草臥れてるんだつて云ふと、そんなら明日は濡れたまゝ着てらつしやいですとさ。久慈  ですが、まあ、それは、あなたみたいに、若い美しい細君を持つた者の務めだと思つて、せい/″\我慢なさい。

奥より、久慈の妻文子の声で―――

声  あなた、御湯を取りましたよ。久慈  あゝ。目木  お湯か……。いゝなあ。久慈  ぢや、一寸顔を洗つて来ます。

久慈、奥に去る。

目木、憮然としてその後を見送り、また思ひ出したやうに歯を磨きはじめる。

文子、庭箒を持つて現れる。庭を掃きはじめる。

目木  奥さん、お早う。文子  おや、もうお目覚めですか。目木  だつて、もう御目覚めでなくつちや、出勤の時間に間に合ひませんや。これから、七輪の火をおこして、米をとがなくつちやならないんです。文子  あらまあ……。奥さまは……?目木  奥さまは、まだおやすみです。兎に角、起すだけは起して見ますが、当てにはできません。文子  お可哀さうね。目木  僕がでせう。文子  おほゝゝゝゝ。さあ、どつちがでせう。目木  久慈君は果報者だなあ。文子  なぜですの。目木  忠実な奥さんを持つてね。うちの奴、なんとかならないもんでせうか。文子  よろしいぢやありませんか。奥さまのなさりたいやうにさせといておあげになれば……。奥さまは、それや、蔭では、旦那様思ひでゐらつしやるんですよ。目木  思つてるばかりぢやしやうがないや。文子  それでいゝんですよ。思つてもゐないくせに、表面だけ忠実らしく立ち働らいてる細君なんかより、どんなに頼母しいか知れませんわ。目木  それは、誰のことです。文子  誰つていふわけぢやありませんけれども、まあ、そんなのが、よく世間にあるぢやありませんか。目木  世間にね。それやあるかも知れませんね。しかし、それは、旦那さんよりも、細君の方が惨めですね。そんなのは……。文子  さうですわ。目木  さうですとも……。だつて、考へて御覧なさい。愛されてゐない旦那さんも不幸にはちがひありませんが、愛してもゐない旦那のそばで、一生、からだを縛られてゐる細君、それでゐて、たゞ機械的に主婦としての煩はしい勤めを果して行かなければならない細君、なんの希望もなく、なんの慰安もなく、女としてのはなやかな時代を朽ちさせてしまふ細君、僕は、さういふ女のことを思ふと、胸がつまります。文子  あなたのやうに、さうして、女の運命を真剣に考へて下さる男の方は、ほんとにすくなう御座んすわ。目木  少くもないでせう。それは、当り前のことですもの。僕は決して、自分を腕のある男だとは思つてゐません。しかし、女の力になり得る男だと信じてゐます。自分の愛する女から、あなたならと云つて貰へば、命を捧げてでも、その女の幸福を護り得る男だと信じてゐます。文子  ほんとですわ。目木  奥さん。僕を信じて下さいますか。文子  それや、もう……。目木  僕はたしかに、間違つた結婚をしました。つまり、軽率だつたのです。文子  そんなことはありませんわ。目木  いゝえ、奥さん、もうなにもかも解つてゐるのです。(時々奥の方に気を配りながら)僕が、今、あの女を追ひ出すと云つたら、どうなさいます。文子  …………。目木  戯談を云つてるとお思ひになるんでせう。そんなら見てゝ下さい。奥さんのお返事次第で、今すぐにでも、あいつを追ひ出して見せます。文子  (途方に暮れ)あの、もう時間が御座いませんから、一寸食事の支度をして参りますわ。目木  奥さん、どうか僕を信じて下さい。文子  はあ、でも、あの、御飯がふいてるやうですから……。

文子、大急ぎで奥に走り去る。

目木、急に明るい顔になり大股に花壇の間を歩き廻る。

座敷の雨戸が開く。目木の妻雛子の寝巻姿がのぞく。

雛子  何してんの、あんた、何時までもそんなとこで……。目木  (黙つて、やたらに歩きつゞける)

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