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浅草風土記
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浅草風土記
久保田万太郎
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 10 of 64

五

そのあと三四年してである、いうところの「十二階下」という一区画の出来たのは……

これよりさき公園の中の、玉乗だの、剣舞だの、かっぽれだの、都踊だの、浪花踊だの、そうした「見世物」の一部にすぎなかった「活動写真」がその前後において急に勢力をえて来た。そうしてわずかな間にそれらの「見世物」のすべてを席巻し「公園」の支配権をほとんどその一手に掌握しようとした。と同時に「公園」の中は色めき立った。新しい「気運」は随所に生々しい彩りをみせ、激しい、用捨のない響きをつたえた。――幸龍寺のまえの溝ぞいの町も、そうなるとまたたく間に、「眠ったような」すがたを、「生活力を失った」その本来の面目をたちまち捨てて、道具屋も、古鉄屋も、襤褸屋も、女髪結も、かざり工場も、溝を流れていた水のかげとともにいつかその存在を消した。そうして代りに洋食屋、馬肉屋、牛肉屋、小料理屋、ミルクホール、そうした店の怯げるさまなく軒を並べ看板をつらねるにいたった。――ということは、勿論そのとき、その横町の、しずかな、おちついた、しめやかなその往来の、格子づくりのしもたやも、建仁寺の植木屋も、「三番組」の仕事師も、いつかみんな同じような恰好の小さな店。――それは嘗て「公園」の常盤座の裏、でなければ、観音堂の裏で念仏堂のうしろ、大きな榎の暗くしずかに枝をさし交していた下に限ってのみ、み出すことの出来た小さな店……銘酒屋あるいは新聞縦覧所……にたち直っていたのである。

その後また大きな火事があって「公園」の大半を焼いた。「公園」ばかりでなく、その火は「広小路」の一部をさえ焼いた。――それまではまだ隅々に幾分でも「奥山」の相を残していた「公園」がそれ以来根本から改まった。すなわち猿茶屋がなくなり、釣堀がなくなり、射的がなくなり、楊弓場がなくなった。松井源水の歯みがきを売る人寄せに、独楽をまわしたり居合抜きをしたりすることも再びそこにみられなくなった。――十二階株式会社の、余興と称して入場者に小屋がけの芝居をみせたり、最上階で甘酒の接待をしたりしだしたのもその火事以後のことである……

で、「公園」は、そこで完全な活動写真街になった。――曰く電気館、曰く富士館、曰く三友館、曰く大勝館、曰くオペラ館、曰く何、曰く何……

かくして可哀想に「千束町」は……つみも報いもない千束町という町は、浮気な、悪性な、安白粉の匂の骨の髄まで浸込んだ町として天下に有名になった。――そうして、それは、それ以外の存在の何ものでもなくなった……

Chapter 10 of 64
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