二
「おや?」
急に田代は立留った。
「何だ?」
その頓驚な声におどろいてとも/″\三浦も立留った。
「牛の御前がなくなった。」
「牛の御前が?」
田代と一しょに三浦も土手の下をみた。――なるほど、そこには注連を張った大きな銀杏のたくましく聳り立っているばかり、鳥居も、玉垣も、社殿も……牛島神社の影もかたちもが存しなかった。――乾いた地膚の、空坊主に、さむ/″\とたゞひろがっているばかりだった……
「何てこッた。」
三浦はいった。――舌打するように。――半ば自分にいうように……
「どうしたんだろう、しかし。――どッかへ引越したんだろうか?」
その尾について田代はいった。
「そうには違えねえ。――いくら何だって土地の氏神の消えてなくなるわけはねえだろうから。」
「焼けたんだろうね、こゝ?」
「いつ?」
「いゝえ、震災のときに。」
「大焼けのこん/\ちきだ。――一めん、こゝいら、火の海になったんだ。」
「水のそばのくせにどうしてだろう?」
「その水が燃えたんだ。――たのみにおもうその水まで燃えてながれたんだ。――だから助かろうとして川ん中へ飛込んだ奴がみんな逆に命をおとしたんだ。」
「だけど、それは……?」
「みねえ奴には分らねえ。」ついと三浦は突ッぱなして「とてもあとからおもい及べるこっちゃァねえ。」
「そうかなァ。」
渡しでいま越して来た川の上をいまさらのように田代はながめた。――どんより一トいろに、冷めたく塗りつぶされた水のうえに浮いたいくつもの船。――浮世はなれた感じにぼんやり浮いているそれらのなかを縫っていそがしく白い波を蹴立てる蒸汽。――それは、田代の、いまのようにまだ役者にならない時分、聖天町の油屋の次男坊だったころ毎日のようにながめた光景だった。――それがそも/\の身をもち崩しはじめの、近所では眼に立つ、店の隙をみては渡しをわたり、わざ/\須崎町まで清元の稽古にかよった。――間もなくその師匠のもらい娘を連れて駆落をした。――いまからそれが十年まえのことだから田代の十九のときである……
「げんざい吾妻が死んでいる……」
ふいと小倉がうしろをふり返っていった。
「えゝ?」
田代は狼狽てゝ小倉のほうへ眼をうつした。
「いゝえよ、吾妻はこゝで死んだんだ。」小倉はしみ/″\した挙止で「火に追われて小梅からこゝへ逃げたんだ。――土手へさえ出ればいゝと思ったのがあの男の運の尽だったんだ。」
「あの人が。――あの人が、しかし……」田代はいった。「どうしてそんな死に方を。――大阪で聞いてあたしァびっくりした。――みんな、いゝえ、はじめに聞いたときには誰もほんとうにしなかった。」
「そうだろう、それは。」
「それにあの人。……といえば麻布の狸穴にいるものとばかり此方は思っている。――麻布にいるものがそんな目に逢うわけはない。――いゝ加減なことをいうにもほどがあると、その時分、ほんとのことのそろ/\もう分って来はじめた時分だから、みんな楽屋でそういってうわさした。」