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血液型殺人事件
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血液型殺人事件
甲賀三郎
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 3 of 10

勝利者と惨敗者

私が毛沼博士が死んだという事を聞いた時に、殺されたのではないかと思ったのは、別に深い根底がある訳ではなかったのだ。

前にもいった通り、毛沼博士の死が病死とは考えられなかったし、といって博士が自殺するという事は、それ以上に考えられない事だし、過失死という事も鳥渡思い浮ばなかったので、つい殺されたのではないかと口を滑らしたのだが、といって、全然理由がなかった訳でもない。先ず第一は毛沼博士が自動拳銃を持っていたということ、それから第二には博士が最近二三月何となく物を恐れる風があった事だった。

一体毛沼博士は、外科の教授に在勝な豪放磊落な所があって、酒豪ではあるし、講義もキビキビしていて、五十二歳とは思えない元気溌剌たる人で、小事には拘泥しないという性質だった。所が、この二三月はそんなに目立つ程ではないが、何となく意気消沈したような所があり、鳥渡した物音にもギクッとしたり、講義中に詰らない間違いをしたり、いつも進んでする手術を、態と若い助教授に譲ったり、些細な事ながら、少し平素と変った所があったのだ。

私は署長の顔色を覘いながら、

「別に深い理由はないのですが、先生は近頃何となく様子が変だったし、それにピストルなんか持っておられたものですから」

と、私の考えを述べた。

署長はうなずいて、

「もう一つ訊きますがね、君は毛沼博士が何故一生独身でいたか、その理由について何か知っている事はありませんか」

私は又ハッとした。私がひそかに恐れていた事に突当ったような気がしたのだ。私は然しすぐに答えた。

「存じません」

知らないと答えた事は決して嘘ではなかった。知っているといえば、なるほど知っている、然し、それはみんな噂が基で、それに私自身の憶測が加ったに過ぎないのだ。確実に知っていると答えられる範囲のものではない。

噂によると、毛沼博士は若い時に失恋をしたという事だ。而もその相手の女性は笠神博士夫人なのである。毛沼博士と笠神博士とは郷里も隣村同士で、同じ県立中学に机を並べ、一番二番の席次を争いながら、同じM高に入学し、ここでも成績を争いながら、帝大の医科に入学した。ここでは、毛沼博士は外科、笠神博士は法医と別れたが、それも卒業してからの事で、在学中はやはり競争を続けていた。考え方によると、両博士は実に不幸な人達で、恰で互に競争する為に生れて来たようなものである。而も、その争いは武器を取って雌雄を決する闘争ではなく、暗黙のうちに郷里の評判や、学科の点数や、席次や、社会的地位を争うのだから、そこに不純な名誉心や嫉妬心や猜疑心が介在して来るから、本人達に取っては、非常に苦しいものだったに違いないと思う。

噂をして誤りなく、又私の推察が正しければ、この二人は、場合によっては名誉も権勢も生命も弊履のように棄てようという恋を争ったというのだから、実に悲惨である。三角関係にどんな経緯があったか知らないが、兎に角、笠神博士が恋の勝利者となり、毛沼博士が惨敗者となって、遂に一生を独身に送ることになったのだ。私はM高出身ではあるけれども、東京で生れ東京で育った人間なので、帝大に這入って初めて両博士に接し、そういう噂話を耳にしたのだが、爾来三年間に、親しく両先生の教えを受け、殊に笠神博士には一層近づいて、家族へも出入したので、今いった噂話が一片の噂でなく、事実に近いものであることは、十分推察せられていたのだった。

然し、両先生の口や、笠神博士夫人の口から直接聞き出した事ではなし、何の証拠もない事であるから、私は署長の質問に対して知らないと答えたのである。

署長は暫く私の顔を見つめていたが、その事については、もう追及しようとせず、質問の鉾先を一転したのだった。

「君は笠神博士の所へ、よく出入するそうですね」

「は」

いよいよ来たなと思った。私がひそかに恐れていたのはそれだった。全く私は笠神博士の所へは繁々出入した。今では私は博士を啻に恩師としてでなく、慈父のように慕っているのだ。静かに考えて見ると、私は別にその為に恐れる所はないのだ。よし笠神博士と毛沼博士とが、恋の三角関係があったにせよ、それはもう二十数年も以前の事なのだ。その当時こそ互にどんな感情を持ったか分らないが、爾来二人は同じ学校に講堂を持って、何事もなく年月を送り、今はもう互に五十の年を越えている。今更二人の間にどうという事があろう筈がない、従って毛沼博士が自宅の一室で変死を遂げたにせよ、それが笠神博士に関係がありそうな事はないのだ。

然し、今こうやって、署長から事新しく毛沼博士が独身生活をしている理由や、私が笠神博士と親しくしている事などを訊かれるとそれは私の杞憂に過ぎないだろうけれども、何となく気味が悪いのだ。何といっても、私が毛沼博士を自宅の寝室まで送り届けたのだし、恐らく私が生きている毛沼博士を見た最後の人間だろうから、それを笠神博士と親しくしている事に結びつけて、変な眼で見られると、油断のならない結果を招くかも知れない。全く世の中に誤解ほど恐ろしく、且つ弁解し悪いものはないのだ。

私は蛇足だと思いながらも、言いわけがましく、つけ加える事を止められなかった。

「僕は将来法医の方をやる積りなので、笠神博士に一番接近している訳なんです」

「ふん」

署長は私が恐れているほど、私と笠神博士との関係を重要視していないらしく、軽くうなずいて、

「笠神博士という人は、大へん変った人だそうですね」

「ええ、少し」

「夫人は大へん美しい方だそうですね」

「ええ、でも、もう四十を越えておられますから」

「然し、実際の年より余ほど若く見えるようじゃありませんか」

「ええ、人によっては三十そこそこに見られるそうです」

「笠神博士は家庭を少しも顧みられないそうですね」

「ええ」

私は肯定せざるを得なかった。全く博士は学問の研究にばかり没頭して、美しい夫人などは全く眼中にないようなのだ。昔は知らず今は之が激しい恋愛をした間なのかと疑われる位である。

「笠神博士は学問以外に何にもない、博士の恋人は学問だといわれているそうですね」

「ええ」

「それで夫人にはいろいろの噂があるそうじゃありませんか」

「そんな事はありません」

私は少しむっとしながら答えた。博士夫人は博士からそうした冷い取扱いを受けながら、実に貞淑に仕えた、何一つ非難される所のない人なのだ。

署長は探るような眼つきで私を見ながら、

「そうかな。夫が仕事に没頭して家庭を顧みない。勢い妻は勝手な事をする、なんて事は世間に在勝の事だからな」

「他の家庭は知りませんが、笠神博士の夫人は絶対にそんな事はありません」

「然し、君のような若い色男が出入するんだからね」

何たる侮辱だ! 私は唇をブルブル顫わせた。

「な、なんといわれるのです。ぼ、僕は笠神博士を敬慕のあまり、お宅に度々お伺いするのです。い、一体あなたは何を調べようと仰有るのですか」

私の剣幕が激しかった為か、署長はニヤニヤしていた笑顔を急に引込めて、

「そうむきになっちゃいかん。僕はそういう事実があるかないかという事について、調べているんだからね」

「事柄によります。第一、そんな事を、何の必要があって調べるんですか」

「必要があるとかないとかという事について、君の指図は受けない」

署長は鳥渡気色ばんだが、直ぐ元の調子になって、

「この話は打切としよう。君は法医の方に興味があるそうだが、之を一つ鑑定して呉れませんか」

署長は机の抽斗を開けて、紙片のようなものを取出した。

Chapter 3 of 10
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