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知られざる漱石
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知られざる漱石
小宮豊隆
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ナイトアイ
行間
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 6 of 8

漱石の畫

人間に短歌型と俳句型とがあると言ひ出したのは寺田寅彦である。視覺型と聽覺型とに分類したのは、西洋の心理學者だつたと思ふが、誰だか知らない。寅彦にはどつちとも言へない所があつた。然し漱石は明らかに視覺型だつた。現に『草枕』の主人公は、自分には音樂はわからないと言つてゐる。『行人』の一郎は「事件の斷面を驚く許り鮮やかに覺えてゐる代りに、場所の名や年月を全く忘れて仕舞ふ癖があつた」といふが、これは實は漱石が自分の「癖」を書いたものに外ならなかつた。かういふ漱石が門下の者に刺戟されて畫をかくやうになつたのは、極めて自然なことだと言つていいかも知れない。

もつとも漱石はあまり寫生をしなかつた。寫生をしても寧ろ自分の中にある美しさの方を大事にする傾向があつた。漱石の畫の技術は元よりうまいとは言へなかつたが、それでも漱石に頭の中にある物の形や色の美しさを想像させるには十分だつた。のみならず漱石には現實を離れて、現實にない世界を繪畫的に組み立て、その世界に出入することが樂みで堪らないといふ風があつた。漱石は晩年こそ『明暗』に追はれて大作を思ひ立つことができなかつたが、然し大正三年から四年へかけてかき上げてゐる、紙本半折の淡彩を施した南畫の數幅は、漱石のその樂みを極めて活活と表現する。例へば『一路萬松圖』などといふのは、漱石が此岸から彼岸へ一歩一歩いそいそとあるいて行つてゐる所が、眼に見えるやうな作品である。

漱石は寒い色が嫌ひだつた。もつとも鎭靜的に働く意味では、緑系統の色が好きだつた。然しそれが勝てば、畫面は自然寒くなる。それを柔らげる爲に漱石は、例へば山肌などの地色に、うすい代赭をつかつてゐる。必要に應じては、たまにうすい紅も使はれる。漱石の繪具の數は少ないが、それぞれの色が微妙に照應し合つて、地味ではあるが複雜で上品なハアモニイを作り上げる。

漱石は生れつきカラリストだつたやうである。(二五・一〇・一五)

Chapter 6 of 8
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