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桜林
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桜林
小山清
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 6

4

吉原の縁日は午の日で土地柄賑やかな夜店が出た。その日には界隈の町の人たちも、大門口から五丁目の非常門から裏門からそれぞれ詰めかけてきて、素見客の仲間も常よりは多くその賑いは格別であった。夜店商人は夕方の三時頃からぼつぼつ検査場横の空地に集まってきた。荷車を引いてくる者、自転車を利用している者、大風呂敷を背負って徒でくる者、さまざまであった。いい加減集まったところでくじ引きをして、各自割当てられた場所へ荷を運ぶ。植木屋だけはいつもひとかたまりになって、夜店の列の尽きるあたりに店を出していた。この場所ぎめの際の一喜一憂する表情は見ていて面白かった。くじ運のいいとわるいでは、その夜の商いに覿面にひびくわけである。夜店の並ぶ場所は、震災後もずっと後になっては水道尻に限られたが、その頃は仲の町から水道尻一帯にかけてであった。ただ桜や菊の季節にはその美観を守るために、仲の町を避けて貸座敷のある通りに移った。

子供の私たちが、午の日を楽しみにして待つ気持と云ったら、なかった。そのまえの日から明日の天気を気にして、翌朝起きてみて雨が降っていればがっかりして、それでも夕方までには晴れてくれないかしらと未練がましく思ったりしたものだ。その日にはこの界隈にくる豆腐屋もラッパを吹いたあとで、「とうふイ、生揚、雁もどき、こんちは午の日。」と常よりは愛想のいい声を出した。

夕飯を食べてから、のぶちゃんが迎えにきたので、お糸さんと三人で出かけた。のぶちゃんに聞くと、はじめさんは夕飯もそこそこにして飛び出して行ったそうである。

「のぶちゃんは兄さんがあっていいわねえ。」とお糸さんが云ったら、のぶちゃんはかぶりを振って、「うちの兄さんはとても意地悪なのよ。あたしをからかってばかりいるの。問屋の番頭さんからお小遣いをもらったからって見せびらかしたりして。」と不服そうに云った。

あまり年の違わない兄妹はそういうものなのかも知れない。大人になればまた違うのであろうが。そう云えばはじめさんは、私とのぶちゃんが遊んでいるときなど、ふいに物蔭から出てきて、のぶちゃんの頬っぺたを突いたりして、「のぶ公の阿多福やい。お洒落しゃれても惚れ手がないよ。お臍が出べそで嫌われた。」そんなことを云って囃したてては、のぶちゃんにべそを掻かせたりしたものだ。

私はいちど学校の帰りに、はじめさんから誘われて、寄り道をしてはじめさんのお母さんがそこの内職をしている馬道の玩具問屋へ行ったことがある。はじめさんのお母さんからそこの番頭さんになにか託けがあったのである。番頭さんは二人に金平糖のお菓子をくれて、そのうえはじめさんには拾銭白銅を一つお駄賃にくれた。はじめさんは大事そうにそれを兵児帯の間にくるんで、帰る途々落しはしないかと時々手で触りながら、「ぼくは来年学校を出たら、あの問屋さんに奉公に行くんだよ。どうせぼくは勉強が出来ないんだから仕方がないや。清ちゃんは中学校へ行くんだろう。おっ母さんはね、番頭さんがいい人で気心が知れているからあの問屋さんがいいって云うんだよ。番頭さんはぼくがお使いをするたんびにお駄賃をくれるんだ。」と云った。

角町の稲本楼の前に出ていた馴染の本屋で買物をしていたときに、はじめさんが実さんと連れ立ってくるのに逢ったが、はじめさんはわざとそっぽを向いて、チエッ、チエッと云って行き過ぎた。女臭くてかなわねえやと云わんばかりのそぶりであった。のぶちゃんは顔色を曇らせて、私たちの気を兼ねるように、「どうして、うちの兄さんは、ああいけずだか。」と云ったが、その口振りには日頃の母親の嘆息をそのまま踏襲しているようなふしが見えた。

本屋で私はその頃発刊されていた『良友』という少年雑誌を、のぶちゃんは『少女世界』を、そしてお糸さんは古い『新小説』を二冊買った。お糸さんはまた小間物屋でのぶちゃんに根掛を買ってやった。

あくる朝私が御飯を食べていると、いつものように、「清ちゃん、学校へ行かないか。」と節をつけて呼ぶはじめさんの声が聞えた。学校へ行く道ではじめさんは、「清ちゃんはきのう午の日でなにを買ったの? ぼくはこれを買った。」と云って、鞄から三輪車の形をしている智慧の輪の玩具を取出して見せた。

その日の夕方私はお歯ぐろ溝に落ちた。実さんやはじめさんやのぶちゃんなどと溝のふちにいて、一元楼の蔵移しの工事を見ていたときに落ちた。私の家の隣りは一元の寮で、庭中いっぱいに大がかりに菊の栽培をしていた。季節に仲の町を飾る菊もここの庭のものであった。京二では宝来楼一元楼などは、お歯ぐろ溝を境にして店と寮とが別れていた。私の家などもかつてはそうであったが、店の方を人に譲ってから寮の庭を解放してそこに長屋を建てたわけなのである。はじめさんの家は長屋のいちばんはずれの溝際で、私たちはその窓下に集まって遊んでいたのである。お歯ぐろ溝は思いのほか深くて、あっと云う間に小柄な私は胸もとまで泥水の中に沈んでしまった。そのとき、工事に従事していた人足の人が駈けつけてくるよりも早く、直ぐ溝に飛び込んで私を引き上げてくれた人を見ると、助ちゃんであった。ちょうど私の家に稽古にきた帰りに通り合わせたのであった。

泥んこになって助ちゃんと私が帰ってきたので、家ではびっくりした。私たちはすぐ湯殿へ廻って躯を洗い、沸いていた湯に入った。私は溝に落ちたときには肝を潰したが、その驚きもしずまると、こうして助ちゃんといっしょに湯に入ったことが珍らしくて、「なかや。おもちゃ箱から椰子の実を持ってきて。」と大きい声で云ったら、なかやの返事はなくて「とぼけちゃいけないよ。」と私を叱る祖母の声が聞えた。椰子の実は祖父と仲のいい友達である京一の水鉄という水菓子屋の主人からもらったもので、私が湯に入るときに弄ぶ玩具の一つであった。私の気持ではそれで助ちゃんをもてなすつもりであった。

助ちゃんは私の背中を流してくれながら、

「清ちゃん。さっきのあの子はどこの子です?」

「あの子って?」

「清ちゃんのことを後から押した子ですよ。」

助ちゃんの云うことがわからないので、

「誰も押しゃあしないよ。」と云ってふりむいたら、そういう私の顔を見て、ふいに助ちゃんは黙ってしまった。

湯から出たら、汚れた二人の着物は既にお糸さんが洗濯して、物干竿に乾してあった。私は母から云われて改めて助ちゃんにお礼を云った。助ちゃんは「いい塩梅でした。あたしが通り合わせて。」と云って、それから如何にも感心したように、「清ちゃんはえらい。」と私のことを褒めた。私が自分を溝に突き落した友達のことを庇っていると云うのである。私には思いがけなかった。私は自分の不注意から落ちたとばかり思っていたから。助ちゃんにそう云われてもなにも思い当ることはないのである。

「誰も押さなかったよ。」とくりかえしたら、祖父があっさり、

「うん。押したというわけでもなかったのだろう。」

と云った。

祖父はまた、「助公。お前、着物を汚して気の毒したな。下帯まで汚れちまったろう。」と云って、祖母に云いつけて自分の着物を一揃助ちゃんのために出させた。助ちゃんはなにからなにまで祖父の物を身につけて帰った。助ちゃんが溝に飛び込む際に脱ぎ捨てた下駄は、のぶちゃんが持ってきてくれていた。

翌朝学校へ行きながら、のぶちゃんの話を聞くと、私が溝に落ちたのは後からはじめさんが押したからであった。はじめさんは、ほんとに押したのではない、押す真似をしただけだ。おっ母さんに云いつけたら承知しないぞとのぶちゃんを嚇かしたそうである。学校で休み時間に砂場で遊んでいたときに、不意にはじめさんが現れて、

「清ちゃん。ごめんね、ごめんね。」とひどく思いつめた口調で、私の顔を覗き込みながら云った。

「ううん。なんとも思っていないよ。」と云ったら、安心したらしく、いつもの快活な顔つきになって

「ぼくはただ清ちゃんをびっくりさせようと思っただけで、ほんとに落っことすつもりじゃなかったんだよ。」と云った。おそらくそれが真相であろう。押された当人にまるで覚えがなかったのだから。私としても腹の立つわけがなかったのである。

学校から帰ったら、ちょうど助ちゃんが稽古にきていて、離れでお糸さんが洗濯した助ちゃんの着物の綻びを繕っていた。そこにとり纏めてある下着や帯や足袋を見て、私が、

「これ、みんな助ちゃんの?」と訊いたら、お糸さんは、

「そうよ。あの溝の水は臭いわね。いまでも臭いが鼻についているようよ。」と云って、試すように、着物の袖口を鼻さきへ持っていって嗅ぐ真似をした。

「におう?」

「まさか。」

祖父がそばから、

「そうだろう。お歯ぐろ溝と云やあ、名代の溝だからな。それにふだん清やはじめが、たんと小便を仕込んでいるだろうから。清が落ちたのは天罰だが、助公もまたよく飛び込んだものじゃないか。」

吉原のお歯ぐろ溝は昔はとてもきれいで、川幅などもずっとひろく、家鴨がおよいでいたり、小舟がうかんでいたりして、その時分の花魁は小がいのお椀いっぱいの水で、口をそそぎ顔を洗ってうらの川にすてたところから、そういう名前もできたのだそうであるが、私たちのたけくらべ時代には、そんな錦絵にでもありそうなおもかげはさらになくて、ただの汚い溝川でしかなかった。

やがて稽古をすませて助ちゃんがきた。助ちゃんは昨日帰ったときの服装のままで、祖父の着物を着ていた。着替の持合わせもなかったのかも知れない。助ちゃんはお糸さんに礼を述べて、

「それでは、おなかさんの部屋でも拝借して、一寸着かえさせて戴きます。」と云った。すると祖父が、

「助公。その着物はお前に遣ったんだ。水臭いぞ。それとも年寄りの肌につけたものはいやなのか。」

助ちゃんはあわてて、

「いいえ、とんでもない。有難く頂戴します。」

「まんざら、着られないこともないだろう。」

「ほんとに、助ちゃんによく似合いますわ。」

「そうですか。どうも有難うござんした。」

助ちゃんは自分の衣類を風呂敷包にして帰った。私は助ちゃんが涙ぐんでいたように見えたので、

「助ちゃんたら、泣いているの。」と云ったら、祖父は笑いながら、

「お糸にやさしくしてもらったせいだろう。」

「いいえ。助ちゃんはおじさんのことが好きなんですわ。」とお糸さんは真顔で云った。

その日を境にして助ちゃんの足が一寸跡絶えた。毎日のように来ていた者が顔を見せなくなるのは気がかりなもので、祖父は助公の奴どうしたのだろう、具合でも悪いのじゃあるまいかと心配していた。そのうち父の弟子の中ではいちばん古参の越春さんが助ちゃんの消息をもたらした。その話によると、当時助ちゃんは浅草公園のある色物席に臨時に出演しているということであったが、それがちょっと変っていた。

「御隠居さん。一体なにをやっていると思いますか?」と越春さんは云った。

「まさか助公が手品をやりゃあしまい。」

「手品ならよござんすが、それが『ハイカラ壺坂』っていうんですから、呆れるじゃありませんか。」

「ふうん。『ハイカラ壺坂』とは助公も考えたもんだな。お里が髪をハイカラか女優髷にでも結っているのか?」

「冗談ごとじゃありませんわ。聴いている方が恥ずかしくなってくるんですから。御隠居さん、なんとかやめさせるわけには行かないでしょうか。お師匠さんの名折れにもなりますし、あたしたちだって外聞が悪いですわ。」

「そうか。そんなにひどいものか。それにしても席でよくやらしておくな。」

「それがよくしたもんで、お客には受けているようなんです。」

「それじゃ結構じゃないか。『ハイカラ壺坂』だろうと、『当世鰻谷』だろうと、客が来て木戸銭が取れれば結構じゃないか。なにも身過ぎ世過ぎだ。」

祖父が取合わないものだから、越春さんもそれきり話をやめた。私はまえにも助ちゃんの悪口を聞いたことがある。助ちゃんが父の許に稽古に来るようになった頃、誰かが助ちゃんのことを「稽古屋ゴロ」と云ったのを耳にして、母に「稽古屋ゴロってなあに?」と訊いたら、「子供はそんなことを知らなくともいい。」と叱られた。父の弟子は多く女弟子であったが、助ちゃんはいちばん新参でそのうえ肝腎の浄瑠璃があまり上手でなかったようだから、誰からも侮られていたようである。いまにして思えば、助ちゃんが祖父の「お得意」であったことを心よからず思っていた者もあったのかも知れない。

Chapter 4 of 6
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