Chapter 1 of 10

この息もつかず流れている大河は、どのへんから出て来ているだろうかと思ったことがある。維也納生れの碧眼の処女とふたりで旅をして、ふたりして此の大河の流を見ていた時である。それは晩春の午後であった。それから或る時は、この河の漫々たる濁流が国土を浸して、汎濫域の境線をも突破しようとしている勢を見に行ったことがある。それは初冬の午後であっただろうか。そのころ活動写真でもその実写があって、濁流に流されて漂い著いた馬の死骸に人だかりのしているところなども見せた。その時も、この大河の源流は何処だろうかと僕は思ったのであった。

地図を辿って行くに、河は西南独逸の山中から細くなって出て来ている。僕は民顕に来てから、“die Donau”という書物を買った。これは、Schweiger-Lerchenfeld の撰で、西紀一八九六年に維也納から出版されたものである。僕は此の書物を愛して時々拾読した。その中には Donau を中心として、地理学・水路学・船舶学・人類学・考古学・博物学・歴史があった。おなじ大河でも Wolga と Donau とは趣のちがうことをいうあたりには何かの感激があった。それから、Donau に沿うた維也納の古い絵図などを見ると、やはりなつかしい気持が湧き、それは、ヨハン・シュトラウスの、“Spiegelt sich in deiner Wellen Tanz”などという歌曲に因るのみではなかった。

僕は地図のうえのその細い流を実地に見たいとおもい、復活祭の休を利用しようとした。そこで、西紀一九二四年四月十八日、午前七時半の汽車で民顕を出発した。この汽車は、Augsburg, Ulm を経て Stuttgart の方へ行く急行列車である。僕はその三等車内にいて気を落付けている。今朝、宿の媼 Hillenbrand が六時に僕を起して、朝食を食べさせて呉れたのであった。

朝はまだ早いのに畑では農夫がもう働いていた。妻が牛の口を取り、夫が鋤の方を操縦しているのなども目についたが、きょうは Karfreitag である。復活祭前の金曜であるのにこうして農夫は働いているのが目についた。維也納の郊外に行ったときも日曜に農夫が幾たりも働いていた。これは信心ぶかくないという証拠にはならなかった。然し春寒であるから耕し了えた畑はまだ幾枚もない。冬枯の草で蔽われているところを田鼠が恣に歩くので、掘りかえされた土が小さい山の様になって幾つも見えていた。そのうち、汽車が走るにつれて、畑の間を一直線に流れている水が見えたり、白樺の林が松林になり、樅林になり、落葉樹林になる。けれども大体の風光は、ゆるやかな勾配を持った畑と草野から成立っていると謂っていい。これは墺太利でも同じである。

僕は民顕の停車場から買って来た新聞を読むと、それに日本人の記事があった。北米合衆国で日本の移民問題が紛糾しかかった時に、その記事がちょいちょい独逸の新聞にも載った。きょうの日本人に関する記事というのも、自然亜米利加との問題からの連想であった。未だ大戦の起らぬだいぶ前に記者は露西亜に旅したことがある。その同じ列車に日本の留学生も五六人いた。ある時、汽車の旅の無聊に、みんなが餐を共にし、酒も飲んだ。日本の留学生の二三は快活に飲み快活に話したが、二三の留学生は黙々として何も語らない。ところが其の沈黙の一人が何かのはずみに、『私どもは天皇のために命を捨てることなどは何でもありません』と云った。これが記者には何かを暗指している異様な響で聞こえたのであった。そこで記者は、『御国のいまの天皇の御名前は何と仰せられますか』と問うた。するとその沈黙の留学生は、『私どもは決して天皇の御名前を申あげることはありません』と答えた。そして、『それは畏多いことだからです』と付加えた。そういう話であるが、その沈黙の留学生の言葉を記者は今おもい起して、亜米利加問題と或る関連を有たせたいのであった。そして、その記者は、日本の国民は何時でも天皇のために命を捨てるものだと堅く信じて居た。そうして、“schweigsame Japaner”などといって、底気味の悪い国民だということを其処に暗指していた。

僕はその記事を読んで心中秘かに微笑した。そして、その沈黙の留学生は、天皇の御名を睦仁と申し奉ることを知らなかったのだろうと思ったのである。併し僕はこの記事を読んでから、眼を瞑ってしばらく思に耽っていた。

そのころの独逸の漫画雑誌には又、こんなのがあった。絹帽に星のついたのを冠っている老翁の寝部屋に一つの尾長猿が這入って来ているところが先ず画いてある。老翁が猿の尾をつかんで、“Der verdammte Japs hat nichts bei mir zu suchen!”といっている。その次は、老翁が両手で猿の尻尾をしっかりと握って放り出そうとしている。翁は忿怒の相をして、絹帽は飛んでしまっている。猿は放り出されまいとして両手で翁の寝衣の臀の処のずぼんにかじり付いている。その次は、もう翁の白髪は逆立っている。猿の体が延びて彎曲して断れそうになっている。それでも猿は苦しまぎれに寝衣にかじり付いたから、寝衣はずるりと捲れて、老翁の臀が全く露出したところである。そして老翁の眼は爛々とかがやいている。僕はこの絵を見てなかなか旨いと思った。旨いと思ったのはその画方にあったが、今はその筋書が頭に浮んで来ている。僕はその絵のことを思い出してしばらく思に耽っていた。

この新聞にも、四月十七日発の華盛頓電報で移民法案が既に決められたことを報じている。四月十七日といえば昨日である。それから巴里発電報では、石井大使がポアンカレを訪うて懇談したことをも報じている。そして、仏国は日本とは親善の間柄ではあるが、この問題に就いては不干の状態に処るだろうということが付加えてあった。僕には一国のことは余り大き過ぎる。けれども之を個人の間柄に還元して観るなら、随分その例に乏しくない。

けれどもその間は十分間ぐらいに過ぎなかったであろう。窓外には緩い線の丘から赤い屋根が見えたり隠れたりしている。畑の小路に十字架の耶蘇が祭ってある。小さい沼が見えて静かな水が湛えている。国家ということを思う。民族ということを思う。コスモポリートのことを思う。併しそういう観念はいつのまにか朦朧となってしまうのであった。

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